今回から全4回に分けて「平成の間に変わったもの」というタイトルで、鉄道趣味界の変遷を取り上げていこうと思います。よろしくお付き合いのほどをお願い致します。
第1回は、写真撮影について。

鉄道愛好家といえば「撮り鉄」といわれる、写真撮影に心血を注ぐ愛好家も多く、そこまでいかなくとも、日常その他趣味活動の記録、あるいはスナップ写真の延長線上のものとして、写真を撮影する人も多いものです。たとえ地元駅での「駅撮り」であっても、それが年に1回でも、継続していればまたとない記録になるからです。

撮影に必要なツールといえば、勿論「カメラ」。「撮り鉄」各位のように本格的な写真を撮影する人は一眼レフカメラ、そうでない人は「バカ〇ョン」(諸事情により伏せ字)あるいはコンパクトカメラで撮影する。これは昭和のころも、令和の御代となった現在も変わりません。
変わったのは、それらカメラがデジタル化したことと、撮影に必要なツールがカメラだけではなくなったこと。
平成の初期は、一眼にしてもそうでないカメラにしても、フィルムを装填して後日現像するという、フィルムカメラが当たり前でした。勿論、その写真の出来は現像してみるまでわかりません。現像は自分でやる人もいたようですが、現像は撮影以上に専門的な技術・知識が必要なこと、非常に手間がかかることなどから、街の写真屋さんにフィルムを持ち込み現像してもらうのが主流でした。
一眼レフカメラでは「連写」ということもできたようですが、当時はフィルム代も現像代も馬鹿にならない額。そのため、多くの愛好家は、一眼にせよコンパクトにせよ、シャッターチャンスを慎重に見極めてシャッターを押したものでした。
管理人にも経験がありますが、今から35年前、高校生だった管理人は、当時のブルートレイン「さくら」で長崎へ行きました。そのとき、市電など鉄道は撮影したのですが、バスは殆ど撮影しませんでした。当時、九州のバスは西工(西日本車体工業。北九州にあったバスボディのメーカー)のボディを架装した車が主流だったのですが、中でも「カマボコ」と呼ばれる特徴ある風貌の車がまだ沢山残っていて、趣味的にも貴重なものでした。しかし、当時の管理人は、それらの写真は撮らずに終わってしまいました。理由は勿論、フィルム代と現像代の節約のため。同じ理由で、地元の東急バスや都営バスなども撮影していません。今これらを撮影して記録しておけば…と悔やまれてなりません。

それが、カメラのデジタル化によって、フィルムを装填する必要がなくなりました。
フィルムを装填する必要がなくなったということは、フィルムの残量を気にする必要もなくなったということであり(勿論メモリ容量の問題はありますが、それを別にすれば)、かつ現像代を気にする必要もなくなったということでもあります。
フィルム残量も現像代も気にしなくてよいのであれば、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の格言を地で行く格好で、とにかくシャッターを切りまくればいいことになります。そしてその中から、最も出来のいい写真を選択し、残りを消去する。そこまでいかなくとも、フィルムカメラであればシャッターを切るのが躊躇されたような場面であっても、気軽にシャッターを切ることができる。写真を「記録」として考えた場合、デジタル化によって記録することがフィルム時代よりも格段に容易になったということがいえます。
しかし、何事も光あるところ影あり。メリットがあればその分デメリットがあるものです。写真のデジタル化によって、フィルムカメラ時代には必要がなかったか、あっても帰宅・現像完成後家で行っていた「画像整理」を行う必要が生じました。勿論帰宅後に行う人もいるのでしょうが、多くの愛好家は旅先で行うようです。中には、一眼レフカメラからノートパソコンに画像を取り込み、それで整理作業をする猛者もいると聞きます。そのような作業を旅先で、それも夜遅くまで行うようでは、せっかくの「旅」が過酷なものになりすぎてしまうのではないか、画像整理よりも地元の料理や酒を堪能するとか、休息に充てるとかの方が、より思い出が深くなるのではないか。管理人としてはそのように思えてなりません。勿論、撮影に全精力を傾ける人もいますから、そういう人の営みを否定するつもりはありません。ただ、デジタル化によって「余裕」がなくなったような気がすることは事実です。

以上とは別に、写真のデジタル化は、撮影ツールをカメラにとどまらなくしました。
平成10年代くらいから、携帯電話にカメラ機能が搭載され、「写メ」(写真メールの略語?)が一般化しました。携帯電話の他、携帯ゲーム機にもカメラ機能が搭載されたものが出現しています。
このような、携帯電話などがカメラ機能の搭載を一般化したことは、写真撮影に対するハードルを格段に下げることにもなりました。
平成20年代になると、高機能化した携帯電話、所謂スマートフォン(スマホ)が出現しますが、そのスマホの中には、カメラとしてもデジタルカメラのコンパクト版(コンデジ)を遥かに凌ぐスペックのものが出現するに至っています。コンデジは平成10年代初頭に出現し、その後手軽さと相まってユーザーを増やしていきましたが、やはり携帯電話・スマホの撮影機能の手軽さにかなうものではなく、最近はコンデジが全く売れなくなっているそうです。
これら「カメラではない撮影ツール」が人口に膾炙したことにより、「撮り鉄」人口の増加をもたらしました。
そしてこのことが、「『撮り鉄』のマナー低下」の問題を生じさせているといえます。
勿論、「数が増えれば質が低下する」という単純な相関関係があることは事実なのですが、それ以上に、それまでは人間関係の中で培われ伝えられてきた「撮影に関するルールやマナー」が、そのような「新規参入者」に伝わっていないことも指摘できようかと思います。こうなってしまうのは、人数の増加の他に、従来は人間関係の中で得てきた撮影地や列車などの情報が、インターネットの普及・発展により、自らが検索することで(つまり人間関係に頼らずに)得ることができるようになったことも、大きな要因といえるでしょう。勿論、それら以前の問題として、家庭や学校における教育力の低下や、行き過ぎた個人主義の尊重という、より大きな問題もありますが、これに関しては、当ブログの守備範囲を凌駕してしまうため、問題点を指摘するにとどめます。

平成の30年間で、写真撮影はフィルム(アナログ)からデジタルへと移行しました。このことは、フィルムや現像にかかる経費を事実上なくしたというメリットもありますが、反面撮影ツールの多様化による人口の増加などの要因により、マナー・モラルの低下という負の面も生み出してしまいました。
鉄道などの写真を撮影する際は、対象が公共物であることを忘れず、周囲に迷惑をかけないようにしたいものです。管理人も改めて気を付けようと思いました。

次回は、「撮り鉄」の次は…ということで「乗り鉄」の生態について取り上げます。

その2(№5015.)へ続く