11月22日が「いい夫婦の日」と提唱されたのは、昭和の終わりの1988年のことで、1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会が設立され、その普及が推進されるようになったらしい。結構な歴史があるようだ。
今月下旬の3連休には、娘夫婦が滋賀から孫娘3人を連れて帰省してくることになっている。秋晴れの今日は、朝から布団を干すなど受け入れの準備を進めていたところだ。
まだ「いい夫婦の日」など無かった1986年11月の3連休、愛車のシルビアで東京から京都へ長距離ドライブした。往路は中央高速、復路は東名高速を利用した。
京都はちょうど紅葉狩りのシーズンで混雑していた。天気も好く往路は楽しかった。名古屋あたりから「尾張小牧」ナンバーでマナーの悪い車が多くなった。大阪の「泉」ナンバーのようなものかと思った。
朝一に東京を出て夕方には京都に着いた。文学部・大学院に進んでいた友人のMさん(2浪で年上だから「さん」付けで呼んでいたが、特に敬意はない)の下宿に泊めてもらえばいいか ……などと安易に考えていた。携帯電話がない当時、事前に連絡はしていなかった。
その頃、土日がちゃんと休めるかさえ直前までわからなかった。それくらい業務に追われていた。京都に着いてMの下宿に電話したものの ……、案の定つかまらなかった。仕方なく、よく行った一乗寺のパチンコ屋に車を停めて炉端焼き「京八」で飲むことにした。
「京八」のマスター、ママさんとは数年ぶりだった、お元気な声を聞くことができ、会社のことや仕事のことなどを話した。マスター、ママさんから「○○ちゃん!早よう京都支店に転勤にならはって交際費をうちでたくさん使こうてよ!」と言われた。
結局、その夜はパチンコ店の駐車場でシルビアで車中泊した。車に毛布だけは積んでいた。
翌朝、Mに連絡が取れた。特に観光地に行くわけでもなく、学生街をぶらぶらし大学の中を歩いたり、よく通った喫茶店に顔を出したりした。
Mに「麻雀したいねぇ~?」と言うとMは面子を探し始めた。Mの文学部大学院の友人一人が見つかった。もう一人がなかなか見つからなかった。午後3時頃 ……、部屋の外にあったMの下宿の電話が鳴った。Mが驚いた顔をして戻ってきた。
Mが私に言った。「○○!電話誰からやったと思う ……?なんとKやでっ!」と言った。私は「えっ!」と驚いた。
Kは同郷の友人で、飲み・麻雀の仲間である。経済学部(E1)から三井物産に進み、石炭部門に配属されていた。東京でもKとはよく遊びよく飲んだ。彼は本山ゼミのOB会でたまたま京都に来ていたらしい。千載一遇の面子の自模り方だった。場所は吉田神社そばの雀荘「イワタケ」になった。
この時の麻雀の結果は定かでない。ただ、混一色系の三倍満を聴牌ったものの感情的にリーチを掛けてしまい和了できなかった悔しい記憶が残っている。
その夜、Kと私はMの下宿に泊まり、Kは翌日新幹線で、私は車で東京に戻った。帰りの東名高速は東京に近づくにつれて渋滞し地獄を見た。寮に帰り着いたのは午前様だった。
雀荘「イワタケ」はネットによると閉店したらしい。私が在学中、京大の学園祭「11月祭」のパンフレットに「イワタケ」の広告が載っていた。その広告のキャッチコピーが記憶に残っている。「授業が済んだら ……、イワタケ!」。何とも嫌味な文言である。
Kとは、私が福岡にUターンしてからも親交が続いていたが、彼がオーストラリアに転勤になったことなどから疎遠になっていた。今春、教養部(E2)のグループLINEの中で、彼が昨年亡くなっていたことを知った。辛い話ではあるが、今はただご冥福をお祈りするばかりである。
