今朝のしんぶん赤旗で、キュッと胸が詰まった記事。
「沖縄見詰50年・・・報道写真家の嬉野京子さんに聞く」という記事だ。
紙面には嬉野さんの写真とともに、嬉野さんが米軍占領下の沖縄に行った直後の1965年4月20日、米軍トラックに轢かれ即死で横たわる女の子を撮影した写真(周りには米軍兵士が立ったまま…)が掲載されていた。
当時は沖縄に行くのに、外務省に渡航申請が必要な時代。
まさに現地は米軍の無法状態だったようだ。
本土復帰の頃は、沖縄はまさに米軍のベトナム戦争の前線基地だった。
何で、沖縄がこんなに冷酷な対応を受け続けなければならないのか。
心から怒りがわく。
今日は確か、翁長知事が那覇地裁において「第1回口頭弁論」を行う日だ。
辺野古新基地建設を無理やり強行する安倍自公政権に、「新基地は認めない!」と、オール沖縄の心を代表して堂々と行うことだろう。
私自身は、広島・長崎そして沖縄・中国・朝鮮半島はとても遠い地域であり国だった。
何故か気軽に行けない。
一つはアジア太平洋戦争でむごい被害を受けた地域。
方や、日本軍国主義が無残に多くの命を奪った国ぐに。
今年は終戦70年の年だが、いまだ戦争終わらずの感がある。
近年になり、中国の盧溝橋や韓国の西代門刑務所跡地、3・1運動の発祥の地パゴダ公園、ナヌムの家などを訪れたが、心臓がバクバクしたのを覚えている。
歴史と向き合うことの大切さを痛感する。
翁長さんの弁論を見るのが楽しみだ。