3月12日の「京急充」の記事を一旦中断して、ブログナンバー4400にちなみ、そして小田急GSE70000形就役を記念して、ネタ記事いかせていただきます。

今回は、元三重交通モ4400形として著名な、三岐鉄道北勢線200系電車にちなみ、「連接車」を取り上げます(『連接車』の定義については後述)。

 

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2枚目の写真、確かに連結面に台車の構造物が見えますね。これこそがまさに「連接台車」。

実は「連接車」と「連接台車」とは全くの別物で、鉄道趣味界では「連接車」というと、↑の2枚目の写真のように「2つの車体の間に台車を設け、車体をつなぐ構造の車両」をいうと解されているようですが、「連接車」を厳密に定義すると、「運用中に分離可能な連結器を使わずに、半永久的、直接的に車体同士を関節構造で接続した列車のこと全般」となります。この定義によれば、フローティング車体を持つ路面電車「リトルダンサー」のような車両や、片方の台車に一方の車体を乗せ掛けているだけの国鉄キハ391形なども、この「連接車」の定義に該当することになります。

当記事では、「連接車」を取り上げますが、そのようなものではなく、「2つの車体の間に台車を設け、車体をつなぐ構造の車両」、すなわち小田急VSEなどや江ノ電の車両のようなもののみをいうと定義し、それを前提に進めていきます。

 

連接車が初めて日本に現れたのは、昭和9(1934)年の京阪80形「びわこ号」とされていますが、これは鉄道線規格の京阪本線から路面電車規格の京津線へと直通するため、京津線の急カーブと急勾配に対応する必要があったためで、そのため80形は路面電車規格の車体となっています。その6年後、鉄道線規格の連接車としては初めて、西鉄に500形という連接車が登場します。

連接車は、軸重を軽減できること、急カーブに対応できること、高速走行時の安定性が高くなること、ボギー車よりも曲線でのはみ出しが少なくなるため車幅を拡げることができることなどの利点から、路面電車あるいはその規格の路線の車両に多く採用されていますが、路面電車での連接車採用の嚆矢は、昭和15(1940)年の名古屋市電2600形です。戦前・戦中での路面電車における連接車の採用例は、名古屋市電のみとされていますが、戦後は輸送力増強の要請からか、連接車の採用が増加する傾向にありました。しかしその後、モータリゼーションの進展により路面電車自体が路線廃止となるものが多かったため、その後の採用例は減少しています。

 

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かつて需要増大期に導入された路面電車の連接車
(写真は広電3000形・元西鉄福岡市内線の連接車で、西鉄時代の2車体連接を3車体連接に改造している)

 

鉄道線においては、小田急が新型特急車両を製造する際、「新宿-小田原60分」を目指し高速化を模索していたところ、軸重軽減や高速走行時の安定性という連接車のメリットに目を付け、実際に西鉄500形を視察するなどして連接車と通常ボギー車の得失を徹底的に比較検討した結果、連接車とすることに決定、昭和32(1957)年、SE車3000形として結実しています。その後、小田急はNSE3100形、LSE7000形、HiSE10000形と連接車を世に出してきましたが、SE車登場の34年後、平成3(1991)年に登場した20000形RSEでは通常のボギー車に改めています。これは、JR東海との相互直通運転に関する協定に基づいて製造されたためやむを得なかったのですが、さらにその6年後の平成7(1995)年に登場したEXE30000形では、収容力と分割併合による運用の柔軟性を重視した結果、通常のボギー車とされています。EXEの10年後に登場したVSE50000形は連接車となり、しかも空気ばねによる車体傾斜機構も備えるハイテク仕様となりました。これで小田急は連接車を捨てていなかったと思ったのもつかの間、平成20(2008)年登場のMSE60000形は再びボギー車に戻されました。MSEは地下鉄乗り入れの必要があるためボギー車となるのはやむを得ないといえ、次の特急車がどうなるかは大いに注目されたものですが、今年就役したGSE70000形は通常のボギー車とされ、連接車ではなくなってしまいました。

ちなみに、海外ではフランス国鉄TGVが連接構造を採用していますが、これは高速走行時の安定性という連接構造のメリットを取った結果といえます。

 

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小田急は初代SEから4代目HiSEまで連接車だった(写真は2代目NSEの保存車両)

 

上でもちらっと触れていますが、連接車にはデメリットも勿論あります。その最大のものは、運用の柔軟性がないこと。小田急がEXEをボギー車としたのは、まさにそれが理由ですが、これまで国鉄~JRで連接車が殆ど世に出なかった理由もその点にあります。かつて国鉄では、TGVのような準動力集中方式の気動車列車を計画していたことがあり、これは中間車を連接構造にする構想もあったようですが、この構想が放棄された最大の理由は、編成の自由度が無く運用上の柔軟性がないことでしょう。国鉄時代の常識では、気動車列車は特急列車と言えども1両単位での増解結が容易であり、それ故に柔軟な対応が可能だったということですから、そのようなメリットを手放す連接車の採用は、できない相談だったことは想像に難くありません。

また、連接車のもうひとつのデメリットは、メンテナンスに手間がかかるということです。通常のボギー車であれば1両単位で検査することが容易ですが、連接車の場合車両の切り離しが大変であり、それだけでもかなりのコストがかかってしまいます。小田急がGSEを通常のボギー車にしたのも、連接車のメンテナンスの大変さがあったのではないかと思われます。

 

そうすると、連接車を採用する鉄道事業者は、デメリットを凌駕するメリットがある場合、具体的には急カーブが多く存在する路線、あるいは路面電車ないしそれに準ずる規格の路線で、車幅を拡げるなどして収容力を増大させる必要がある場合に限られてきます。前者の例が江ノ電など、後者の例が東急世田谷線などです。

 

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江ノ電は急カーブが多いため現役車両の全てが連接車となっている

 

今後は、普通鉄道での連接車は世に出にくくなるのではないかと思われます。今のところ、最後に登場した普通鉄道における連接車は、試験車以外では平成18(2006)年に登場したJR東日本のE331系ですが、就役後僅か8年、平成26(2014)年に退役してしまいました(平成23(2011)年以降は営業運転には就いていなかったので、実際に営業運転を行っていたのはさらに短い期間)。営業運転を行う現役の普通鉄道での連接車としては、もしかしたら小田急VSEが最後になるかもしれません。

高速化を模索する過程では大いに注目された連接車ですが、今後はどうなるのか、普通鉄道においては連接車が「ロストテクノロジー」になってしまうのか、そこも注目したいところです。

 

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※ 当記事で使用している写真は、いずれも以前の記事からの転載です。また、03/18付の投稿とします。