今年も「春なのに」の卒業シーズンが過ぎている。いつも3月は何かと忙しく分刻みに時が過ぎていくようである。
昨日、学生時代の友人とメールのやり取りをしていて、北予備の頃のことをまた一つ思い出した。彼とは予備校の一年間、同じクラスだったが当時つき合いは無かった。
予備校の英語リーダーのテキストは、サマセット・モーム(William Somerset Maugham)の「月と六ペンス」(The Moon and Sixpence, 1919)というもので、地元の大学を退官されたM先生という年配の講師が担当されていた。
小説のストーリーが全く思い出せないのは、真剣に講義を受けていなかったからかも知れない。今思えば英文解釈はあまり真面目に勉強しなかった。
如何に自然な日本語に訳すか、などと考えるようになったのは、翻訳者になって他人の訳文(英文和訳)をチェック(校閲)するようになってからのことである。この時初めて英文和訳の面白さ、奥深さを知った気がする。
京大の次の過去問は「好奇心」に関するものである。歳をとってもそうありたいものである。
問.次の文を英訳しなさい。
子供は好奇心のかたまりだ。それが、多くの動物の場合、成熟すると幼い時ほどには好奇心を示さなくなるらしい。ところが、人間は年をとっても、様々なことに対する興味を持ち続けることができる。してみると、人間はいつでも子供でいられるという特権を享受する幸福な種族であるかもしれない。
(2001年 京都大学)
(流離の翻訳者・拙訳)
Children are full of curiosity. However, I’ve heard that many animals, if they are ripened, come to show less curiosity than when they were young. In contrast, human beings, even though they grow older, can keep their interests in various things. Considering this fact, human beings might be such a happy species that can enjoy a privilege to be a child at any time in life.