学校を舞台にしたエンタメ作品は多い。
一方で、題材の多くは部活や恋愛で、教育や教育を取り巻く業界を題材にした作品は意外にも少ない。

本記事では、そんな作品の中でも教育業界で働いていた時に少なからぬ影響を受けた、または教育理念として共感する小説について扱う。

1作目は月村了衛氏の『白日』。
主人公の秋吉は老舗出版社の教育部門の課長。
大手進学塾、IT企業と提携して通信制高校を創設するという社長肝入りのプロジェクトを担当している。

秋吉の上司である梶原の息子が不登校になった後に自殺したという疑惑や、梶原の文科省との癒着疑惑を発端に、プロジェクトの成否を巡って「専務派」との派閥争いや密告合戦が繰り広げられる。

この様子は同時期に劇場公開された映画『騙し絵の牙』と同様、レガシーな会社である出版社を舞台にしたやり手社員による仕掛けモノ、派閥争いモノとして面白い。

また、秋吉の「娘を思いやる父の苦労」や、教育部門の「組織内で冷遇されるチームであるが故の連帯」、梶原という「圧倒的なやり手のボス」といった要素は、『機龍警察』シリーズをはじめとする月村作品ではお馴染みのものだ。
 

さて、秋吉達が進めているプロジェクトは、不登校やひきこもりの生徒であっても新開発のインタラクティブ・VRシステムを活用することで自宅でも勉強ができるばかりか、カリスマ講師陣の指導によって一流大学への進学も目指せるというものだ。
リアル校舎や文化祭等のイベントはあるものの、登校や参加は義務ではなくあくまで生徒の意思に委ねられている。

フリースクールの運営方針を参考にしているだけあって生徒の意思や自律性を最優先するのはもちろんのこと、学歴や学力に対する生徒や保護者のニーズも満たすことができるのだ。

実際にはオフラインでしか実現できない教育上の価値もあるので何かしらの補完は必要だと思うが、スキームやビジネスモデルを含めて本作のアイデアを参考にしながらクライアントへの提案を考えたことがあるくらい影響を受けている。

いずれにしても、社内の派閥争いだの大人の都合じゃなくて学習者の便益を第一に考えろ!と本作の登場人物達には言いたくなる。
自身の娘が不登校を経験した秋吉がそれに気付く場面ではグッとくる。

 

 

2作目は藤井太洋氏の『オーグメンテッド・スカイ』。
鹿児島県立南郷高校の理系学科の男子寮を舞台にした作品だ。

この寮は軍隊式の生活を寮生に強いる、実に封建的な場所だ。
しかも、学校や教員が強制するのではなく、「自治」という名目の厳しい先輩後輩関係がそれを支えている。
また、寮生の多くは同調圧力やマッチョイズム、女性蔑視やルッキズムを隠そうともしない。

さて、寮では「VR甲子園」への出場が伝統となっている。
高校生がVR空間を作成し、技術・着想・演出・芸術の4つを競う大会だ。
南郷高校は一度、全国大会でベスト8の成績を収めた実績がある。
ドローンで記録した学校の映像をマッピングする等、寮の人手をふんだんに使った3Dステージを強みとしている。

主人公・マモルの先輩である3年生も喜び勇んで出場し、同じ戦法で全国大会の再出場を狙うが、鹿児島県大会の初戦であっけなく敗退してしまう。
技術点こそ低くないもののそれ以外が揮わず、胸を打つ作品を作った女子校に敗れたのだ。
残念なことに強みだったはずの技術点ですら負けている。

理系科目や機械いじりは男子が得意であるとされ、だからこそ政府は「リケジョ」を増やそうとする。
かつて学校で「技術科」は男子、「家庭科」は女子しか学べない時代があった。
しかし、当然のことながら理系科目や機械いじり、技術は男子の専売特許ではないし、そもそもそれらだけがあったところで太刀打ちできないことが世の中にはあると痛烈に思い知らされるエピソードだ。
男子寮ならではの人海戦術があったとて同じことなのだ。

