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旅歩き&美味しいもの探し人 byちゅーぐ

街歩きして、ホテルに泊まって、美味しいものを食べる。
それが私の旅スタイルなんです。
鉄道と飛行機旅が特にいいですよね〜。

今朝、ニュースを見て驚きました‼️‼️
小田原で昨日起きた殺人事件の被害者が、
以前勤めていたS社の同僚のKさんだったんです。

同じ職場にいたのは3年弱でセクションは違ってましたが、互いの業務をお手伝いし合っていたこともありました。

京都へ行った社員旅行では自由時間をご一緒して、有名な甘味を頂いたり、錦小路をブラついことを思い出しました。
Kさんが上位職だったこともあり、ご馳走になったことも何度もありました。

退職された後も、街で会うと(小田原は狭い街ですから)「ちゅーぐさ~ん、元気にしてる?」と明るく声をかけてくれました。

心より御冥福をお祈りいたします。
合掌。
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久々にプロゴルフツアーを観戦したくたり、
昨晩Webで情報収集!
静岡県裾野市東名カントリークラブで行われている、
LPGAスタンレーレディスにお一人様観戦してきました。

※選手の名前は敬称略といたします。

休みは簡単に5時起きできますね。
小田急線、御殿場線、ギャラリーバスと乗り継ぎ9時45分ごろ現地到着。
念のためにペットボトル茶とおにぎり2個を準備していきます。
(これは大正解!ギャラリープラザの食事&ドリンク購入は大混雑でした…)

まずは1番でイ・ジウ、藤田幸希、斉藤愛璃の7組のティーオフ観戦。
午前中はもっぱらOUTコースでパッティングを中心に…。
プロは同じようにショートしたりオーバーしたりするんですね。
流石ですね!

軽いお昼を食べた後はINコースでセカンドとサードそしてパッティングを…。
最後に18番でポテトチップスグリーンのパッティングを観て終了。

帰宅してからi-Phone見てみると、
トータルで13.9km歩いたようです。
久しぶりにいい運動となりました。

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天気予報は晴れとのことでしたが、残念ながら曇り。
クラブハウス右の奥に世界遺産の富士山が見えました。

気になった選手は…

最も華があって輝いていたのは、イ・ボミ。
主役オーラ出まくりで美形で…。
役者が違う感じです。
今年は賞金女王は硬いと思います。
彼女は軽く振っているように見えて、
飛距離も出るんですよね。
全盛期の岡本綾子みたいです。

ビューティー系は、まずウェアもお洒落な藤田光里。
そして顔が小さくて驚いた斉藤愛璃。彼女は飛距離も結構出ます。
飛ばし屋の藤田幸希と余り変わらないロングドライブを放ってました。

話題の香妻琴乃はもふもふぽっちゃりで可愛いんで、
沢山のギャラリーを集めてました。
打ち上げの2番ホールでボギー続出する中、下り長めのパットを決めてナイスバーディー!
嬉しそうにしている姿が印象的でした。

モデルさんみたいなのは木戸愛。
背も高くて足もスラッとしててフォトジェニック系であります。
今回は初優勝有るかも知れませんね。

金田久美子はファンになっちゃいました。
ホール間はギャラリーと視線を合わせないようにしている選手が多い中、
(集中する為でしょうね)
彼女は自然体で偶然目が合ってしまいました。
目礼をすると彼女はニコッと返してくれたんです!
そして14番では華麗なチップインも披露して…。
見た目はマイルドヤンキーにも見えるんですが、
サービス精神が旺盛なんでしょうね。

アマチュアの永井花奈は佇まいがいいですね!
堂々とプレーしていて、これからどんどんと伸びて行きそうな感じがしました。
(有村智恵を初めて見た時とよく似た雰囲気でした)

勝みなみ、新垣比菜と切磋琢磨して頑張って欲しいものです。

最終日の明日は天気予報が余り良くありませんが、
いいプレーを見せて欲しいと願っています。
当然、自宅観戦ですが…。

ヒロインは誰になるのでしょうか?
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TDL開園の年に初めてアメリカへ行き、
憧れだったディズニーランドにも行ってしまうという
「バブル」を味わった私はディズニーの虜となってしまった。

