梅雨に入ると同時に、一昨日から大雨が続いている。今年はどうやら「陽性の梅雨」のようだ。なお、「陽性の梅雨」とは、雨の降り方と梅雨の晴れ間がはっきりしており、湿度が全体的に低い梅雨を指す。
前回の記事を書き終えたあと、Pのことでいくつか思い出したことがある。たいした内容ではないが、それらを「補遺」という形で以下に記しておきたい。
白川通りの銀閣寺を少し北に上がったところに、「白扇」というスナックがあった。40代半ばくらいのママさんと、「純ちゃん」という髪が長くてきれいな女の子がいた。ママさんは、たしか福岡出身だった。
法学部のHに誘われて、3回生の終わり頃からたまに顔を出すようになった。私にとっては決して安い店ではなかったが、「純ちゃん」目当てに通いつめる客も多かった。
そんなある夜、「白扇」でPに出くわした。「炬燵担ぎ」事件以来、彼とはなんとなく疎遠になっていた。彼はどうやってこの店を知ったのか。法学部のHが教えたのだろうか。Pも「純ちゃん」目当てのようで、金にものを言わせて常連になっていた。
「よう、お久しぶり!」と声をかけたが、それ以上は話さず、さっさとHの隣の席に戻った。彼と長く話す気にはなれなかった。
店内では、Pは相変わらずの饒舌ぶりを発揮していた。まさか、また例の戦国武将の話ではないだろうが、非常識なわりには妙に一般常識に詳しかった。
その一方で、ママさんには自分の恋愛について相談していたらしい。ママさんから聞いた「誠心誠意を尽くせば女は必ず落ちる!」という言葉を、呪文のように繰り返していたが、結局Pが「純ちゃん」を落とすことはなかった。
4回生になってからは、友人の自殺や就職活動などもあり、「白扇」に行くこともなくなった。Pとはますます疎遠になり、麻雀はもちろん、その後は一言も言葉を交わすことはなかった。風の噂で、Pが関西の大手電力会社に内定したと聞いた。
最後に、「純ちゃん」がどうなったかについて少し触れておきたい。
法学部のHは、卒業後、ある政府系の特殊法人に就職した。実は、この就職先をHに勧めたのが「白扇」で、偶然隣り合わせた大学教授然とした初老の紳士だったらしい。
Hが新人か2年目くらいの頃、東京・新宿で「純ちゃん」と再会したという話を聞いた。Hは彼女と本気で付き合おうとしていたが、「どこか危ういものを感じた」らしく、二の足を踏んだという。
この件の詳細は、いずれHと再会した折に確認してみたいが、なにせ40数年も昔のこと。彼も覚えているかどうかわからない。真相は、遥か時空の彼方である。