その7(№4519.)から続く

 

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日本は2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たし、今日未明(日本時間)にベルギーと対戦します(この記事をアップするのは試合開始前ですので、管理人は結果を知りません)。このトーナメント進出の経緯に関しては議論百出ですが、グループリーグは脱出できなければ意味が無いので、あれは戦術の一環だと管理人は考えています。

 

では本題へ参りましょう。

 

「55.10」からほどなく、東北・上越新幹線の開業が昭和57(1982)年と決定しました。

しかし、当初予定された同時開業は諸事情によりかなわず、しかも当初は上野-大宮間が未開業、同区間を専用接続列車「新幹線リレー号」に頼らざるを得ないという、非常に不完全な形態でした。

それでもこの年の6月23日、東北新幹線が先行開業しました。盛岡まで達する速達型の「やまびこ」4往復と仙台までの各駅停車型「あおば」6往復のみという暫定ダイヤでスタート。そのためか、この時点では、在来線を走る特急列車は「やまびこ」4往復(全列車)と「ひばり」6往復が廃止されただけで、ほぼそのまま存置されました。

そして同じ年の11月15日、上越新幹線開業に伴い東北新幹線も暫定ダイヤから本格的なダイヤに移行すると、国鉄はこれを機会に全国規模の大ダイヤ改正を行います。

 

前記ダイヤ改正「57.11」のトピックは以下のとおり(L特急に関する事項のみ列挙)。

 

【新設】

・ たざわ 盛岡-秋田

・ 谷川 上野-水上

・ 白根 上野-万座・鹿沢口

【廃止】

・ やまびこ 上野-盛岡(6月22日をもって全廃)

・ ひばり 上野-仙台(6月23日から減便)

・ とき 上野-新潟

【減便】

・ つばさ 上野-秋田

・ やまばと 上野-山形

その他「つばさ」に福島発着列車が登場

【系統建替え】

・ はつかり (改正前)上野-青森 →(改正後)盛岡-青森

・ いなほ (改正前)上野-秋田・青森→(改正後)新潟-秋田・青森

【その他】

・ 他系統では満遍なく増発。特に、九州・房総・北陸・東北地区では優等列車の総特急化(夜行と支線区直通列車を除く)を実施、関連系統を増発

・ 「やくも」電車化、381系に置き換え(5月から)

 

「57.11」では東北・上越新幹線に接続する在来線特急が整備され、改正前は上野発着だった長距離特急「はつかり」「いなほ」について、運転区間を変更の上増発し、新幹線接続列車として生まれ変わっています。また「つばさ」の一部には初めて福島発着列車が出現しましたが、これも「つばさ」が「やまばと」ともども新幹線接続特急としての任を受けた結果です。

そして新幹線接続特急としての純然たる新系統が「たざわ」。この列車は、電化した田沢湖線を経由し盛岡と秋田を結ぶ特急列車で、「加越」と同じように新幹線接続に特化された使命を持つ列車です。上野対秋田であれば、距離は奥羽本線経由か東北・北上線経由の方が短いのですが、新幹線に乗車する区間が長いため、盛岡で「たざわ」に乗り継ぐルートが所要時間では最速となり、特に新幹線上野開業後はこのルートが主流になっています。国鉄はそれ故にこそ田沢湖線を電化・改良したのでしょうが、「たざわ」は好調な乗車率をキープ、現在の秋田新幹線「こまち」の源流となります。

ただし、「つばさ」「やまばと」のルートは、新幹線区間が短いため時間短縮効果が薄い上乗り換えも煩雑であり、そのため利用者の便宜を図って「つばさ」の上野発着列車と「やまばと」は減便されたものの存置され、「やまばと」もL特急の指定は外されませんでした。