寮生活では、毎朝のランニングや腕立て伏せ、毎晩の私語厳禁の学習時間が強制されている。
にも関わらず体力や学力が寮生活前より下がる生徒が現れる。
それは強制された運動や学習には効果がないことを読者に訴えかけ、筆者の経験に照らしてもまったくの同意である。

 

 

先輩達のVR甲子園敗退&引退の後、新しい寮長となったマモルやその友人達は、寮に残る理不尽なルールを改廃し、後輩に対しては「シゴキ」ではなく対等な対話を重んじる。
このような「公正であろうとする」という人物描写の清々しさは、藤井作品に通底する魅力だ。

また、マモルは先輩同様、VR甲子園への出場を考えるが、運営の方針に違和感を覚える。
SDGsをテーマにしていながら、「ジェンダー」がテーマから外されていたからだ。

そこで、アマチュアVRの世界大会「ビヨンド」への出場を決意する。
先のVR甲子園で南郷高校を破った女子校、永興学院の面々と共に。

ビヨンドの出場準備のため、マモルは永興学院の生徒達との打ち合わせを重ね、同志となっていく。
周囲は邪推するが安易な恋愛関係に陥ることはない。
このような男女関係の描き方も藤井作品らしい。

VR甲子園でも優れた成績を残した永興学院だが、使っているデバイスはGIGAスクール構想で配布されたと思われる低スペックのタブレットPCだ。
「環境に恵まれなくても自前のアイデアを持ち、根気強く挑戦して成果を出すキャラクター」というのもまた、藤井作品によく登場する。
本作で言えば南郷高校の教員である佐々木もそうだ。
欧州原子核研究機構で勤めたことのあるエリートでありながら、コロナ禍で国からの研究費を打ち切られたことで失業。
母校である南郷高校で教員を勤める傍ら自身の研究を欠かさず、毎年論文を発表する在野研究者だ。
強がりも込みで「紙とパソコンで、加速器とスパコン使ってる連中と殴り合ってるよ」と語る佐々木は、高度な数学を生徒に教えるだけでなく、たとえ学校を卒業しても研究機関に属さなくても勉強は続けられるということを背中で教えてくれる、理想的な教師だ。

 

 

ビヨンドに出す作品を作る過程で勉強を疎かにしていたマモルだが、不思議なことに模試の順位は上がっていく。
世界大会であるビヨンドに出場するには英語による情報収集が欠かせず、シナリオをブラッシュアップする過程では現代国語が必要になり、テーマであるSDGsを調べるうちに現代社会の知識も付くからだ。
「ほぼ捨てていた」という数学と生物、化学もついでに伸びている。
これこそが総合的な学習(探究)の極みである。

藤井作品でもう一つ忘れてはならないのが、「ガジェット」を用いた「移動」という見せ場だ。
本作にもそのような見せ場がちゃんと用意されている。
南郷高校と永興学院の合作によるビヨンドの作品だ。
作品の中で、生徒達のアバターは自らの境遇や価値観を語りながら観客を誘導して移動する。
マモルの同部屋の後輩、安永に至っては校内の特設ステージで得意のスケボーの技を決め、モーションキャプチャーによって動きを捉えたアバターがその技をVR空間上で再現する。

さて、ビヨンドの作品の中で、生徒達は思い思いに語るが、SDGsの達成に関して具体的な提言をしている訳ではない。
「声を上げる」という最初の一歩を踏み出したに過ぎない。
でも、それでいいのだ。

とかく日本社会は若者に意見を言わせたがる。
若者には社会の閉塞感を打破するような画期的なアイデアが期待される。
それができないと「若いのに頭が固い」とおじさん達は眉を顰める。
最初から意見を聞くつもりは毛頭なく、マウントを取ることが目的なのだ。

当然のことながら、一部の天才を除いて社会を変えるアイデアなんてものはそう簡単に出せるものではない。
初めは小さくても、成功体験を拡大再生産する中で自己効力感と共に培われるのが本当に社会を変え得るアイデアなのだと思う。
その意味で、高校生のうちに声を上げるという最初の一歩を踏み出すことの教育的価値は高く、きっとその後の人生を豊かにしてくれることだろう。