電子辞書を使うようになったのも1999年だった。当時定評が高かったSEIKO社のSR-M6000という機種を購入した。NOVAでは殆ど使いこなせなかったが、翻訳者になってから重宝した。
20年くらい使ってさすがに壊れた。後継機種を探したがSEIKO社は電子辞書から撤退していた。仕方なくSHARP社のものを購入したが使い勝手が全然違った。結局SR-M6000の中古品を探して再度購入した。やはりSR-M6000が良い。今も手許で働いている。
レベル5になったくらいにNOVA小倉校の全体像が見えてきた。レベル1は居ない。レベル2も殆ど居ない。たまに東京から出張に来てVOICEに入る海外勤務経験がある外資系や大手企業のビジネスマンにレベル2がいた。
レベル3は何人かいた。思い出すのは20代半ばのAという女性である。流暢なイギリス英語をしゃべった。学生時代に1年くらい留学していたようである。しかし彼女は英語力を鼻にかけてちょっと生意気な物言いをするところがあった。一方で彼女も、会話力はさておきボキャブラリーばかりやたら強い私に嫉妬に近い感情を抱いていたようだった。
ある日、VOICEルームで講師以外彼女と二人きりになった。彼女と少しゆっくり(英語で)話す機会があった。そのときはじめて彼女がF銀行M支店に勤務していることを知った。自分も実は以前N銀行に勤務していたことを話した。
「何故、本部や国際部などへの異動を希望しないのか?」と尋ねると「私は短大卒だからダメ!本部や国際部は九大や早慶、上智など4大卒の子ばっかり!英語では決して彼女たちに負けていないのに!」と悔しそうに答えた。彼女の無念さがひしひしと感じられた。
「確かにそれはN銀行も全く同じ!学歴かコネがある子ばっかりだった!大した実力も無いのにね!」と言うと、お互いの心のわだかまりが消えていった。以来、彼女を見かけると挨拶を交わすようになった。
レベル4の生徒は玉石混淆だった。まずは就職、転職、昇進に向けて英語・英会話を勉強している大学生やビジネスマンたち(グループ①)。英検やTOEICなどをコツコツと受験している真面目な生徒が多かった。
次に、短期間の海外留学を経験した学生など(グループ②)。親の脛齧りの留学で英語の発音は多少ネイティブに近いが、語彙も会話の中身も中学生レベルという輩が多かった。政治、経済、社会などの話題には全然付いて来られず、勉強しに来ているのか女の子をナンパに来ているのかわからないような輩もいた。
また、大企業などをリタイヤした世代の好好爺(婆)的な方々(グループ③)。好好婆には元・高校教師などもいた。競争心を捨てて悠然と英語を楽しんでいる姿勢から尊敬できる方もいた。そして最後に、文法・語彙などはボロボロだが英語を実際に仕事で使っているハングリーな若造たち(グループ④)。このグループには個人事業主が多く、船員や航空自衛隊員もいた。
こんなグループ①~④が混ざり合ってレッスンやVOICEを受けるわけだから、その混乱状況は推して知るべしだ ……。などと考えていた2000年1月、自分もレベル4に上がった。ジェームスが最後に私を推薦してくれた。レベルアップには3名以上の講師の推薦と筆記試験が課された。
強いて言えば、私はグループ①に近かった。レベル4に上がって暫くすると、VOICEルームでグループ①とグループ④の激論を何度か経験した。またグループ④の船員、愛称「キャプテン」とレベル3のF銀行のAさんとの戦い(augument)など好カードな対戦もあった。
そんな中、グループ①内にだんだんライバル的な生徒たちが現れてきた。以後、私は英検やTOEICなどを絡めて競争心を剝き出しにしたライバルたちとの熾烈な戦いに巻き込まれていくことになった。