当時、学習塾をやっていたので都民の日や学校の創立記念日に
生徒たちとディズニーランドへ「遠足」と称して出かけていた。
これが年に2回ほど。

女の子や友人たちとなるべく空いている日を見計らって、
出かけていたのが年に2~4回ほど。

夏は納涼会と称して、友人たちとスターライトチケットで入場が年1~2回ほど。

都合年間5回以上出かけていた…。

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当時、気に入っていたのが
ライドではスペース・マウンテンとカリブの海賊。
必ず複数回のライドが当然だった…。

ショーでは、ダイアモンド・ホースシュー・レビュー。
当時は食事をしなくても鑑賞できた。
外国人キャストが盛り上げていた。

飲食系では、
イーストサイド・カフェ(当時はコース料理ではなくもっとカジュアルだった)。
アールヌーボー調のインテリアが好きだった。
ユーハイム・コンフェクショナリー、ここではちゃんとしたケーキとコーヒーでティーブレイク。
コカコーラ・リフレッシュメント、アメリカのディズニーを彷彿とさせるホットドッグがいただけた…。

私たちのパターンとして、
朝パークインしてすぐにホットドッグとフレッシュオレンジジュースで朝食。
昼食はその日の流れで…。
午後3~4時にユーハイムでお茶。
夕食はイーストサイド・カフェでゆっくりと。
そんな感じだった。

結婚しても子供が生まれる前は、
納涼スターライトは行っていたと記憶している。

そして、子連れディズニーランドの時代へ…。
ディズニーランド&シー、私は特にシーが大好き。
現在は行く気さえあれば何時でも行くことは出来る。
そんなことは当たり前…と思っている。

でも私が中学生~大学生だった1970年代は、
こうした現在を想像だにしなかった…。

ディズニーランドはアメリカ本土にあって、
万が一行くことが出来たらそれは本当に幸運なこと。
誰しもそう考えていたと思う。

中学時代の英語教科書、開隆堂刊「New Prince Readers」で
“Visiting Disney Land“というチャプターがあった。
(確か中3だったと記憶している)
その中で女主人公のPearlがL.A.在住の親戚宅を訪問し、
アナハイムにあるディズニーランドで遊ぶという件だった。
(別チャプターでWalt Disneyがミッキーマウスを生み出す
話も描かれていた)
Pearlは親戚とDisney Land Hotelからモノレールで入園し、
1日を心から満喫する様子が描かれていたと思う。
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そりゃあ掻き立てられるし、脳みその中は沸騰しますよね!!
でも現実的に行けるわけね~よなぁ…、とも思ってました。

高校と大学でもその思いをず~~と引きずっていました。
実際、同年代の女の子に聞いてみると、
「一番行きたい場所はディズニーランド。それもハネムーンで行ければ最高」
そんなことをいう子が結構居たんです。
でも飽くまで願望であって、叶うなんて思いもしなかったかと。

日本にディズニーランドが出来る!?
私が大学を卒業した頃に最終的に決定し、
翌年浦安市の現在地で着工されました。

「東京ディズニーランドって言うけど、千葉じゃん」
そんなツッコミが多く聞かれましたが、本音は飛び上がらんばかりの嬉しさだった!
そして完成を一日千秋の思いでというのは大袈裟ですが、
首を長くして待ちました…。

今から32年前の1983年4月に、
「東京ディズニーランド開園!」
そして私にとってディズニーが爆発するように現実となった
“Epoch Making Yea 1983r“でありました。

開園当初、ニュースでは入園規制と予約というキーワードが
何度も何度も流れました…。
「何時になったら行けるんだろうか?」と思っていましたが、
旅行代理店を経営しているKさん(中学校の先輩)から
平日に旅行業界で視察日と称して遊びに行くから参加しないかとの誘いを受けました。

休暇を取り、Kさん達が引き上げた後に一人では寂しいので、
近所に住む後輩女子AEを誘い出しました。

そして当日!
貸切バスで向かいましたが、整然とされた誘導に驚きました。

入園!
今までの遊園地(テーマパーク)との質の違いに度肝を抜かれました!

