その1(№5406.)から続く

前回述べたとおり、昭和50年代に入ると153系の老朽化が顕著になり、置換えが検討されるに至ります。
最初に置き換えられたのは、関西の「新快速」に使用されたグループで、こちらは昭和54(1979)から翌年にかけて117系を投入し、置き換えを完了しています。
153系の置換えは、関西圏で完了した後、関東圏(田町電車区所属)のそれが実施されることになりました。

田町所属の153系の置換えに際して考慮されたのは、同系が東海道線東京口の普通列車にも相当数が運用されていることでした。そのため、置換え用の新型車両は、優等列車のみに使用するものではなく、普通列車にも使用することが可能な車両であることが求められました。ここから、優等列車にも普通列車にも使用できる、汎用性のある車両が求められ、この「汎用性」が185系の基本コンセプトとなります。

185系のスペックを列挙しますと、以下のとおりとなります。

① 車体断面は近郊型・急行型と同じとする。
② 歯数比は113系などの近郊型と同じとし、高速性能よりも加減速性能を重視。最高速度は110km/h。
③ 編成は基本10連(うちグリーン車2両)+付属5連(グリーン車なし)として、153系と合わせる。
④ 普通車はデッキ付き片側2扉とし、扉も特急用の標準幅700mmではなく、急行用の標準幅1000mmとする。また窓は普通車・グリーン車問わず開閉式とする。
⑤ 座席は、普通車は転換クロスシート、グリーン車はキロ182(当時北海道用に製造されていた)と同じフルリクライニングシートを装備。
⑥ デッキと客室との仕切り扉を自動式とする。
⑦ 一気に置き換えることは難しいため、153系と併結運転可能とすること(後期の増備車両では、この機能は省略されている)。

以上の項目を一瞥していただいて、185系が485系や183・189系のような、完全な特急型ではないことがお分かりいただけるものと思います。リゾート列車としてふさわしいといえる特徴は⑥くらいのもので(リゾート客は大荷物の場合が多いから)、特に①②は、明らかに185系が、完全な特急型ではなく、急行型に寄せた発想で設計されていることが如実に分かります(もっとも、185系登場の7年後に登場したJR九州の783系は、車体断面が211系と同じだから、①の点は完全な特急型であることを否定する決定的な理由ではない)。さらに④に至っては、普通列車としての使用を想定するなど、485系などとは全く異なるものでした。特急型車両で普通列車としての使用を想定した最初の系列は、185系ではなく、その9年前に登場した房総用の183系0番代ですが、あれは普通車の座席が簡易リクライニングシートであり、なおかつ客用扉の幅が特急型標準の700mmなので、その限りでは183系0番代は完全な特急型と評してよい車両です。
それ以上に顕著な特徴だったのは、185系が普通車の座席に転換クロスシートを採用したこと(⑤)。転換クロスシートは、背ずりの両面を使用するため、クッション性その他居住性の改善には限界があります(当時新幹線0系普通車の転換クロスシートが不評だった理由もこれ)。その点で、同一方向を向いて座るのであれば、転換クロスシート<回転クロスシート<リクライニングシートの順で居住性を改善できるのですが、185系が採用したのは、183系0番代とは異なる転換クロスシート。同じ153系置換え目的で、1年前に関西に投入した117系は、デッキなし2扉ではあるものの、転換クロスシート(ただし車端部などは固定席)を装備し、なおかつ料金不要の「新快速」で走っていましたから、「117系にデッキを付けただけで特急料金を取るのか」と、鉄道趣味界では囂々たる非難が沸き起こったものでした。
それも無理もない話で、実は185系は、設計当初は特急型ではありませんでした。そのことを示すのが、設計段階での仮の系列名。当初は「171系」と称していました。当時の形式区分で、電車の十の位が7というのは、急行型となりますから、185系は当初、急行として使用することが考えられていたようです。
しかし、それだと料金収入が確保できない。
この料金収入の確保の問題は、赤字財政にあえぐ国鉄当局にとっては、頭の痛い問題でした。言うまでもないことですが、料金収入は急行<特急。急行のままでは当局にとっては「旨味が少ない」からです。
そこで…なのかどうか、185系は特急型として製造されることになりました。これにより、当時の特急型車両には必ず取り付けられていた、先頭部の特急シンボルマーク(チャンピオンマーク)と先頭部側面の「JNR」のロゴも取り付けられることになります。
さて次に、それでは185系がワインレッド+クリームのツートンという「国鉄特急カラー」になったかといえばそうではなく(後年『リアルウソ電』でこのカラーリングが出現したのは周知のとおり)、皆様ご存知のとおり、車体を白一色に塗り込め、緑色の帯を斜めに入れるという、当時としては非常に大胆なカラーリングでした。しかもその斜めの帯は、細い順に400mm、800mm、1600mmという、1:2:4の綺麗な等比となっています。さらに、車号の切り抜き文字も、本来であれば車体側面中央部に入れられるのですが、それだと斜め帯に干渉することから、あえて車体側面の中心をずらして入れられています。

185系は、153系の後継車として、普通列車にも使用されることを想定した設計となっていることは前述のとおりです。しかし実際には、153系使用列車は2扉で乗降性に難があることから、遅延が生じやすくなっていました。
そこで、153系の置き換えにあたっては、急行「伊豆」の運用と普通列車としての運用をできる限り分離した上で、普通列車に充当する分として必要な車両は、185系ではなく113系(シートピッチ拡大版の2000番代)を投入して置き換えることとし、185系の投入は優等列車運転に必要な数に抑えることになりました。したがって、田町所属の153系の置き換えは、185系だけではなく、113系2000番代を合わせて投入することで進められています。
ここでちょっとした余談を。
当時の田町電車区に、近郊型車両が配属されるのは初めてのこと。それでなくとも、当時の鉄道趣味界では、田町電車区は優等車両や最新型車両で固められた名門という認識があり、なおかつ「田町には最新型車両が投入される」という不文律(?)もあるといわれてきました。
そのような認識が当時の鉄道趣味界にあったためか、田町に113系2000番代が配属されることが決定すると、当時の愛好家は「あの田町に近郊型車両が入るとは…」と嘆いていたものです。しかし、それでも113系2000番代が当時の最新型であることは確かで、「最新型を田町に入れる」という不文律は、この時点では崩れていません。

ともあれ、185系は、特急型車両としては異例ずくめのスペックで世に出ることになりました。
次回は185系が世に出て、153系を置き換え始めるお話を。

その3(№5418.)に続く