それはいいのですが、「57.11」を機に、東北の特急は9連(グリーン車組込み)又は6連(グリーン車無し)に統一され、改正前まで連結されていた食堂車は、編成から外されてしまいました。これは「つばさ」「やまばと」の上野発着列車も例外ではなく、特に長距離利用者にとってサービスダウンともなっています。「57.11」では、他方で「白山」に食堂車の連結・営業が復活していますから、いかにこのころの国鉄が車両の運用効率一辺倒の列車ダイヤを組んでいたか、そのことがよく分かります。

その一方で、「やまびこ」「ひばり」「とき」は新幹線に完全に役目を譲って廃止され、7年前の「つばめ」「はと」「しおじ」廃止に続く、L特急の廃止となりました。「とき」廃止に伴い、同列車3往復のみで最後の活躍を続けてきた181系も退役し、特急電車の始祖である同系が全ての特急運用から退きました(改造車は一部が残存)。

 

この他注目されるのは、185系(『新幹線リレー号』に充当されていた同系200番代)によるL特急が、1年前の「踊り子」に続いて高崎線系統に登場した点です。それが「谷川」「白根」の両列車ですが、これは同区間を走っていた165系急行の置き換えでもあります。「白根」の場合は臨時列車の定期格上げという面もありますが、臨時時代は183系1000番代が充当されていましたから、185系への変更は明らかなサービスダウンでした。このことは国鉄当局も認識していたようで、こちらでも「踊り子」同様の割安な特急料金が設定されました。これら列車は、このとき設定された特急「あかぎ」(この列車はこの改正の時点ではL特急の指定はなされなかった)と共に、後に「新特急」グループを形成する列車となります。

 

以上とは別に、この年の5月、気動車のみによるL特急として注目されていた「やくも」が、伯備線及び山陰本線の電化完成に伴って電車化されています。

「やくも」でキハ181系を置き換えたのは381系であり、これは9年前に「しなの」を置き換えた図式と全く同じですが、「しなの」と異なるのは、「やくも」には当初、「とき」廃止で浮く183系1000番代を投入する計画だったということです。これは言うまでもなく、当時の国鉄の財政状況と余剰車両の転用計画を勘案した結果ですが、このことを知った地元が381系の導入を国鉄当局に強く働きかけ、また上越新幹線の開業が遅れて183系1000番代の転用が電化完成に間に合わなくなったこともあって、381系の投入に変更されたとか。しかし、ある試算によれば、183系1000番代を実際に「やくも」に投入していたら、かえって気動車時代より遅くなるという結果が報告されていますので、もしかしたら国鉄は、最初から183系1000番代の転用などやりたくなかったところ、「地元からの働きかけ」という大義名分を得て、堂々と381系投入に舵を切ることができたのかもしれません。

結局、183系1000番代は「あずさ」増発や房総の優等列車の総特急化に供されました。このとき、房総では成田線経由で銚子へ達する特急「すいごう」が登場しましたが、この列車は本数が少なかったためか、L特急指定はなされませんでした。東京-佐原間で「あやめ」と同グループとみなすか、又は東京-銚子間で「しおさい」との兄弟列車とみなしての指定も不可能ではなかったはずですが、列車の運転系統を厳密に考えた結果でしょうか。

 

そして「ひばり」廃止などで浮いた485系は九州へトレードされ、車齢の新しい車が大挙して九州へ移りました。それによって、2年来の懸案であった「九州島内の優等列車の総特急化」が実現しています。九州以外でも、北陸地区での「雷鳥」などの増発が行われました。「雷鳥」など北陸地区の特急は、大半で食堂車の連結・営業が存置されていましたので、「57.11」以降、「雷鳥」「しらさぎ」「白山」の3系統が、食堂車を連結・営業する最後のL特急となっています。L特急誕生から10年を経過し、食堂車を連結・営業するL特急は、僅か3系統にまで減少しました。

 

次回は、東北・上越新幹線が上野に達する、昭和60(1985)年3月のダイヤ改正の動きを取り上げます。

 

その9(№4527.)へ続く