アトラクション!
確か最初に乗ったのはカリブの海賊、ただただ感動!
ジャングルクルーズ、蒸気船マークトウェイン号、
カントリーベアージャンボリーなどなど

飲食!
コーヒーが確か150円だったと思いますがちゃんと飲めると驚き。
カレーを食べ、ポップコーンをつまみ、ケーキを食べた。
案外とリーズナブルでまともな内容だと思った。

カストーディアル!
当時では歩きながら喫煙でき、私も喫煙者でしたので、
吸い殻をポイ捨てするとあっという間に片付けるさまに感服。

トイレ!
綺麗さにびっくり。Kさんは「ここで弁当食えるよね。でも持ち込めないけどね」
と妙な名言を残した。

ともあれ既存の施設との哲学の違いを見せつけられた感じがした。
事実閉園に追い込まれた施設は多かったと思う。

当日は平日のみ有効なパスポート(¥3900:ググりました)で、
Kさん達の引き上げ後、意外と空いていた園内でスペース・マウンテンに
3連続乗車するなど生まれて初めてのディズニーランドを満喫しました。

ちなみに、
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当時、土日祝日と繁忙期はパスポートは販売されず、
ビッグ10(¥3700)という入場券とAからEまで10枚のチケットがセットされたものだけだった。
カリブ、Jクルーズ、SマウンテンなどはEチケットで3枚しかなかった。
不足分は¥400円で購入することになっていた。
結果、EとかDはすぐに無くなるが、AとかBは余ってしまう。
実際私も当時のチケットの余りを未だに持っている…。

そしてその年の夏、
友人TKとアメリカ旅行(ほぼ自由旅行)に行き、
アナハイムにある本家Disney Landへも行ってしまった!
私にとってのディズニー大爆発!!の年となった。

それも英語の教科書と同じ、
Disney Land Hotelからのモノレールで入園を果たした。
あの時見た光景と高揚感は今でも良く覚えている。

http://ameblo.jp/satchugun/entry-10945690258.html
米国西岸縦断3 ディズニー&怖い夜
で書いていますので、よろしければ。

ティキルームやカントリーベアーなど日本と同じアトラクションもあったが、
潜水艦やボブスレーなど東京には無いものもあった。

シンデレラ城ではなく眠れる森の美女の城だったり、
ワールドバザールではなくメインストリートに屋根はなかった。

フレッシュのオレンジジュースとピクルス入れ放題の
ホットドッグはとても美味しく…。
ともあれ長い間の夢を叶えてハッピーな時間を過ごした。

その2に続く…。
現在の千葉ロッテマリーンズ。
私の記憶では、東京オリオンズ→ロッテオリオンズから現在のマリーンズへ。
そうでした…。
(東京の前は映画の大映がオーナーでした)

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東京の下町、足立区南千住に「光の球場」とも呼ばれた
オリオンズの本拠地「東京スタジアム」がありました。

私は一度だけ、父ケソスケ氏に連れられて行ったことがあります。
対戦カードは、東京オリオンズVS東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)でした。
(何故憶えているかというと、東映の先発があの浪商出身の大投手尾崎さんでした)

町工場と木造住宅が立ち並ぶ中に、
メジャーリーグのボールパークを模したスタジアムが威容を誇っていたかと…。

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それから10数年後、
アメリカ旅行の際にサンフランシスコとシアトルでメジャーリーグ観戦をしました。
サンフランシスコのキャンドルスティックパークで…!

現在の本拠地はAT&Tパーク(バリーボンズのスプラッシュ弾で有名になり、
今年は青木宣親選手が活躍していますね)
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クルクルとスロープを上って観客席にたどり着く感じが何だか記憶あるような…。
後に分かったのですが、スタジアム建設した大映の永田オーナーが
このキャンドルスティックパークを手本にしたそうなんです。

そういえば、観客席の椅子が洒落た樹脂製だったり、
内野ダイヤモンド内にも芝が貼られていたりと、
昭和30年代に作られたとは思えない本格的なものでした。
(前回も書きましたが、後楽園は木製椅子、神宮は土管状のものでしたから…)

