5年ぶりに追記します…

 

5年前に叶えられなかったことがあります。

それはSSAの会場ルールで配り物ができないという理由でフライヤーを配付できなかった事でした。

5年後の今幻になって手元に試し刷りしたフライヤーを無償で送りますよ、とツイートしたところ驚くべき反響があります。

その中には明らかに卒業後に奈々未さんのファンになった人も…

 

名曲サヨナラの意味、とともに伝説のアイドルになっているんだな、と実感しています。

 

フライヤーを手にした方は、是非叶わなかったライブでの後半のサヨナラの意味でサビの合唱とフライヤーの、ななみんありがとう、をテレビに掲げてみてくださいね…

 

2022年2月20日に…

 

 

 
 
 
 

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(ここからオリジナルブログ)

 

2017年2月20日埼玉スーパーアリーナで橋本奈々未さんの卒業コンサートを観て来ました。



この日は橋本奈々未さん24才の誕生日当日でもありました。





ライブレポを書くと同時にライブ中、そしてライブ後に感じたことを含めて書いてみたいと思います。

 

まずはセットリストから。

これは、恐らく奈々未さんとマネジャーが相談して、彼女が思い入れのある曲、好きな曲そして、コンサートとしてしっかり成り立つような配慮で構成されたものだと推察できます。

 

明らかに通常のバースデーライブとは違うし、一部の報道で当初すべて奈々未さんセンターでやるというオファーもあったらしいですが、彼女の希望でコンサートとしてしっかり構成されたものをやりたいという意向で決まったようです。

 



 

セトリ

M01 サヨナラの意味

M02 気づいたら片思い

M03 ガールズルール

M04 バレッタ

M05 制服のマネキン

M06 会いたかったかもしれない

M07 偶然を言い訳にして

M08 せっかちなカタツムリ

M09 指望遠鏡

M10 13日の金曜日

M11 でこぴん

M12 世界で一番 孤独なLover(remix)

M13 やさしさとは

M14 ダンケシェーン

M15 僕が行かなきゃ誰が行くんだ

M16 Tender days

M17 革命の馬

M18 ボーダー

M19 制服を脱いでサヨナラを

M20 ポピパッパパー

(映像:生田絵梨花から見た橋本奈々未)

M21 遥かなるブータン

M22 太陽に口説かれて

M23 シークレットグラフィティー

M24 あの教室

M25 ハウス!(音席にて歌唱)

M26 ロマンスのスタート

M27 転がった鐘を鳴らせ

(映像:伊藤万理華から見た橋本奈々未)

M28 ここにいる理由

M29 君は僕と会わない方がよかったのかな

M30 自由の彼方

M31 生まれたままで(万理華・橋本Wセンター)

(映像:乃木坂46二人組ユニットの歴史)

M32 孤独兄弟

M33 魚たちのLOVE SONG

M34 Threefold choice(白石・橋本・松村)

M35 ロマンティックいか焼き

M36 そんなバカな…

M37 孤独な青空

 

 

EN01 ないものねだり

(白石麻衣から橋本奈々未へ手紙朗読)

EN02 サヨナラの意味

 

このセトリで気づくことがあります。。。

 

私が注目したのは、「バレッタ」と「会いたかったかもしれない」「ボーダー」の3曲です。

 

「バレッタ」

2期生堀未央奈が初センターをやった曲です。

当時の乃木坂は生駒センターから、エース白石センターにチェンジして、新しい何かを見つけようとしていた時。そしてある意味の閉塞感のあった時期かもしれません。

これは単なるヲタク妄想ですが。。。

この時点で奈々未さんセンターがあってもなんらおかしくなかったのではないか。

そして選ばれたのは、サプライズの何の実績もない2期生堀未央奈。

1期生の実質的なリーダー格でありエースであった、白石さん、奈々未さんはどう感じたのか。。。

つまりこの曲は奈々未さんにとっては当時は必ずしも印象の良い曲ではないはずの曲です。

しかし、昨日感じたことは、だからこそ昨日やったんだなと。

乃木坂が今の存在になるために必要なプロセスであった曲で強烈な印象に残るものだった。

 

「会いたかったかもしれない」

ご存知AKB48のマイナーチューンの、いわば同じ傘下にいることを決定的にされてしまった曲と言っても良いでしょう。今のファンは何も感じないかも知れませんが、アンチAKBの多かった当時はファンは嫌悪感を感じた曲ではなかったかと思います。

