その7(№5448.)から続く

今回は、「踊り子」と並ぶ185系のもうひとつの看板運用、「湘南ライナー」について取り上げます。

「湘南ライナー」登場の2年前から、国鉄当局では、特急車両の回送を活用し、帰宅する通勤客の着席需要に応えようと、「ホームライナー」の運転を始めていました。その嚆矢となったのは上野から大宮(東大宮の基地)へ引き上げる特急車両の回送列車を、座席定員制の「着席整理券」を販売して客扱いした「ホームライナー大宮」ですが、その後、総武快速線でも、東京地下駅から幕張の基地へ引き上げる特急車両の回送列車を、同じようにライナー列車として、津田沼(後に千葉)まで客扱いすることにしました。これらが好調であったのを受けて、国鉄当局は、国鉄としては最後のダイヤ改正となる、昭和61(1986)年11月1日の全国ダイヤ改正に合わせ、東海道線においても、同じようなライナー列車を設定することとしました。これが「湘南ライナー」です。
運転開始当初の「湘南ライナー」の使用車両は、当然185系ですが、これは着席通勤の需要に応える目的の他、同系のラッシュ時間帯における有効活用としての意味合いもありました。というのは、以前は185系の開発の経緯に忠実に、ラッシュ時間帯には同系を特急ではなく普通列車として運用していたのですが、同系が充当される普通列車は、遅延を頻発させていました。これは、185系が2扉デッキ付きで立席スペースが限られていたことにより、乗降性が極めて悪かったことの当然の帰結ですが、そこで国鉄当局は、それなら同系を着席定員以上に乗らない列車に充当すれば、車両の有効活用も図れて増収にもつながると考え、「湘南ライナー」を登場させました。
つまり、他の「ホームライナー」が回送列車の有効活用だったのとは異なり、「湘南ライナー」は、独自にダイヤと車両運用を設定した上で運転を開始した列車であり、同じライナー列車でも、運転開始の経緯がまるで異なっています。

運転開始当初の「湘南ライナー」は、朝の上り2本・夜下り4本が設定されました。
この列車が画期的だったのは、寝台特急など東海道線を走る全ての列車が停車していた横浜駅を通過としたこと。下り列車の場合、乗車駅は東京・品川で、品川を出ると横浜を通過して大船までノンストップ、その後藤沢・辻堂・茅ヶ崎・平塚と停車、そして小田原へ達するというもので、大船以遠の停車駅が下車駅(大船以遠がフリー乗車)とされました。上りは逆に小田原・平塚・茅ヶ崎・辻堂・大船が乗車駅で、品川・東京が降車駅でした。普通車利用の場合だけ、座席定員制の「ライナー券」(当時は300円)を購入して乗車することになっていましたが、グリーン車利用の場合は、普通列車グリーン券を購入するかグリーン定期券を所持しているかすれば、別途ライナー券を購入する必要はありませんでした。その後、ライナー券には月極めの「ライナーセット券」も販売され、こちらも好評を博しています。聞くところによると、かつて普通列車グリーン車で通勤していたセレブリティたちの座る座席が決まっていたのと同じように、「湘南ライナー」でも座る座席がそれぞれ決まっていたという話があります。
なお、「湘南ライナー」の列車名は、神奈川県内在住者からの公募によって決定され、185系の先頭部には、セーラー服を纏ったカモメが描かれたヘッドマークが掲げられました。ちなみに、「セーラー服」といえば、世間では女子中高生の制服のイメージが強いようですが、あれの起源は海軍兵(水兵)の軍服です(水兵=sailor)。だから「セーラー服を纏ったカモメ」は、まさしく「カモメの水兵さん」だったわけで。そういえば童謡に「カモメの水兵さん」というのがありましたが、もしかしてそこまで考えての図案化だったのでしょうか。
「湘南ライナー」で特筆すべきは、座席にもきちんとヘッドカバーがかけられていたことと(『ホームライナー大宮』などは回送列車の旅客扱いという建前からか、座席のヘッドカバーは省略されていた)、車内販売が実施されたこと。車内販売は運転開始当初の一時期だけのようですが、行きはコーヒー、帰りはビールがよく売れたのではないかと思います。

「湘南ライナー」はJR発足後も本数を増やし、昭和63(1988)年3月のダイヤ改正を機に増発された列車は、東海道貨物線を活用して、横浜駅を通らないルートで運転することになりました。これは勿論、東海道線の線路容量が限界に達していたが故の混雑緩和策でしたが、そのために藤沢・茅ヶ崎の両駅では貨物線の上にホームを新設し、そこで客扱いを行うようになっています。また同じ年の7月から、現在の湘南新宿ラインのルートをたどる「湘南新宿ライナー」の運転も開始されました。この列車には後に、中央線の特急に充当される183系が使用されるようになります。その他、東京駅発着の列車には座席定員を多くとった、オール二階建ての215系が投入されたり、新宿駅発着の列車には中央線特急用のE351系やE257系が充当されたりするなど、さらなる充実が図られますが、これらライナー列車の主役は、あくまでも185系でした。
なお、「湘南新宿ライナー」は、平成13(2001)年に運行を開始した「湘南新宿ライン」と名称が紛らわしくなることから、翌平成14(2002)年12月1日のダイヤ改正を期して、「おはようライナー新宿」(朝上り)・「ホームライナー小田原」(夜下り)に改称されています。

以上とは別に、「ホームライナー大宮」がJR発足後の昭和63年7月、一部列車の運転区間を高崎線鴻巣・東北線古河へとそれぞれ延伸され、それらは「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー古河」と改称されました。同時に、新前橋の185-200がこれらの運用に進出、東京口のみならず上野口でも、185系がライナー列車として活躍することになりました。

このようにして、「湘南ライナー」などのライナー列車は、「踊り子」などと並ぶ、185系の看板運用となりました。
しかし同時に、このような列車の運用が看板となるということ自体、185系の特急用車両としての中途半端さ加減が出ているように思えます。やはり185系は、当初構想どおり「171系」として、特急に格上げすることなく急行「伊豆」のままで運転していた方がよかったのではないかと思えますが、それは現在の目で当時を見た評価かもしれません。当時は「増収」が錦の御旗であり、それ故に当初急行用として設計されたものを、何とか特急として運用できないかと打診したのは、国鉄当局の営業サイドでしたから。

先のダイヤ改正では「踊り子」から185系が退きましたが、「湘南ライナー」は185系が退いたばかりか、列車そのものが廃止されてしまいました。正確に言うと廃止ではなく特急格上げで、今年の3月15日から、E257系を使用して特急「湘南」が運転されています。運転開始初日がダイヤ改正当日ではないのは、特急「湘南」が平日のみの運転だから。つまり「湘南」は完全な通勤特急ですが、このような通勤特急は、JR東日本では他系統でも運転されています。
「湘南ライナー」廃止により、東京圏のライナー列車は全廃されました。

次回は、JRへの移行期のあれこれと、上野口の「新特急」群の変容を取り上げます。

その9(№5463.)へ続く