ここ数日猛烈な暑さが続いているが、毎週のように何処かで花火大会や祭りが行われていて今年の夏も少しずつ過ぎて行ってる。
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今まで私が住んだ街には「祇園」(ぎおん)という場所や祭りが存在した。この「祇園」とは一体何なのか?広辞苑で引いてみると仏教と神道で別の意味があるようである。
「祇園」
(仏教)
祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。祇樹とは祇陀太子の苑林、これを給孤独の称ある須達長者が買ったからいう。
(神道)
牛頭(ごず)天王(素戔嗚尊=すさのうのみこと)・八王子宮(素戔嗚尊の五男三女)と少将井(しょうしょうのい)の宮(奇稲田姫=くしなだひめ)。
どちらも何のことやらわからない。祇園といえば平家物語の以下の件(くだり)を思い出す。
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「祇園精舎の鐘の聲(こえ)、諸行無常の響あり。沙羅雙樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。驕(おご)れる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢の如し。猛(たけ)き者もつひには滅びぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。」
(現代語訳)
祇園精舎の鐘の音は、諸行無常(万物は常に変化して少しの間も留まらないこと)の響きがある。(釈迦が涅槃に入ったときに白く変色した)沙羅双樹の花の色は、盛んな者もいつか必ず衰えるという道理をあらわしている。権勢を誇っている人も永久には続かない。それは春の夜の夢のようなものである。勇猛な者も最後には滅びてしまう。それはまるで風の前の塵と同じである。
(英訳)
The pealing of the bells of the Jetavana temple ring with the sound of the impermanence of all material things.
The color of the paired Sala trees gives witness to the truth that all who flourish must necessarily perish.
Those who flaunt their pleasures are not long for the world; they are as brief as the dream of a Spring night.
And the brave ones are vanquished in the end; they are merely as specks of dust before the wind.
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そんな盛夏の一日が今まさに暮れようとしている。