今日は12月8日ですよ! | 上田さち子とコーヒータイム

上田さち子とコーヒータイム

日本共産党西宮市議を8期30年の経験を生かし、4月の西宮市長選挙に「チェンジ!いきいき西宮市民の会」の代表幹事として立候補予定。女性の視点で市政をチェンジ!憲法を市政のすみずみに生かすことが信条。粉もん大好きで4人の孫たちに日々いやされています。

74年前の今日、12月8日未明、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。


1931年の柳条湖事件に始まる日中戦争や朝鮮半島での侵略行為に続き、太平洋戦争へと泥沼に突っ込んでいった日だ。


今朝の宣伝では、まずこのことを話した。


日本軍国主義による侵略戦争よって、アジアの人々2000万人・日本国民310万人の命が奪われたことは忘れてはならないと思う。


先日の西宮後援会バスツアーで、隣り合わせたIさんの話。


Iさんは今年80歳の女性だが、終戦当時は南樺太に家族とともに住んでいたとのこと。


当時は南樺太に十条製紙の工場があり、多くの日本人が住んでいたらしい。


Iさん一家もそうだったようで、終戦間際にソ連軍が突然侵攻してきて、家や家財を奪っただけではなく、男性はシベリア送り、残った女性子どもたちにも、ひどいひどいことをしたという。


当時4年生だったIさんは、毎日毎日ソ連兵から逃げ惑う日々だったと語ってくれた。


樺太から本土に帰れたのは2年以上も経ってからで、故郷の熊本県八代に引き上げ、それからも苦労されたようだ。


シベリアに抑留されたお父さんは、病気になり強制送還されたそうだ。


満蒙開拓団の方々が、やっぱりソ連軍の侵攻で苦難を強いられたことは知っていたが、樺太でも同様のことがあったのかと驚いた。


まだまだ、たった70年前の戦争の実相すら知らないなぁと改めて思い知らされた。


今朝の宣伝では、樺太での出来事も話し、戦争法廃止を必ずと訴えた。


いま、戦争のことを語り伝える大切さを感じているが、3年生の孫のももちゃんに、どんなふうに話せばいいのか、思案している。


誰か、参考になることを教えてください。