ホームランが出ると、スコアボードに「HomeRun」電飾サインが点灯された。
さらに選手向けの施設も充実していたようです。
永田オーナーの夢を具現化したものだったんですね。

可能ならあの時代に戻って、もう一度東京スタジアムをじっくりと眺めてみたい気がする。

おまけ
シアトルのキングドーム
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もう一箇所行ったのがココ。
ヒューストンのアストロドームに続く、世界で2番目のドーム球場。
今は隣地にセーフコフィールドが建設されて、解体されてしまいました。
(セーフコはイチロー、佐々木大魔神、長谷川そして現在は岩隈が活躍しましたね)

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観戦前にはドームツアーにも参加しました。
フィールドに立ったり、バックヤード(ロッカールームなど)を巡りました。
コンクリートの印象が強いボールパークでした。
後楽園球場1
今でも何となくジャイアンツが好きなのは、
父ケソスケに連れて行かれた初プロ野球観戦が後楽園球場だったせいだと思っている。

多分小学4年生か5年生。
父ケソスケ(ケソ父)と後楽園球場へ行った。
当時の球場は今の東京ドームとは全く違い、
都会のガード下みたいな雑然とした雰囲気だったと思う。
椅子も濃緑色にペンキ塗りされた座面跳ね上げ式の木製ベンチ。
足元はびっくりするほど狭く、小学生の私でも膝が前席の背もたれに届く感じ。
相手チームは多分大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)だったような…。

私にとって野球の内容はどうでもよく、
というよりルールすら知らなかったし…。
途中で買ってもらったホットドッグとコーラの味をよく覚えている!

ホットドッグはカレー味の炒めたキャベツがアクセントとなったもので、
初めての味わいに衝撃を受けた!
父ケソは、
「美味いだろう!」と嬉しそうな顔をして
ビールをグイッと飲んだ様子が記憶に残っている。

コーラも今と違いそう滅多やたら飲めるものではなかったので、
紙コップに被さったアルミホイルを開けて飲んだ美味しさは鮮烈だった。
当時から食い意地の張った私なので、
殆どは飲み食いの記憶だが球場設備で鮮烈に覚えているものがある。

後楽園球場2
ホームランが出ると、
センターバックスクリーンにある噴水が上がること。
それも色とりどりのライティングとともに!
美しかった!!
(フコク生命の広告もなんだか覚えている…)

噴水が無くなったのは、いつの頃だか分からないが…
恐らく下の芝生がびしょ濡れになってしまい守備に支障を来たしたのだろうか…。

その後はスクリーン映像による演出は見たことがある。

天然芝から人工芝へ。
木製ベンチから樹脂製のカラフルな椅子へ。
手書きボードから電光掲示板へ。
後楽園球場は時代とともにアップデートされていった。
そして息子の生まれた27年前(1988年)に東京ドームとなって解体された。

随分と主としてジャイアンツ戦を見に行ったと思う。
・江川が胴上げ投手になった優勝決定試合。
・全盛期の堀内、新浦、高橋一三各投手の眼が覚める投球を間近で見たこと。
・長嶋・王の活躍(勿論ホームランシーンも!)をこの眼で見たこと。
・甲子園のヒーロー太田幸司投手入団1年目のピッチングを見たこと。これは本当に歓声が物凄く、1球ストライクを取るたびに球場がどよめいていた。
そんなことを思い出します。

ところで今日はジャイアンツ勝ったのでしょうか?
坂本が遅い第1号を打ったのですが…。
大学のヒーローもいつまでも大学生という訳にはいきません。
「リオ」で?IHI(石川島播磨重工)に入社した筈なんですが…。
まあ細かいことは気にせずに…続きシリーズではなく基本単発ものですから。
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社会人シリーズでは父親の久太郎さんが、
まるで後年の「寅さんシリーズ」登場を予感させるような役回りですね。
もっとも東宝と松竹で違いますが…。
先ごろお亡くなりになられた愛川欽也夫人のうつみ宮土理(ケロンパ)さんや
NHKの現在の朝ドラ「まれ」の主人公祖母役の草笛光子さんなどがマドンナ役です。

