厳寒の京都から帰り、翌日は英会話のレッスンを受講した。また2日間の休肝日を設け、2日間働いて何とか社会復帰した。バレンタインの昨日は家内と自宅近くの中華料理屋に行った。JR下曽根駅近くの「富貴楼」は手頃な値段でなかなか美味しい。
旅行から帰って感じるのは「やはりいちばん寛げるのは自宅である」ということである。また、友人たちに会って思うのは「自分ももっと頑張らねば」ということである。とにかく春に向かって少しでも体を動かそう。やはり、健康こそが一番大切なのである。
旅行をしていつも思うのが「車窓から眺める景色こそ旅の醍醐味」ということである。目的地に着いてあちこち観て歩くのももちろん楽しいが、車窓を流れる受動的な景色に色んなことを感じる。これも旅の楽しみの一つである。
今はあまり見ないが、小さい子どもがバスや電車の座席に靴を脱いで窓に向かって座り、移り変る景色を楽しんでいる姿、それこそこの感覚である。私の精神年齢はその頃からあまり発達していないのかも知れない。
2022年の京都大学の英作文の入試問題に以下のものがあった。私の心情にピッタリのものである。英訳は以前本ブログに掲載したものを再度掲載した。
Ⅲ.次の文章を英訳しなさい。
数ある旅の楽しみの中で、車窓からの眺めというのもまた捨てがたい。そこに美しい自然が広がっていれば、ただただ目の保養になる。でも、ありふれた田舎や町並みを眺めているのも悪くない。そこに見かける、此の先出会うこともなさそうな人々は、みなそれぞれにその人なりの喜びや悲しみとともに暮らしている。そう思うと、自分の悩み事もどこか遠くに感じられて、心がふっと軽くなる気がするのだ。
(2022年 京都大学)
(流離の翻訳者・拙訳)
Among a lot of pleasures of traveling, I think, scenery from train window is attractive in its own way. Beautiful nature spread in the scenery, if any, itself can serve as a feast for the eyes. Nevertheless, it is not bad to simply look at commonplace countryside or town streets. Those who are found in these places, and who are not likely to meet again in the future, are respectively living their own lives with their own joys and sorrows. Such casual facts seem to keep my own agonies somehow away from my mind, and also to lighten my troubled heart a little in a moment.