74年前の今日、12月8日未明、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。
1931年の柳条湖事件に始まる日中戦争や朝鮮半島での侵略行為に続き、太平洋戦争へと泥沼に突っ込んでいった日だ。
今朝の宣伝では、まずこのことを話した。
日本軍国主義による侵略戦争よって、アジアの人々2000万人・日本国民310万人の命が奪われたことは忘れてはならないと思う。
先日の西宮後援会バスツアーで、隣り合わせたIさんの話。
Iさんは今年80歳の女性だが、終戦当時は南樺太に家族とともに住んでいたとのこと。
当時は南樺太に十条製紙の工場があり、多くの日本人が住んでいたらしい。
Iさん一家もそうだったようで、終戦間際にソ連軍が突然侵攻してきて、家や家財を奪っただけではなく、男性はシベリア送り、残った女性子どもたちにも、ひどいひどいことをしたという。
当時4年生だったIさんは、毎日毎日ソ連兵から逃げ惑う日々だったと語ってくれた。
樺太から本土に帰れたのは2年以上も経ってからで、故郷の熊本県八代に引き上げ、それからも苦労されたようだ。
シベリアに抑留されたお父さんは、病気になり強制送還されたそうだ。
満蒙開拓団の方々が、やっぱりソ連軍の侵攻で苦難を強いられたことは知っていたが、樺太でも同様のことがあったのかと驚いた。
まだまだ、たった70年前の戦争の実相すら知らないなぁと改めて思い知らされた。
今朝の宣伝では、樺太での出来事も話し、戦争法廃止を必ずと訴えた。
いま、戦争のことを語り伝える大切さを感じているが、3年生の孫のももちゃんに、どんなふうに話せばいいのか、思案している。
誰か、参考になることを教えてください。