そして、MVはAKBの完全なオマージュで製作されました。

奈々未さんはショートカットのクールビューティのキャラ設定を当初からされていたので、もちろん配役は篠田麻里子さんポジションでした。

これは当時の私とのやり取りですが。。。

沢山発売される写真のポーズをとることがとても苦手にしていた奈々未さんに、篠田麻里子さんの写真集を3冊プレゼントしたことがありました。当時それをとても喜んでくれて、毎日読んで勉強になってる、と話していました。そしてその中の1冊には麻里子さんのセミロング時代の写真集もありました。今の奈々未さんのヘアスタイルにとても似ていると思います。

運営からのキャラ設定には疑問を持ちながらも、トップアイドルになっていた篠田麻里子さんを強烈に意識し、追いつき追い越す気概のあった時代であったなと回想します。

そんなことを思い出す曲がこの曲です、

 

「ボーダー」

この曲をなぜ昨日やったのか。。。

もちろん妄想の域は出ませんが、2期生アンダーの曲としてとても良くできた曲であると思いますし、個人的に大好きな曲でもあります。なかなかライブで聞くことができませんが。

ボーダー6と呼ばれている2期生の中心にならなければならないメンバーに対するエールだったのかなと感じました。寺田さんはじめ2期生に対して、3期生が台頭してくる中で彼女なりに負けるな、というメッセージを発信したのかなと感じて聴いていました。

そういう後輩思いのところをサラッとできるのも奈々未さんのナイスなところだと個人的には感じていましたから。

 

あとは「生まれたままで」も同じくアンダーメンバーに対する彼女なりの愛情を強烈に感じましたし、セットリストのアンダーメンバーに対する配慮を感じました。そういうところが個人的には泣けるポイントでした。

 

それともちろん卒業コンサートのハイライトは白石さんとのやり取りや、手紙の朗読、そして最後の素敵なデュエットでしたね。

 



白石さんはもちろん初期には私も良く握手に行っていて話をしました。

とても意識の高いメンバーだし、奈々未さんと常にグループのリーダーとしての自覚のある人だと思っていました。

だから冗談で「まいやん推しになろうかな~」とか言っても全く相手にしてもらえず、「あなたはしっかりななみんを推しなさい!」と叱ってくれたり。本当に久しぶりに行っても、即名前で「にんにんさん久しぶり!ななみんとこれからも頑張るから応援してね!」と迎えてくれる素敵なメンバーです。

そんなやり取りから感じた白石さん、奈々未さんの存在はグループ内ではかなり重要なものではなかったかと感じていました。本気でAKBの公式ライバルとしてふさわしいグループになるためにはどうした良いか。超えるためにはどうしなければならないのか。そういう議論を2人はしっかりやっていたと思います。

だから、白石さんは戦友であり、奈々未さんの良い意味でのライバルであり続けたのではないでしょうか。野球で言えば「王、長嶋」(古いね!)、サッカーでは「カズとゴン中山」のように決して親友とかではなく、盟友であり戦友として存在し続けた2人ではなかったかと思います。

初期の2列目のシンメ時代の2人が個人的には大好きでした。






そんな2人のやり取りは卒業コンサートで強烈な印象と残像を残しました。

飛鳥さんの「私は2人が一緒にいるのが好き」というコメントが全てを物語っていました。

 



最後に。。。

 

橋本奈々未さん推しとして。。。

 

今回卒業が決まってから、個人的にはなかなか辛いことがありました。

しかし、それでも最後に生誕・卒業委員会の代表をやり切りました。

 

自分では、この3か月くらいの期間は特別なものでした。

それは、奈々未さんに何ができるかな、と考えることであり、現在過去の奈々未さんファンに何ができるかな、と考えることでもありました。

 

委員会には素敵なメンバーが全国、いや世界中から200名以上集まりました。

 



生誕委員会のあり方、委員長のあり方も強烈に意識しながらの3か月間でした。

 

全ての方に満足してもらえたかはわかりません。

やり方が良かったかもわかりません。

まして、奈々未さんが喜んでくれたかもわかりません。

どこまでも自己満足の世界です。




しかし、その自己満足が、少しだけ他己満足にも繋がり、しいては奈々未さんにも伝わったのかなと感じることもできました。







委員会の方々、本当にお疲れさまでした。

皆さんの良い思い出の一つになっていれば幸いです。

一部の方はまだ残務があり頑張ってもらっています、よろしくお願いします。



 





そして、5年半の橋本奈々未さん推しを終了します。

この5年半は個人生活の中でもいろいろあった時期でした。

そんな時にアイドルという仕事にチャレンジし、結果を出し続け、おじさんにも勇気をくれた奈々未さんには感謝の言葉しか浮かばないです。

 