青大将は色々と絡んできますが、
基本はセクハラ好き若き役員として描かれています。
「僕の秘書にならない?給料は今の倍出すから。」
そんな決め文句が面白い…。
会社のロケ地は日比谷の東宝ツインタワー、南青山の富士フィルム、
東銀座にあった日産本社などが使われていますね。
日産自動車は日東自動車として描かれて、
全面的に協力しています。

航空会社は大学シリーズに引き続き、パンナムですが
1981年公開の最終作「帰ってきた」ではJAL(日本航空)になっています。
世界の盟主だったパンナムの経営状態悪化が見て取れるようです。
(余談ですが、私は1985年にホノルル線搭乗が最初で最後でしたが、サービスが荒れている感じを持ちました。すぐその後に太平洋線をユナイテッド航空に売却し、縮小路線で再起を図りましたが、90年代初頭に破綻してしまいました。インターコンチネンタルホテルを運営していたのもパンナムで、パンナムで飛びパンナム系列で泊まるというモデルを確立させたんですって)

若大将という称号をランチャーズメンバーだった大矢茂夫さんに譲るつもりだったようですが、興行収入が伸びずに1作品(若大将対青大将)で終了となりましたね~。
大矢さんはググっても引っかかってきません…今は何をなさっているのでしょうか?

マドンナ役が星由里子(澄子)さんから、
酒井和歌子(節子)さんに変わっています…。
シリーズ撮影時は恐らく20代前半と思われますが、
嫌味がなく透明感のある美しさだと思います。
(これまた余談ですが、酒井さんは大学の友人TKの姉上の同級生だと言うことを思い出しました)

・フレッシュマン若大将(1969年)
若大将が就職面接に行く途中に節子さんとタクシー乗車で知り合います。
でも冷静に考えて都内で面接に行く学生が会社までタクシーに乗るなんて有り得ませんねぇ。
その上面接に遅刻して、おじさん(実は社長)に面接した経営陣の悪態をついてしまうって…。
それで晴れて就職決定!
「男は黙ってサッポロビール」という就活都市伝説の原点なんでしょうかね。

・ニュージーランドの若大将(1969年)
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オーストラリアとニュージーランドが舞台という壮大な展開です。
節子さんとは羽田から乗ったタクシーで又しても(?)知り合います。
ニュージーランドのヘリコプタースキーのシーンがとても映えますね。
同時上映がザ・タイガースの映画だったんですね。

・ブラボー若大将(1970年)
この作品で珍しく若大将は恋人に振られ、仕事で行き詰まるという珍しい設定になっています。
会社を辞めてグアム島で現地ツアーガイドとして働いていて節子さんと知り合います。
ロケが現在は無いフジタタモンビーチホテルで行われています。
(余談ですが1994年に友人家族と16名でグアムに行った時に、このホテルにビーチBBQに行きました。旧き佳き(?)南国のリゾートホテルといった趣でした)
最終的には若大将の提案した住宅を販売する会社の経営者に収まるという大団円。
お世話になった社長(熊倉一雄さん)がホンダS800に乗っていて格好いいですね。

・俺の空だぜ若大将(1970年)
若大将は青大将のパパが経営する建設会社の社員という設定。
スカイダイビングがストーリーの軸となっています。
この作品から2代目若大将へバトンタッチという流れになっていますが、
前作の興行収入の半分くらいでしたのでまぁ失敗作なんでしょうね。
強引な展開で面白いのは、青大将パパの所有する島(伊豆諸島のようです)で、
青大将が節子さんを口説いている最中にマムシに咬まれてしまうことです。
そしてマムシの血清を届けるために、2代目若大将(大矢さん)が初めてのスカイダイビングを敢行して成功そして青大将も命拾いというところですね。

・若大将対青大将(1971年)
実質的な若大将シリーズの最終作品です。
2代目の大矢さんに称号を譲り…次回作を乞うご期待…という予定は脆くにも潰えたようです。
(クレジットは大矢さんがトップ、加山さんがラストとなっています)
マドンナ役は吉沢京子さん(柔道一直線でもマドンナでしたね)。
2代目を前面押しの証明でしょうか、田能久の店も久太郎さんやりき婆ちゃんも登場しませんね。
青大将も2代目に譲ろうとしましたが、候補者(高松しげおさん)に見事に断られていますね。
ということは、次回作が作られたとしたら青大将は田中さんだったのでしょうか?

