その1(№5010.)から続く

「平成の間に変わったもの」、前回は「撮り」を取り上げましたので、今回は「乗り」について取り上げます。

「乗り鉄」に必須なのは、周遊券などの「乗り放題切符」。
平成の初期は、JR各社は国鉄時代のスキームを踏襲していましたから、国鉄時代の「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」が健在でした。「ワイド周遊券」は自由周遊エリアも広く(北海道は北海道全土、九州は九州全土など)、有効期間も長く(東京都区内発基準で、北海道・九州は20日間有効だった)、なおかつ自由周遊エリアへの往復は急行自由席が急行料金なしで利用でき、自由周遊エリア内では特急自由席が乗り放題と、「乗り鉄」派の強い味方でもありました。しかも当時は、上野発着の座席夜行急行「八甲田」「津軽」などが健在で、かつ北海道内・九州島内ではそこで完結する夜行急行列車があったため、これらを宿代わりにして宿泊費を節約し、ひたすら乗り続けるという猛者も沢山いました。勿論、「ミニ周遊券」も自由周遊エリアはワイド周遊券より狭いものの、急行自由席乗り放題は同じでしたから、リーズナブルな旅を楽しめたのは同じでした。
これらとは別に、年末年始・春休み・夏休み期間に売り出される、普通列車乗り放題の「青春18きっぷ」もあり、こちらも「乗り鉄」派の熱い支持を受けていました。この切符のシーズンになると、東京駅発着の「大垣夜行」(のちの『ムーンライトながら』の前身)や中央線の夜行列車などは大混雑を呈したものです。
勿論、管理人も国鉄時代末期からJR初期にかけて、これらワイド・ミニ周遊券や青春18きっぷの恩恵を十二分に享受しております。

しかし、これら「周遊券」も、縮小の動きが見られるようになります。
平成5(1993)年ころだったと思われますが、ワイド・ミニ周遊券の有効期間を短縮する改正が行われました。これはワイド周遊券について特に顕著だったのですが、自由周遊エリアが広く特急自由席に乗り放題だったため、地元客が定期券代わりに利用する例、あるいは複数の人物が1枚の周遊券を使い回す例(これは旅客営業規則で禁止されている不正乗車であり、種村直樹『汽車旅相談室』でも周遊券の使い回しの是非を尋ねた質問者に対して、否定する回答をしている)などが蔓延しており、利用実態に見合った運賃・料金の収受がなされていないという問題が顕在化しました。このような問題は、国鉄時代からあったのですが、国鉄時代は全国一社でしたから、全体で収支がとれていればよいとして、それほど問題にならなかったものです。しかしJR分立後は、「利用実態に見合った運賃・料金の収受」が行えなければ死活問題ですから、このような利用実態にメスを入れざるを得なかったものと思われます。
さらに、JR分立の結果として、周遊券の収益の配分が面倒になること、利用実態に見合った配分ではないこともクローズアップされてきます。前者の問題はおよそ長距離切符全般に存在するものですから、JR各社もやむを得ないものとして容認できると思われますが、問題は後者。例えばかつてあった「北陸ワイド周遊券」であれば、東京都区内発着の場合、自由周遊エリアへの出入りは①東海道線米原経由、②東海道線・高山線経由、③中央線・大糸線経由、④高崎線・信越線長野経由、⑤高崎線・上越線経由という、実に5通りものルートがありました。この周遊券の発売額は、東京都区内~米原~金沢~直江津~宮内~高崎~東京都区内のルートの切符を基に、自由周遊エリア内の自由席特急料金相当額を上乗せして決定していたそうですが、そうなるとこの周遊券の収益は、JR東海と西日本、東日本の3社で按分することになります。しかし、実際のユーザーが往復とも長野経由などを利用して東海道線経由のルートを利用しないのであれば、全くJR東海が利用されないにもかかわらず、同社は収益を受け取ることができるようになります。これはJR東日本やJR西日本にとって「面白くない」結果であることは、想像に難くありません。逆に、往復とも東海道経由で北陸ワイド周遊券を利用した場合などは、特に新幹線を利用した場合、JR東日本エリアの路線はほとんど利用されないことになり、逆の結果となります。
このためか、後にJR東日本では「北陸フリーきっぷ」なる、北陸ワイド周遊券の自由周遊区間をやや縮小したものを発売していました。勿論こちらは、東海道線経由は不可となっています。

このような収益分担の問題があるためか、JR各社は国鉄時代から続いたワイド・ミニ周遊券の発売を止め、平成10(1998)年4月1日から「周遊きっぷ」なるものの発売を開始しました。これは、従来の周遊券の自由周遊エリアを「ゾーン券」という1枚の切符とし、その「ゾーン」に往復するための切符を「ゆき券」「かえり券」(これらを総称し『アプローチ券』と称する場合もある)としてセット販売するもので、アプローチ券は通常の乗車券の2割引となっていました。
この切符は、行きと帰りでのルートの制約がなくなったこと、ゾーン内では特急自由席が無料になったことなどのメリットもあり、愛好家筋にはそれなりの人気があったようですが、発券の手続きが複雑すぎて一般利用者には普及せず、平成24(2012)年に廃止されました。

そして、かつて周遊券利用者の強い味方でもあった夜行列車は、平成5(1993)年に「八甲田」「津軽」が廃止されたあたりから、雪崩を打ったように廃止が相次ぎました。それでも北海道・九州内では特急化されたにせよ夜行列車は残ってはいたので、まだよかったのですが、北海道の夜行は平成19(2007)年までに、九州の夜行もその4年後に全て廃止され、夜行列車を宿代わりに使う芸当ができなくなりました。夜行列車そのものも、平成27(2015)年の「北斗星」を最後に所謂「ブルートレイン」が全廃、座席夜行列車もその翌年に急行「はまなす」が廃止され、日本国内で運転されている定期夜行列車は、東京-出雲市・高松間の「サンライズ出雲・瀬戸」のみになりました。
もっとも、現在は当時とは異なり、安価なビジネスホテル・カプセルホテルも多数出現し、さらにそれらよりも安価に夜を明かせるネットカフェ、あるいはサウナなどの温浴施設もあり、しかもそれらを検索・予約することも、スマホの普及により格段に容易になっておりますので、現代の「乗り鉄の猛者」たちは、こちらを利用しているのでしょう。ただ、ワイド・ミニ周遊券がなくなったこと、宿代わりに使える夜行列車が壊滅したことで、現在の「乗り鉄」の難易度は、むしろ平成初期よりも上がっているのではないかと思います。
そして最後の砦となっている「青春18きっぷ」に関しても、度重なる新幹線開業とそれに伴う並行在来線の第三セクターへの移管などに伴い、乗車できる路線が減少してきており、国鉄時代~JR初期よりも、使い勝手は良くなくなっております。

乗り放題切符の減少や夜行列車の減少に伴い、かつてのような、夜行列車を宿代わりにする猛者はほぼ絶滅したといってよいでしょう。このような状況の変化も、「乗り鉄」の生態を劇的に変えてしまったものといえます。今回は「乗り鉄」の生態そのものよりも、周遊券などの話に終始してしまった感が無きにしも非ずですが、「乗り鉄」の生態を変えてしまった最も中心的な事象として、取り上げざるを得ませんでした。

次回は、鉄道模型の世界、所謂「模型鉄」の界隈がどう変化したかについて取り上げます。

その3(№5021)に続く

 

※ 当記事は12/12付の投稿とします。