忘れられない素敵な時間をありがとう。。。

今よりもっと橋本奈々未さんらしく幸せになってください。

邪魔にならないように密かに心の中で推し続けています。。。。
 

奈々未さんの名前は希望でした…








 
 
追悼
 
橋本生誕卒業委員会のメンバーで乃木坂創成期からのファンであったマリオさんが2018年9月14日にお亡くなりになりました。乃木坂全体のことをいつも熱く思い語ってくれる素敵なファンでした。このblogを通じてもご冥福をお祈りいたします。
そして、体調が悪く残念ながら参戦できなかった奈々未さんの卒業コンサートを天国で是非DVDで観てほしいなと思います。
 
合掌
 
 
 
 
 
 
 


乃木坂46は2011年8月に結成され、2012年2月22日に「ぐるぐるカーテン」でデビューしました。

私が乃木坂に行くようになったのは、SDN48ヲタク時代の友人から、「乃木坂っていう新しいグループが秋元さんプロデュースでソニーから始まる。可愛い子がいるらしいし、お見立て会に行かない?」という誘いからでした。私は正直SDN解散のこともあるし、AKBが絶頂期を迎える中で、厳しいなと思いましたし、さほど興味もなく新木場で行われたお見立て会に行きました。会場にはAKB流れのヲタクはもちろん、全く新しいグループということで始まりたい新規ヲタク候補も沢山来場し、2回あったセッションはどちらも3000人位のお客で会場は一杯だったと思います。

そして、お見立て会の最後には、暫定推しメンを決めた後に、個別に握手に行けるという企画でした。私の暫定推しは高山一美さんでしたが、握手では一番人気になっている状況でしたので、次に気になっていた橋本奈々未さんの握手レーンに並びました。ポイントは文学少女であること、ややおとなしそうでしたが芯の強さと、頭の良さを感じたからです。

握手では、好きだと言ってた本の話を少ししました。

その後MIXIというSNSで橋本奈々未さんと、若月佑美さん(友人が管理人になったので)を登録しておきました。現在の欅坂のようにあっという間に、全員のMIXIコミュニティが当時できたと思います。

その後、11月のZEPP東京で行われたイベントの後に、MIXIコミュニティの人たち4人と会い、2月の生誕祭の事を話ました。私以外の3人は受験生だったり、就活生だったりということで、自然とまとめ役は私がやることになりました。橋本奈々未生誕委員会のMIXIアカウントは2011年12月1日に始まりました。

その後生誕委員も約20名位にはなり、ソニープラザのイベントではスラムダンク風のTシャツを作るとか、アルバムを絵本風に(文学少女なので。。。)しようとかかなり具体的な話をしました。

 
そして、いよいよ乃木坂46デビュー曲「ぐるぐるカーテン」が2012年2月22日に発売になることが決まりました。当時の乃木坂運営は生誕企画書のようなものを出しても全く返事をくれることはなく、仕方なく発売当日に新潟で行われるミニ握手会でゲリラ的に生誕イベントを実行することになり、7名の生誕委員と新潟のイオンへ向かいました。

今も着ている赤いTシャツとお誕日おめでとう、と書いたうちわを用意し、ブリザーブドフラワーにデコレーションをしたプレゼントと生誕アルバムを連番しながら渡しました。


そして、忘れもしない、その後の私のヲタク人生を左右する会話が最後の10ループ目に来ました。その当時の奈々未さんはやややる気は前面に出てこないタイプ。今から思うと、まだ本当にアイドルを職業としてやる覚悟ができていないのではないか、と思えるような印象を個人的に感じていました。しかし、人の顔と名前を覚える速さや、会話の多彩さは当時から際立っていて、この人が本気になれば凄いアイドルになるかもなと予感をさせる雰囲気を持っていました。

「橋本奈々未の本気を見せてくれ!」と言うと、「いつでも本気だから!!!」と強い口調で返してきました。その表情は今も忘れられないし、私が橋本奈々未ガチヲタクになって推して行こうと決めた瞬間でした。

 

AKBの公式ライバルとして超えていくと言う当時は途方もない目標も、こういう人が本気を出したらもしかしたら、と感じた瞬間でもありました…



 
その後の活躍は皆さんがご存知の通りです。

 



握手券はコンスタントに100枚、一番多い時には200枚くらい奈々未さん分を取っていたと思います。プラス全国握手会になりますので、初期には接触する時間も長く取れていたなと思います。