・帰ってきた若大将(1981年)
加山さん芸能生活20周年と前作から10年というメモリアル若大将単発物です。
マドンナ役は坂口良子さん(合掌)。
南太平洋(ロケ地はハワイ?グアム?)とニューヨークが舞台。
田能久が再登場して、ロケ場所は神田藪蕎麦の旧店舗。
(先頃、消失した店舗が再建なったそうですね)
懐かしいグラビアアイドルのアグネス・ラムさんも登場しています。
残念な事にお婆ちゃん役の飯田蝶子さんは逝去されていて、
写真での出演となっていました。
アメリカ合衆国大統領補佐官あっさりと知り合って、
一緒にニューヨークシティマラソンを走ります。
青大将は間抜けな手紙の後始末で、東京・成田・ニューヨークを駆け回ります。
性格の悪い郵便局役でなべおさみさんの憎たらしい演技が光っていますね。
同時上映が加山さんの息子世代のたのきん映画「スニーカーぶるーす」というのが
時代と世代交代を反映していてとても興味深いと思います。

最後の余談ですが、
私の弟がかつてスノボをしに湯沢にあった(数年前に閉鎖されたようです)加山キャプテンコーストスキー場にちょくちょく行っていました。
当時はスノボを許可してくれるスキー場が少なく、そこは早い時期に解禁していたそうです。
ゲレンデなどで何度も加山さんとお会いするうちに、
「今日も来てくれたんだ、ありがとう」
と挨拶を交わすようになっていったようです。
「気さくで偉ぶらずフレンドリーなスポーティおじさんだったよ」
とは弟の言葉。

若大将シリーズは今回で最終となります。
ありがとうございました。
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若大将シリーズを通して、
好敵手(ライバル)??として登場する青大将(田中邦衛)。
大企業の御曹司で母親を早めに亡くしたと想像できる、
父親を「パパ!僕頑張っているよ…」と甘え発言を連発しています。

女性に自分をアピールするときも、
「僕のパパは社長なんだよね」との戯けぶり…。

ただファッションは時代を先取りするがごとく
オシャレであります。
そして愛車は学生編では終始一貫してオープンカー!
ルノー・カラベル、MGB、トライアンフ、ダイハツ・コンテッサなどなど
特に日産フェアレディ(SR311)は最高に格好よかったですね!

金持ちのボンボンでオシャレでイイ車に乗ってちょっと頭がね…、
今の時代に生まれていたならば絶対にモテたでしょうね!
女性のとっては扱いやすい「バカボン」ですから…。

そんな彼も社会人編では、
セクハラ大魔王に変身しています。
どうやらいい時代に生まれたようです。
今なら取締役退任&慰謝料で大変なことになっていたでしょう。

・歌う若大将
これはどう見ても同時上映用の穴埋めコンサート映像にちょっと足し込んだもの。
若大将シリーズのグリコのおまけ(旧っ!)。

・レッツゴー若大将 1967年
スポーツの主題はサッカーで、若大将の口癖が「レッツゴー」というだけの安易な題名。
サッカーの国際試合で使用されるボールが小学校の体育授業で使うような
模様も無いショボいものというのが当時のサッカーの認知度を表しています。
香港財閥の娘に気に入られ、マカオでギャンブルに負けた青大将を
ヘリコプターで救出に向かうという唐突なストーリーがイイですね。
澄子さんも勤務先にバカボンにセクハラに会いまくり…であります。
昭和の映画の醍醐味でしょうか。

・南太平洋の若大将 1967年
タヒチロケとはすごいですね!
それも澄子さんが青大将のアプローチから逃れるために、
パンナムのタヒチ支店に異動を希望したと大嘘を付くというもの。
本当に荒唐無稽で楽しい!
青大将がホノルル空港の税関で生わさびサンドを止むを得ず食べるというシーン、
無理繰り挟み込んだストーリー展開が素晴らしいです。
ここでは京南大学ではなく日本水産大学の学生となっています。
大学キャンパス内に水族館が併設(昔の江の島水族館!)も強引ですね…。

