その8(№4521.)から続く

 

昭和57(1982)年に何とか開業した東北・上越新幹線ですが、その3年後の昭和60(1985)年、遂に上野へと達します。

それを期して、国鉄では東北・上越新幹線上野開業の日となる3月14日にダイヤ改正を実施します(『60.3』)。

「60.3」での改正点は以下のとおり(L特急に関する事項のみ列挙)。

 

【新設及び新たなL特急指定】

・ 新特急なすの(上野-宇都宮・黒磯)

・ 新特急あかぎ(上野-前橋)

【系統建て替え・列車名変更】

・ 新特急谷川(←谷川)(上野-水上)

・ 新特急草津(←白根)(上野-万座・鹿沢口)

【廃止】

・ やまばと(上野-山形)

【変更】

・ 東北地区の485系特急について、上野発着列車を除き全てグリーン車の無い6連に変更(後に改造によりグリーン席を用意)

・ 「白山」減便(3往復→2往復)、「つばさ」は上野発着1往復のみに

・ 「踊り子」定期列車を185系に統一

・ 「雷鳥」「しらさぎ」「白山」から食堂車の連結を廃止(食堂車営業L特急の全廃)

・ 「しなの」に大糸線直通列車が出現

・ 「くろしお」に485系を投入

・ 「雷鳥」の一部にお座敷車両「和風車だんらん」を連結

・ 「雷鳥」「しらさぎ」「あさま」「あずさ」「有明」「にちりん」などで短編成化による増発を実施

・ 「しおさい」「あやめ」などで閑散期と多客期で編成変更を実施

その他、各系統で編成短縮を実施

 

このように変更点の多い改正ではありますが、L特急の運転系統の改廃ないし変更となると、上野発着の「新特急」と称される列車群の出現と、「やまばと」の廃止くらいとなっています。

「新特急」とは、上野発着の東北・高崎線のみに運転された列車で、以下の特徴を備えていました。

 

① 185系を使用

② 特急券を購入すれば定期券で乗車可能(当時特急は定期券では乗車不可だった)

③ 50kmまでの自由席特急料金は急行と同額

④ 停車駅は急行並み

⑤ 編成は自由席が主体

 

つまりこれらの列車は、本来の特急である485系や183系を使用する列車に比べるとスピードも設備も劣ること、従来165系を使用していた急行を185系で置き換えて特急に格上げしたことから、本来の特急よりも料金を安価に、かつ定期券での利用を認めるようにし、利用しやすくすることを狙ったものです。この改正で国鉄は、「谷川」「白根」をただの特急から「新特急」に改め(『白根』は列車名を変更)、さらに「あかぎ」を新特急の一員としてL特急指定をしたほか、東北線に新たな新特急として「なすの」を設定しました。

これら列車には、改正まで上野-大宮間で「新幹線リレー号」に従事していた185系200番代が使用されましたが、「新幹線リレー号」廃止による所要編成数の減少に伴い、一部が田町へ転じて「踊り子」運用に従事、183系を「踊り子」から放逐しています。

さらに東北・上越新幹線が上野に達したことで、存在意義が薄くなった「やまばと」が廃止、「白山」も直通旅客の減少が勘案され減便されました。「つばさ」は上野発着列車が1往復だけ残存しましたが、この1往復は何と、7年後の山形新幹線開業まで生き延びることになります。

 

この改正では、全体的に増発が図られましたが、これは、国鉄が1列車あたりの編成を短くして列車の頻度を増やす「短編成・高頻度」の方向に切り替えたからです。この方向は、前回の「57.11」で広島地区に「短編成・高頻度」のダイヤを導入したところ成功を収め、その後静岡地区などでも成功したことにより、「短編成・高頻度」のダイヤを特急列車にも採用しようとしたもので、現在の航空業界で世界的なトレンドとなった「機材を小型化して頻度を上げる」運航と同じ発想です。例えば「あさま」「あずさ」系統は、それまでの12連を9連と短くし、その代わりに本数を増やしました。しかし、それに必要な車両は殆ど新造されず、改造車で賄うこととなりました。そのため、特急型から通勤型、果ては新幹線車両に至るまで、ありとあらゆる系列に珍妙な改造車が多数現れ、それらは格好の趣味的興味・研究の対象となりました。

そのような珍妙な改造車の中でも、群を抜いて注目されたのが「くろしお」用の「キングオブ珍車」クハ480。この車両については、既に様々なところで語られており、当ブログでも折に触れて言及していますから繰り返しませんが、ここでは「381系使用列車との圧倒的な速度差」だけを指摘しておきます。本来なら「くろしお」増発には381系の増備となるところですが、そうならなかったのはやはり、当時の国鉄財政のなせる業でしょう。

このように、効率化が追求された一方で、食堂車連結・営業列車の「最後の砦」であった北陸から食堂車が全廃されたのは、時代の流れとは言え寂しいものでした。最後の食堂車連結L特急は「雷鳥」「しらさぎ」「白山」の3系統。「L特急」の誕生時には「食堂車の連結」を必須項目とするかどうか真剣に検討されたそうですが、L特急誕生から13年経過して、遂に食堂車連結列車が全廃されたことは、今にして思えば、特急列車が特別な列車としての「特別急行」から日常の列車としての「特急」に転化した瞬間だったと思います。

それでも、余剰食堂車の活用という面がありながらも、一部の「雷鳥」に「和風車だんらん」の連結がなされたことは、趣味的には喜ばしいことでした。しかし、鉄道趣味界の期待や関心とは裏腹に、同車の連結はあまり長続きしませんでした。長続きしなかった理由は、チケットの売り方に難があったからとも、客室の環境に難があったから(完全な個室ではなかった)ともいわれています。

 

このほか、房総の「しおさい」などで閑散期・多客期で編成変更を行うようになった(これによって、クハ183-0の貫通扉が営業運転で実際に使用されることになった)のも、効率化を図った一環といえます。

しかし、今にして思えば、このとき国鉄が目指した「効率化」は、やや極端に過ぎる嫌いもあったようで、その象徴といえるのが、東北地区の485系からグリーン車連結がなくなったことです。流石にこれには、フルムーン利用客などから反発の声が上がり、後に先頭車を改造してグリーン席を設けるようになっています。

 

「60.3」の1年後、国鉄としては最後のダイヤ改正となる白紙改正を11月1日に行います。そのとき、L特急に新系統が登場するのですが、4年前の「やくも」以来途絶えていた、気動車によるL特急が復活することになります。

 

その10(№4538.)へ続く