生誕祭も2013年からは運営の承認の上、握手会場で行われるようになりました。

生誕委員会も乃木坂全ての横の連絡網を作ったり、委員会で面白いレーン装飾や生誕企画を競うようになり、乃木坂独自のスタイルが発展していきました。

 
私の橋本奈々未さん物語があるとすると、大まかに2011~13年、14年~17年の2つの時期に分けられると思います。

前半はひたすらに推し続ければ良かった時代です。

後半は体調面や、仕事の内容、グループ状況の変化、将来への模索などが入り混じり、私も握手をしながら変化を感じていた時代かなと思います。

 
ファンの立場なので、もちろん深く理解できるものではないのですが、時折見せる表情や言葉の中に変化と、何か戸惑いのようなものを感じていました。

 

私が乃木坂で一番好きなイベントは圧倒的にプリンシパルでした。他のアイドルにはない独自性があったし、過酷なガチオーディション方式の毎日の公演はメンバーもファンも緊張感がMAXになり、筋書きのないドラマをみることができました。

 

奈々未さんにも、3回のプリンシパルではその変化を一番感じたかも知れません。

第1回プリンシパルは、奈々未さんにとって最も重要な成長の時期だったと思います。

第2回目は成長から、スタイルの確立をした時期だったかなと思います。

そして、第3回では、体調がすぐれず、メンタル的にも不安定な時期だったかなと思います。その年の神宮ライブにも出られずに、悔しい思いと、将来へ不安を感じていた時期ではないかなとも想像していました。この頃「卒業」があるかもな、とも思っていました。

 

しかし、乃木坂は2015年に念願の紅白に出場し、飛躍の時期を迎えます。

 

 

 
 
 


一方で公式ライバルのAKBは初期メンバーがどんどん抜けてきた時期でもありました。



2015年~2016年は乃木坂にとって素晴らしい飛躍の一年になりました。

 
しかし、その頃奈々未さんはどんなことを考えていたのでしょうか。。。

握手券も取りにくくなり、私も話す機会は激減していました。

そんな中「悲しみの忘れ方」という映画が公開されました。

 

 

 


乃木坂のドキュメンタリー映画であり、メンバーによってはかなり掘り下げて描かれている作品でした。

その中に登場する奈々未さんは、内容そのものよりも、強調されたキャラ設定的な部分に非常に違和感を感じました。本人はどう思ったのかな、と少し不安になりました。

 

 

 


思えば、この頃は初期から比べると握手会で話すことも表面的は話しが増えていて、私自身も推し方や接し方が変わったなと思います。それは、良い悪いではなく、そういう時期になったのかなと言う感じなのです。

 

そして、その後も奈々未さんのグループ内でのキャラ設定は、私には違和感を感じることが多くなり、その矛先は運営にも向いていました。

 

誤解してほしくないのですが、このブログは奈々未さんが何故引退するのかを検証するものでは断じてありません。

 
いちファンが見てきたこと、感じてきたことを、ある意味個人の偏った見方から書いているのかも知れません。

 
沢山の握手をしてきても、いちファンが理解できることはとても限られています。

ほとんど妄想の世界です。

しかし、それがヲタク活動と呼ばれる趣味の実態でもあると思います。

 

そして、2016年10月19日運命のオールナイトニッポン放送の日がやってきました。

 

 


卒業ではなく、引退する。

その潔さに世間は驚き、絶頂期に引退する、ということが今もなお惜しまれています。

 

しかし、私を含めたファンは、奈々未さんらしいな、とも感じたはずです。


そのらしさ、とは何か、、、

 

初期の時期から変わらない人間としての、コアな部分なのかも知れません。


ぶれない何かを持っている人。

人に流されない強さと、用心深さを持っている人。

自分を客観視しながら、世の中の流れを見ている人。

 

私の感じる、らしさとはそんな言葉になります。

 

昨日2017年2月5日、パシフィコ横浜の握手会で、6回目であり最後の生誕祭と、卒業セレモニーを代表者として200人の仲間たちとしっかりと行ってきました。

 

 

 


 
奈々未さんに涙はありませんでした。

私もセレモニーでは涙は出ませんでした。(その後は内緒で。。。)


スピーチで語られた内容も実に奈々未さんらしいものでした。

そして、とても清々しいものでした。

 

 

 


 

2月20日には卒業コンサートがあります。

 

アイドル橋本奈々未さんの最後を見届けることは、私にとって、恐らく私自身のこれからの生き方を考えるヒントをもらえる気がします。私自身も生活や生き方が新しい何かに向かわなければいけないのだと感じている時期です。そんなことを遠回しに教えてくれる人だったのかなと感謝しています。 

 

 

 
 



橋本奈々未さんのファンで良かった。

今は心からそう思えます。

奈々未さんの5年半は乃木坂の成長・躍進そのものでした。

ななみん
ありがとう。