・ゴーゴー若大将 1967年
ここでのスポーツはラリーです。
若大将と親友江口(江原達よし氏)がブルーバードSSS(510型)で、
関西や中部を駆け回ります。
鈴鹿サーキットや名古屋城が登場して、日本紀行風のストーリーですね。
吉本新喜劇の桑原和男さんがダンプの運ちゃん役で登場し、
今なら「脅迫罪」「傷害(殺人)未遂罪」に当たる行為を行います。

・リオの若大将 1968年
若大将学生編のフィナーレを飾る作品。
今でもなかなか行けないブラジルへとは思い切ったものですね。
予算面かスケジュール面か分かりませんが、
ヒロイン澄子さんはブラジルロケに参加していませんね。
(二人がリオで会う最後のシーンは引きの画で、澄子さんを代役が演じているようです)
学生編大団円として、若大将はIHI(石川島播磨重工)に就職しています。
そして星由里子さんも最後の登場ですね。
コパカバーナ海岸でのローカルチルドレンとのサンバセッションがいいです。

次回は最後に社会人編です。
WOWOWで放送された若大将シリーズを録画して、
順番に通しで見ていくと気になるサブキャラが…。

・寺内タケシ
言わずと知れたエレキギターリストの嚆矢の方。
茨城出身で朴訥とした喋りと卓越したテクニックのギャップに
驚きます。
蕎麦屋出前持の「タカシ」役で出演した「エレキの若大将」では、
見事な棒読みセリフが凄かった。
50年も「ブルージーンズ」と続けているレジェンドミュージシャンですね。

・ジェリー藤尾
やはり「エレキの若大将」で、ライバルバンドで銀行頭取の息子役で登場。
ビートルズ風のミリタリーファッションが懐かしい。
この頃お見かけしませんが、お元気なんでしょうか?

・内田裕也
「ロッケンロール」「シェゲナベイビー」のおじさんが、
エレキ合戦の司会者役などで登場しています。
つまらないダジャレをかましながら、今との違いを楽しめます。

・左卜全
「老人とこどものポルカ」で「ドゥビドゥバー…」と歌っているお祖父様。
昭和の時代に一人だけ江戸時代の老師が混じっている感じがいいですね。

・上田吉二郎
昭和の有名な悪役スターで、独特の笑い声が耳に残っています。
かつてはお笑い芸人がモノマネをよくしていましたね。

他にも、浜木綿子(俳優香川照之の母上)、中尾ミエ、イーデス・ハンソン、
宝田明(陳さんという香港人役で)、今東光師、桑原和男(吉本新喜劇の現役役者)などなど
気になる方がたくさんおりました…。

・海の若大将 1965年
若大将の実家であるすき焼き店田能久が浅草の今半と分かりますね。
懐かしいのは青山にあった深夜スーパーのはしり「Your's」。
叔母が南青山に住んでいたこともあり、ココとドンクは何度も行った記憶があります。
クルーザーで航海して(何と加山さんの光進丸!)、嵐で難破して離島の漁師に
救助されるといういささか無理のある設定が面白い。

・エレキの若大将 1965年
若大将シリーズが最高潮を迎えている時代の一作で、私も大好きな作品の一つです。
若大将3
田能久が倒産したり、田沼雄一とブルージーンズがデビューしたりと、
相変わらず荒唐無稽で面白い!
青大将が結構平気で飲酒運転しているのが、
時代を反映してもいますね…。
日光レークサイドホテル(これは東武系ですが)で、
若大将が澄子に「君を想って作った」という
「君といつまでも」を何故か戦場ヶ原にワープして歌い、
更には初めて聞いた澄子がデュエットしていまうという「考えられない」展開がいいですね。
お決まりのラスト間際のアメフト(勿論相手は西北大学!)試合に、
ヘリコプターで乗り付けて逆転を果たしてしまう予定調和も素晴らしい!

