特撮テレビシリーズ「ウルトラマン」は1966年7月から1967年4月まで放映されました。私は1956年生まれですので、放映が開始された時は10才でした。考えてみると、今の私の身体の2割ぐらいはウルトラマンでできています、というのは冗談ですが、長い人生を生きていくうえで、この作品から教えてもらったことはとても重要な事でした。
50年以上にわたり引き継がれてきたウルトラマンシリーズの原点であるこの作品を、こども時代にリアルタイムで見ることができたことは、本当に幸せなことだったとつくづく思います。
これからこの稿で「ウルトラマン」のことをお話ししようと思っていますが、その前に、今回は「序章」として、いろいろ心に浮かんだことをお話ししたいと思います。散漫になるとは思いますがお許しください。
私は、昭和30年代後半から昭和40年代前半(1960年~1970年あたり)にかけてこども時代を過ごしました。私のこども時代を思い返してみると、身の回りに「色」がなかったように思います。もちろん今より自然が豊かでしたので、外に遊びに行けば、空の青さや木々の緑は目に痛いほどでしたが、家に帰ると、テレビは「白黒」(モノクロ)でしたし、少年漫画雑誌は表紙こそ色刷りでしたが、中のページにはほとんど色がありませんでした。家の中にある家具や電気製品も、今のようにカラフルではなく、全体的に家の中が薄暗かったように記憶しています。たまにお中元などで届いた高級なお菓子のきれいな包装紙やリボンなどは机の引き出しに大切にしまっていました。
私の家がカラーテレビを買ったのは1970年で、これはよく覚えています。なぜ覚えているかと言えば、1970年は「大阪万博」が開催された年で、私の家が買ったナショナル(今のパナソニック)のカラーテレビのおまけに、大阪万博で話題になった「タイムカプセル」のミニチュアが付いていたからです。
1966年に始まった「ウルトラマン」は、同じ年に始まった「マグマ大使」とともに、テレビ史上初のカラーによる特撮番組でしたが、我が家にはカラーテレビがなかったので、白黒テレビで見ていました。しかし、今、私が見たウルトラマンの場面を頭の中で再生してみた時、その映像はカラーなのです。モノクロの映像を思い出すことができません。これはどういうことなのでしょうか。多分、再放送されたものを見て、その鮮烈な印象により、記憶の中の映像がカラーに置き換わったのではないかと思っています。「ウルトラQ」のロゴを切り裂いて、真っ赤な背景の中に白抜きの「ウルトラマン」というロゴが現れるオープニングを見ると、今でも心が躍ります。
[初代ウルトラマン オープニング]
「ウルトラマン」は、円谷英二さんの率いる円谷プロが「ウルトラQ」の後を引き継いで製作した、日本で初のカラー放送による特撮番組で、しかも、それまでのヒーローものの番組は等身大のヒーローが主人公で、「ウルトラマン」は「巨大ヒーロー」を主人公にした初めての特撮番組でした(「マグマ大使」とともに)。
「ウルトラマン」と「マグマ大使」は同じ年に始まったとお話ししましたが、「ウルトラマン」は7月17日に放送が始まっているのに対して、「マグマ大使」は2週間早い7月4日に放送が始まっています。「マグマ大使」は「ピー・プロダクション」という会社により製作されており、原作は「手塚治虫」さんが「少年画報」という漫画月刊誌に連載していて大人気だった漫画です。私の想像ですが、手塚治虫さんは大変ライバル意識の強い人だったようで(いろいろなエピソードが残っています)、同じ巨大ヒーローものの「ウルトラマン」に負けたくなくて、わずか2週間ですが放送開始を早くしたのではないでしょうか(間違っていたら申し訳ありません)。
ちなみに、パイロット版(試作版)の「マグマ大使」を見ると、マグマ大使の顔が仮面ではなく、実際の役者さんが顔を金色に塗って演じています。初めてYouTubeでこの映像を見た時は爆笑してしまいました。マグマ大使もウルトラマンも顔を仮面にして本当に正解だったと思っています。余談ですが、「マグマ大使」の主題歌のなかの「エスオーエス!エスオーエス!」という掛け声は鉄腕アトムの声を担当していた「清水マリ」さんの声だそうです。
[マグマ大使(パイロット版)]
次回からは、「ウルトラマン」の概略をお話しした後、全39話のうち私が好きな回について順次お話したいと思っています。
※ Xに画像を投稿しました(2024.10.3)。
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