自叙伝(その9)-3つの黎明期 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

時代は少し戻って高校1年の3学期、私とRの友好関係がより緊密になる中、似顔絵師Yがだんだん我々に近づいていた。当時我々3人の間では無意味な言葉遊び(ギャグを言い合うこと)が流行っており、それが周りの生徒にも受け始めていた。

 

高校1年が終わり2年のクラス替え発表の日、R、Y、私の3人が同じクラスになったとき、周囲から大笑いが起こったのを覚えている。2年4組。それが我々の次のクラスであった。

 

高校2年。英語はW先生など一部持ち上がりの教師もいたが、国語・数学は教師全員が入れ替わり、また社会/理科も、科目がそれぞれ世界史と倫理・社会/物理と地学となったため教師全員が入れ替わった。まるで別の学校に入学したような感じだった。

 

だが、この高校2年時、1年時を遥かに超える実に個性的な教師陣が、我々を待ち構えていたのである。

 

高校時代を通じて昼食はほとんど母親の手作り弁当だった。高校2年になっていつも私の隣の席で弁当を食べている男子生徒がいた。いつの間にか話をするようになった。以後、彼のファースト・ネームの頭文字をとってSと呼ぶことにする。

 

Sはブラスバンド部でトロンボーンを演奏していた。私はブラスバンドは全くわからないが、我々より少し大人で少し真面目、また趣味も写真やコーヒーなど幅広いSとだんだん親しくなっていった。私と親しくなれば、当然にして友人のRやYとも親しくなる。いわゆる「四人組」時代の黎明期を迎えていた。

 

少し勉強に話を戻そう。私は世界史には昔から興味があった。世界史担当はM先生という方で、以前は新聞社に勤務されていたらしい。

 

教科書は定評が高い「山川出版社」のもので、最初の試験範囲は先史世界から古代オリエント、ギリシャ、ローマくらいまでだった。まさに文明の黎明期だった。

 

高校1年時は真面目に試験準備などしたことがなかったが、まるで「神が舞い降りた」かのように参考書まで買って世界史を勉強した。参考書は「チャート式 新・世界史」だった。

 

試験の数日前には教科書の内容は全て覚えており、直前は参考書にしか載っていない用語や年号を記憶しようとしていた。この時に覚えた年号で今も記憶しているものがある。

 

紀元前1230年:モーゼの出エジプト(エクソダス)。映画「十戒」で海が割れて道ができる有名なシーンが思い浮かぶが、これの覚え方は「よき日に去れ(1230)エジプトを」である。

 

試験問題中、この年号を記載できる論述箇所があり所謂「ドヤ顔」で記載して提出した。結果は98点/100点で、世界史単独で学年で1位になった。M先生はこれを褒めちぎってくれ、とても気分が良かった。「試験で良い点を取るとこんなに気持ちいいんだ!」と思った。

 

だが、この気持ちよさのために以後どれだけの努力や苦労が必要になるかなど、この時点では全く解っていなかった。受験勉強もまた黎明期にあった。

 

この、ある意味私に勉強の楽しさを教えてくれたM先生だが、まさかこのM先生と同じ大学・学部に私が進むことになろうとは、この時点では全く想像していなかった。運命とは不思議なものである。