・アルプスの若大将 1966年
若大将である加山さんの代名詞であるスキーがストーリーの中心になっています。
若大将4
スイスのツェルマット、オーストリアのウイーン、イタリアのローマという
欧州ロケーションは当時としては画期的なことだったんでしょうね…。
澄子はパンナムのCA(当時はスチュワーデス)役で颯爽と登場しています。

大相撲の千秋楽で「ヒョーショージョー」と読み上げる姿が記憶に残っている
ディビット・ジョーンズ氏(当時のパンナム極東支配人)や、
トニー・ザイラー氏(超有名なスキーヤー)がサラッと登場しています。
苗場へ合宿に行く若大将を見送りに行くために、青大将(田中邦衛)を足代わり(古い言葉でアッシー君)にして、道交法違反を平然とさせる澄子の根性悪さが浮き彫りにもなっています。
星由里子さんは「澄子の性格はどうしても好きになれない…」と後日のインタビューで
語っていたそうですが、そりゃあそうだと納得しますよね。

赤マムシ氏に誘い出され、ゲレンデの四阿で襲われた澄子を助ける際のセリフが
「山で変なことする奴は許さないぞ!」でした。
なんと爽やかなセリフ!
前にホイチョイ・プロダクション著作の本でそこに触れていたことを思い出しました。
“そんなこと言ったら苗場ブリンスに泊まっているカップルは全員許して貰えない…”
確かそんなニュアンスでした…。
でも若大将は清く正しく格好よく爽やかがモットーなんですから…。
したがって現代に若大将存在し得ないという結論に達しますね。
若大将2

若大将シリーズでは結構唐突に歌い始めることが多いですね。
日本的予定調和喜劇にミュージカルのエッセンスがちりばめられてるんです。
今の時代だったらツッコミ所満載ですが、
当時は普通というか熱狂的に見ていたのでしょうね…。
だから妙に癖になってしまいます。

そんな加山楽曲ですが、
時代の変遷をというかトレンドを捉えていますね。

歌謡曲テイスト 君といつまでも 夜空を仰いで いい娘だから
ハワイアンテイスト お嫁においで
プレスリーテイスト 恋は赤いバラ
グループサウンズテイスト 夜空の星 幻のアマリリア
ベンチャーズテイスト 蒼い星くず
フォークテイスト 旅人よ
カントリー&ウエスタンテイスト 走れドンキー
アメリカンポップステイスト あの日渚に 美しいヴィーナス
他にもビートルズテイストやロカビリーテイストが本編の中で歌われています。
若大将シリーズが洋楽の入口になっていたのかも知れませんね。

・日本一の若大将 1962年
これも国土計画(プリンスホテル)協賛しています。
当時の箱根園が出てきます。
芦ノ湖で海水浴ならぬ湖水浴しているのには驚きました。
加山さんが恐らく代役なしで水上スキーをしています。本当に運動神経のいい方なんですね。

・ハワイの若大将 1963年
遂にパン・アメリカン航空が協賛に登場します。
日本人の憧れの地ハワイ・オアフ島が舞台になっていますので、
映画館のボルテージは上がったんでしょうね。
確かハワイ旅行は今の貨幣価値で数百万したそうですから…。
就航間もないらしきジェット機ボーイング707型機が出てきます。
羽田空港の送迎デッキでの旗をふってのお見送り・お迎えは懐かしい。
私もヨーロッパ旅行する祖父を一家総出で見送り・迎えした思い出があります。
そして若大将がタラップを降りてくるときに下げている、
フライトバッグ(エアラインオリジナルショルダー)!
当時は国際線の記念品だったのでしょうか?
件の祖父も日本航空の物を大事に所持していました。
当時のワイキキは随分とのんびりしていた様子が、
画面からよくわかりますね。
ヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジが当時からあったことに
かなり驚いてしまいました。
私の好きな若大将シリーズの一作でもあります。

※映画に何度も登場する(ブルージーンズやランチャーズで)、
加瀬邦彦さんが昨日逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申しあげます。
ワイルドワンズの楽曲もいい曲が一杯ありますね。
日劇閉館時に開かれた「ウエスタン・カーニバル」
一度だけですが邂逅させていただきました。
合掌。