「夏日題悟空上人院」 杜荀鶴 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

昔は、学校等での体育(スポーツ)の時間中、水を飲むことは決して許さなれかった。「水を飲むことは弛(たる)んでいる」と看做された。今そんなことをすれば当然に学校も教員も処罰される。

 

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉がある。これは「無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感じられる。どんな苦難に遭っても、その境涯を超越して心頭にとどめなければ、苦難を感じない。」という意味で、元々はある漢詩の句に由来する。

 

簡潔に言えば、「死を覚悟すれば何も怖くない」ということだろうが、死を覚悟することはそんな簡単なものではない。

 

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「夏日題悟空上人院」 杜荀鶴(とじゅんかく)

 

「夏日、悟空上人の院に題す」

三伏閉門披一衲        三伏門を閉じて一衲(いちのう)を披(ひら)く

兼無松竹蔭房廊        兼ねて松竹の房廊を蔭(おお)う無し

安禪不必須山水        安禅必ずしも山水を須(もち)いず

滅卻心頭火亦涼        心頭を滅却すれば火も亦(また)涼し

 

(現代語訳)

酷暑の三伏の時期にも寺門を閉ざして、僧衣をきちんと身に着ける。

その上、この寺には部屋や廊下を強い日差しから覆う松や竹も無い。

しかし、安らかに座禅を組み修行に励むのに必ずしも山や川を必要としない。

暑いと思う心を消し去れば、火でさえ自然と涼しく感じられるものである。

 

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なお、「三伏(さんぷく)」とは、夏の極暑の期間を指し、夏至後の第3の庚(かのえ)の日を初伏、第4の庚の日を中伏、立秋後の第1の庚の日を末伏という。