昭和の頃の冬は寒かった。暖房も石油ストーブと練炭の掘炬燵がメインである。夜寝るときに湯たんぽや行火(あんか)を寝床に入れていたことを思い出す。
一冬に二三回は雪が積もって雪合戦ができた。私が小学校に入学する前の1963年(昭和38年)の大雪は三八豪雪とも呼ばれているが、当時の子供にとって雪は「寒い」ものではなく「楽しい」ものだった。
学生時代、京都に下宿してからその考えが変わった。京都の冬は非常に寒い。下宿にはストーブは無く電気炬燵だけだった。朝方、室内の洗面所の金盥(かなだらい)の水の表面に薄く氷が張るほどの寒さだった。明らかに雪は「寒い」ものに変わった。
さらに東京で勤務した頃。1983~1984年(昭和58~59年)の冬は記録的豪雪(五九豪雪)となった。アイスバーンと化した道路や駐車場で数回転倒した。雪道に革靴が如何に恐ろしいかを思い知った。雪は「恐くて痛い」ものになった。
「英文表現法」に昭和の二月を描いた文章を見つけたので英訳する。荒涼とした光景が思い起こされる。
(問題)
前の空地に一本大きな冬枯れの樹木があった。箒を逆さにして空にかからせたようなその梢に、どうしてのこったかたった一枚真赤な楕円形の朽葉がひらひらと動いていた。それが透明な2月の碧空の前に、ぽとりと滴った血のように美しく見える。(宮本百合子)
(拙・和文英訳)
There was a desolate wintry tree in the front vacant land. In the treetop which appeared to be a broom hanged upside-down on the sky, the only one oval deep-red dead leaf, I don’t know why it remained there, was fluttering. The leaf looked beautiful like a drop of blood dripping down with a plop against the transparent blue sky in February.