英語の迷い道(その135)-東日本大震災13年-「過去を背負って生きること」の意味 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴16年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

東日本大震災からはや13年、時の流れは速いものだ。当時は翻訳者として3年目、まだまだ右も左もわからない状態だった。翻訳会社の正社員となって半月足らず、確定申告に行ったその日の午後に大地震は発生した。

 

今にして思えば13年間あっという間だったように感じる。一登録翻訳者から正社員となりマネージャーへ。チェッカーを経て営業兼コーディネーターへ。さらに部門責任者へ。翻訳・通訳業務の全般をコーディネートすることができた。こんな貴重な業務が経験できたのは幸せだったと思う。

 

 

私のブログは懐古的な記事が多い。気がつけばいつも思い出ばかりを語っている。以下の問題は「過去を背負って生きること」をテーマとしている。

 

かなり意訳になってしまったが、問題文を読んで思うのは今の自分を100%に肯定できる人など果たしているのだろうか、ということである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部の意味を英語で表しなさい。

 

過去を背負って生きざるを得ないのが人間だ。過去の積み重ねがいまの自分なのだから、過去から逃げ出していまの自分を語ることなどできない。もしいまの自分を肯定できない人は、過去の出来事についても後悔ばかりが思い出されるのではないだろうか。反対に、いまの自分を肯定できる人は、過去の出来事についても受け入れられるのではないだろうか。人間とはおもしろいもので、そのときどんなに苦しんだことでも、時間が経つと「なぜ、あんなにつらかったのだろう」と思うから不思議だ。たぶん、いまの自分を肯定できるから、過去の自分も肯定できるのだ。それどころか、つらい経験も「あのつらい経験があるからこそ、いまの充実した自分があるのだ」と思えるのである。

(斎藤茂太『自分らしく生きて、死ぬ知恵』)

(大阪大学 文学部・2013年)

 

 

(拙・和文英訳)

It is human beings who have no choice but to live with the past. Since the accumulation of the past constitutes what a person is now, he cannot run away from the past and talk about what he is now. A person who cannot affirm what he is now seems to remember only regrets about his past events. On the other hand, a person who can affirm what he is now is thought to be able to accept his past events. Human beings are interesting. No matter how hard a time he may have at that time, it is strange that he will think after a while, “Why was it so hard then?” Probably, because a person can affirm what he is now, he can also affirm what he was in the past. On the contrary, even if a person has a hard experience, he can think, “It is because of such a hard experience that I can now enjoy my fulfilling life with what I am now.”