その3(№4357.)から続く

今回は、600形(Ⅱ)の更新・冷房改造について取り上げます。
600形(Ⅱ・以下省略)に関しては、「快速特急」運転開始前後において、既に一部車両の運転台を撤去し中間車化する改造が施されていました。同時に車号を700番代から600番代に改め、東急車輛製と川崎車輛製で異なっていた車号を連番に改め、合わせて4連化を前提とした車号に改められています。しかし実際には、中間車を組み替えて6連固定が作られたり、その関係で2連固定が作られたりするなど、編成両数と車号の関係は一致していませんでした。しかし、そのような中でも、東急車輛製と川崎車輛製の車両は機器構成が異なるためか、編成内ではできるだけ統一する扱いがなされていたようです。

さて、本題の更新・冷房改造についてですが、昭和40年代になると、通勤ラッシュの激化とともに、通勤車両の冷房化が検討されるようになってきました。どの事業者も、扉の数が多く開閉頻度も高い通勤車を冷房化するのは現実的ではないという理由で、通勤車の冷房化には消極的でした。大手私鉄において、特別料金の要らない一般列車用の車両が初めて冷房化されたのは、昭和34(1959)年の名鉄の5500系が戦後初ですが、あれも2扉転換クロスシートという仕様だからこそ、冷房化に踏み切れたという面があります。
しかし、昭和43(1968)年、京王が初めて通勤車の冷房車を世に出すと、国鉄をはじめ他事業者も追随するようになります。京急でも当時通勤車の主力として大量投入していた1000形(Ⅰ)について、昭和46(1971)年のロット以降、当初から冷房を搭載して就役するようになりました(京急初の新製冷房車。車号は1243~)。
そしてライバルの国鉄横須賀線では、「通勤五方面作戦」が策定され、その中で東京-大船間の分離と総武快速線との一体化が計画されていました。その計画に基づき、昭和47(1972)年から113系1000番代冷房車の投入を開始し、横須賀線の車両が全て入れ替えられました。
そこで京急は、車両の冷房化、中でもフラッグシップとなり得る600形の冷房改造を計画、更新と合わせて施行することにしました。

600形の冷房改造は昭和46(1971)年から翌年にかけて行われましたが、非冷房のままだった車両の冷房改造計画も絡んでいることから、各種の装置・方式を比較検討すべく、以下の3種の方法での改造がなされました。
それにしても、2扉クロスシート車でありながら、冷房改造の「実験台」にされたという600形の境遇は、同じころに冷房改造された、阪急の2800系にも通じるものがあるような気がします。

① 屋上に集中型装置を1基搭載
② 屋上に分散型装置を4基搭載
③ 床下に集中型装置を1基搭載

勿論これらには一長一短あります。

① 【長所】屋根上の面積が少なくて済みパンタグラフ搭載車両には好適

  【短所】装置の重量が嵩むため屋根部分の補強工事が必要になる
② 【長所】1基当たりの装置重量はそれほどでもないため屋根にかける負荷を分散できる

  【短所】屋根上の面積を多くとるためパンタグラフ搭載車両には不適
③ 【長所】屋根上に装置を載せなくてよいため屋根部分の補強工事が不要

  【短所】床下機器の多い車両には使えない

これら3種のうち、③の方式で改造されたのは630・632と638・640の4両のみであり、いずれもパンタグラフ非搭載車両です(632と640は先頭車)。その他の車両は、パンタグラフ搭載車両は①の方式、非搭載車両は②の方式での改造がなされました。屋上に集中型装置を搭載する①の方式は、屋根部分の補強工事が必要になるため、パンタグラフ搭載車両に限られるようになったものと思われます。実際、①の方式での搭載は、600形(Ⅱ)改造後は新造投入車のみとされ、その後の1000形(Ⅰ)や700形(Ⅱ)の冷房改造に際しても、②の屋上分散型装置の採用がなされました。
それでは4両だけが登場した③はどうだったのかと思いますが、乗客の評判は、率直に言って芳しいものではありませんでした。冷房装置が床下装備の場合、車内に冷風を導くダクトを通す必要があり、そこがデッドスペースになってしまいますが、600形の場合そのダクトが窓側の床に通されており、クロスシート窓側に着席した乗客の足元が窮屈になり、この席の居住性に難があることが問題になりました。しかしそれ以上に問題になったのは、冷風の吹き出し口。冷風の吹き出し口が、クロスシート部分だと乗客の膝の部分、ロングシート部分だと乗客の首筋の部分となり、これらの部分が冷え過ぎてしまうことで、多くの乗客に不評だったようです。その他にも、この方式では、そもそも機器の冷暖房能力が他の方式に比べて劣っていた(この方式で搭載した機器は、ヒートポンプ式の冷暖両用だった)ことも致命的だったようで、そのためかどうか、以後の京急では、床下冷房の車はこの4両以外に現在まで登場していません。

その他の更新のメニューは、内装を寒色系主体のものに統一したこと、側窓・妻窓の下段を固定化し上段のみを開閉できる仕様に変更したこと、正面の行先表示をサボから方向幕に移行するためサボをかけるフックの撤去(ただしそれ以前に方向幕設置は行われていた)、方向幕の移設などです。

さて、これで今度こそ、600形が名実ともに京急のフラッグシップとして、押しも押されもせぬ地位を得た…と思ったら、そうは問屋が卸さなかったようです。
冷房改造完成の当初こそ、600形を「快速特急」に優先的に充当するなどの心配りはなされていたようなのですが、当時の朝ラッシュ時の凄まじい混雑の前には、2扉クロスシート車で乗降性に難のある600形よりは、3扉ロングシートの1000形(Ⅰ)の方が、会社にとっては使いやすい車両であることは否めませんでした。
その傾向は1000形(Ⅰ)の新造・改造冷房車が増えるとより顕著になり、しかも600形は1000形(Ⅰ)より加減速性能に劣るため、列車密度が高まると使いにくさは増してしまいました。
それでも600形の格下げ改造は行われず(実際に構想はあったらしいのですが実現はしなかった)、2扉クロスシートを堅持したまま、昭和50年代に入ってもなお活躍を続けました。

しかし、昭和57(1982)年、600形に遂に後継者(車)が登場します。その車両の登場は、最優等列車でありながらクロスシート車の充当率が低い状況を打破し、「快速特急」を名実ともに京急の看板列車に据えることを可能とするものでした。
次回はその車両を…と言いたいところですが、これを取り上げるのは次々回とし、次回は「快速特急のスピードを通勤時間帯にも」というコンセプトで運転が開始された「通勤快特」の登場の経緯について取り上げます。

その5(№4374.)に続く