好天は長くは続かない。一昨日から雨になり昨日も一日雨が降った。私が住む街には筍(たけのこ)の特産地がある。私は小さい頃から筍が大好きで、その旬ももうすぐである。
しかし筍にしろ、人参やホウレン草にしても、私が小さい頃に美味しいと感じた鮮烈な味や香りは何処かに消えてしまい、今は万人受けする味の地味な野菜に成り下がってしまった。
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「雨後の筍」という言葉があるが、これは「物事が相継いででてくること」のたとえである(広辞苑)。
英語で「雨後の筍」は「筍」(”bamboo shoot”)は使わず”spring up like mushrooms after a rain”と表わし、筍の替わりに「キノコ」(”mushroom”)を使う。
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「酬人雨後玩竹」 薛濤(せつとう)
「人の雨後竹を玩(め)ずに酬(むく)ゆ」
南天春雨時 南天春雨の時
那鑒雪霜姿 那(いか)んぞ雪霜(せっそう)の姿を鑒(おも)わん
衆類亦雲茂 衆類亦(すべ)て雲茂(うんも)するに
虚心能自持 虚心能(よ)く自ら持す
多留晉賢醉 多く晉賢(しんけん)の酔いを留め
早伴舜妃悲 早(つと)に舜妃(しゅんぴ)の悲しみを伴う
晩歳君能賞 晩歳(ばんさい)君能く賞(しょう)せよ
蒼蒼勁節奇 蒼蒼勁節(けいせつ)の奇(き)なるを
(現代語訳)
南から春雨が降る暖かい時には、竹が冬の雪や霜に耐える姿を想像することはできない。
様々な植物が繁茂している時には、竹は中味を空にして自らの姿勢を保持している。
竹林には晋の賢者たちが酒に興じた跡が残っているように思われ、また舜帝の妃が皇帝の死を悼みその涙が湘水の辺の竹の斑紋となったという伝説を思い起こす。
竹には様々な逸話があるが、私があなたに観てもらいたいのは、年の暮れ他の植物が枯れてゆく中、独り竹だけが青々と雪霜に耐えて強く生きている、そんな姿である。
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薛濤(せつとう)(768-831)は唐の女流詩人で、女性ならではの繊細な描写が感じられる。