私の自宅の隣には、米寿くらいの高齢の女性が独り暮らしをしている。ご主人は随分前に亡くなったそうで、二人の娘さんが月に何度か訪れている。
家内が洗濯物を干すときなどや、また私も顔を見かけたら声を掛けるようにしている。このお婆ちゃん、少し耳は遠いものの心身ともにご健康なようで、庭の植木の手入れも随時ご自分でされている。大したものだ。
お隣りさんの誼で家内はこのお婆ちゃんと仲良くなったようだ。聞くと、この女性の口癖は「もったいない」、またいつも感謝の気持ちを持って生きているそうだ。例えば、今日はお天気が良いだけでも、それをお天道様に感謝しているという。ある意味幸せな生き方だと感じた。
随分前の話だが、就職が決まった1981年の秋頃から、精神を病んだ時期があった。いわゆるパニック障害というもので、突然に強い恐怖や不安、また不快感が起こり、動悸、息苦しさ、吐き気、ふるえ、めまい、発汗などの発作が繰り返し現れた。
精神科を除いて色々な病院で診察を受けたが、何処でも「異常なし」という結果だった。今なら真っ先に心療内科を受診するが、当時は精神科に行くことは憚られた。まだまだ偏見が強い時期だった。
その頃、たまたま書店で見つけたのが「あなたの不安は解消できる」(石井丈三著)という本だった。藁にもすがる気持ちで購入し帰宅してからむさぼるように読んだ。共感できるところが多く感激して涙が出た。
それ以来、その本に紹介されていた「森田理論(森田式精神療法)」に興味を持ち勉強するようになった。もう40年余りになるが、今でも私の書棚の片隅には森田理論に関する本が数冊、まるで常備薬のように並んでいる。
今年の年明けくらいから、多少生き辛さを感じることがあり「森田式生活法」(生活の発見会著)を引っ張り出して再度読んでみた。十数年ぶりくらいだろうか。
その本の冒頭に長谷川洋三先生の「努力即幸福」ということばが解説されていた。以下は同書からの引用である。
「このことばを聞いて、皆さんはどう考えられるでしょう。努力して目標を達成したら、そのとき幸福が到来する、幸福は努力の結果くるのだ考えられる方がいらっしゃるかもしれません。実は私も以前、そのように考えていました。幸福とは努力の結果だと考えていたのです。ところが、そうではないのです。このことばは、努力そのものが幸福であると言っているのです。どういうことかというと、人間は、運動するにしろ精神活動をするにしろ、いろいろな機能、もてる力を全面的に発揮している状態が実は幸福なのだ、という考え方なのです。努力の結果として幸福な状態があるのではなしに、全力を発揮して持っている機能を全面的に発揮する、そのことが幸福なのだという考え方です。」
自宅で英会話の勉強をしているが、リスニングは聴き取れないしテキストも結構難しい。電子辞書やネット、またAIにも相談しながらいつも悪戦苦闘している。それでもでも我慢して続けていると、小さな心地よさ(快感)を感じる瞬間があった。もしかしたらこれが「努力即幸福」なのか、などと思った。努力の結果はまだ何にも出てはいないのだが………。