特集・入試英作文への挑戦(その7) | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

高校3年時の担任の英語のW先生から、補習か何かで短期間英作文の講義を受けたことがある。先生からは日頃リーダー(英文解釈)や英文法を教わっていたので、何か特別に記憶が残っているのかも知れない。

 

そのとき先生から教わったことは、問題文の日本語を見たら「可能な限り自分が覚えている構文・イディオムを使いながら英文を作成せよ!」ということだった。また「使い方があやふやな構文や記憶が曖昧なイディオムは使うな!」とも言われた。

 

北予備の頃の英作文の教師も個性的な方だった。残念ながらお名前が思い出せない。よくわかりもせずに妙な動詞や難しい名詞を使うと厳しく叱責された。「つまらない膿を出しなさい!しっかり文意を読みとって素直な英文を作成しなさい!」と指導された。

 

翻訳者になってからは、①品詞(とくに動詞)の本質的な意味や使い方をしっかり辞書で確認してから使うこと、②可能な限り原文の著者が言いたかったこと(真意)をくみ取りそれを英文に表現すること、③行き過ぎた意訳は避けること、④リズム感がある(読んでいて心地がよい)英文を作成すること、そんなことを心掛けている。

 

では、京大の次の過去問に取り組んでみよう。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

 

昔は同じ町内に怖い大人が必ず何人かいて、子供が人として恥ずかしいことをすると、いつも本気になって説教してくれたものである。そこには、子供を地域社会全体で育てるのだという強い意識が存在していたのだと思う。そんな雰囲気のおかげで、子供も自分は社会の一員であるという自覚をはぐくんでいくことができた。

2002年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

Those days, there were, almost inevitably, some severe adults in the same town. If a child committed an embarrassing act, they would often lecture the child in real earnest. In their lectures, I think, there would have been a strong consciousness that the whole local community should bring up the children. Thanks to such an atmosphere, those children were able to become conscious of their roles as a member of the local community.