その13(№4298.)から続く

 

今回は、前回言及したとおり「キハ40系の退役の開始」について述べていこうと思います。なお、事故あるいは自然災害に起因する廃車は対象外とし、あくまで余剰ないし老朽化に伴う退役を対象に見ていきます。

 

1 余剰・老朽化による退役

キハ40系の余剰は平成14(2002)年から出始め、この年JR東日本で1両が退役、会津鉄道向けに譲渡されました(後述)。これがキハ40系の(事故廃車以外での)退役第一号ですが、その3年後にはJR北海道で映画撮影用にキハ10系類似の外貌に改造した車両「ぽっぽ屋号」ことキハ40-764が余剰となり退役しました(同車はその後、ロケ地となった幾寅駅に前頭部だけを保存)。

まとまった数が退役するようになったのは、恐らくですがJR四国が最初であろうと思われます。平成18(2006)年の1500形投入により、キハ40系にまとまった数の余剰車が発生、これが平成22(2010)年度までに除籍されました。特に、JR四国のキハ47形は、他社とは異なりワンマン運転対応改造を受けていなかったこと、片運転台で単行運転ができないこと、これらにより運用上の制約が大きいことを理由に、キハ47の方が先に退役しています。同社のキハ40系は、発足時に比べるとほぼ半減してしまいました。

続いてまとまった数が退役したのがJR東海で、こちらは武豊線の電化や新型気動車の積極的な投入により、キハ40系の活躍の場が減少、平成26(2014)年度を最後に、同系は全てJR東海管内から姿を消しています。

余談ですが、JR東海管内におけるキハ40系の退役により、同社が国鉄から承継した車両は、国鉄最末期に投入された211系電車4連2本8両だけとなり、全JR6社の中では最初に、国鉄型車両をほぼ淘汰することに成功しています。

その他、JR東日本・JR北海道でも、キハ40系の退役が進められていますが、この両社における退役のペースは、JR東海・JR四国に比べると遅くなっています。JR北海道の場合は、代替車両が投入されないのに退役する車両が出る、つまり、運用数=列車本数の減少を理由に余剰が発生→退役という、同社の窮状を浮き彫りにするような動きでもありました。

既にキハ40系は、最後の製造車からでも車齢は35年に達しており、同系がいくら堅牢な車体を誇っていても、老朽化の進行が懸念されるところです。

 

2 国内他社への譲渡

(1) JR東日本→会津鉄道

JR各社からJR以外への事業者への初の譲渡例がこれ。

平成14(2002)年、キハ40-511が余剰車となったため、これを会津鉄道が譲り受け、新潟トランシスで一部ハイデッカー構造に改造し、会津鉄道AT-400形なる形式が与えられ、車号は AT-401、車両の愛称を「風覧坊」(ふうらんぼう)として、平成15(2003)年4月に使用が開始されました。先頭部の一方をハイデッカーにして眺望に配慮、運転台は名鉄「パノラマスーパー」1000系のような、下方に設ける方式になり、特徴ある前面形状となっています。ただし、他方は従来どおりの運転台が残存しており、こちら側はリクライニングシートを配した一般客室とされました。

当初はトロッコ車のAT-301(この車両は、日本初の自走可能なトロッコ車両で、種車は何と元国鉄キハ30という、かなりなゲテモノだった)と、それが退役した平成21(2009)年以降は、現在に至るまでAT-351(こちらは新造車)と、それぞれペアを組み、さらにAT-100形お座敷改造車を連結した3連で「お座トロ展望列車」として、行楽シーズンを中心に運転されました。

平成28(2016)年、AT-100形お座敷気動車が退役したことに伴い、この一般席部分をお座敷席に改造し、2連でお座敷+トロッコの需要に応えています。

運用範囲は会津田島-会津若松間がメインですが、時折臨時運用でJR磐越西線の喜多方まで足を延ばすことがあるほか、平成24(2012)年からは東武特急との接続を図り、やがん鉄道経由で東武鉄道鬼怒川温泉駅まで乗り入れています。これは、姿こそ大きく変えたものの、大手私鉄を走るキハ40系として唯一の事例となっています。

(2) JR東日本→錦川鉄道

平成29(2017)年3月、烏山線のキハ40-1000がEV-E301系へ全面的に置き換えられましたが、このとき退役したキハ40-1000のうちの1両(-1009)が、錦川鉄道(旧国鉄岩日線)へ譲渡されています。現車はレトロ調に改装され、9月から営業運転に就きました。

(3) JR北海道→道南いさりび鉄道

平成28(2016)年3月の北海道新幹線開業に伴い、「並行在来線」となる江差線(五稜郭-木古内)を運営する主体として設立された、第三セクターの「道南いさりび鉄道」。ここには、開業時にJR北海道からキハ40-700の9両が譲渡されています。うち2両は、貸切列車あるいはイベント用としても用いられる「ながまれ号」として、カラーリングの変更と内装の改造が行われました。

これは退役に起因する他事業者への譲渡ではありませんが、キハ40系がJRの所属を離れた例として取り上げました。

 

3 海外への譲渡

JR東海で退役したキハ40系は、そのまま廃車解体されたわけではなく、海外へ譲渡されたものが多くなっています。

ミャンマー国鉄では、平成26(2014)年から元JR東海のキハ40系の運行が始まり、翌年3月には、JR東海がミャンマー鉄道省へのキハ40系12両の譲渡、同年7月22日に41両の譲渡を発表しました。結局のところ、JR東海のキハ40系は、そのほとんどがミャンマー国鉄に第二の活躍の場を求めたことになり、解体を免れています。

ミャンマー鉄道省に対しては、JR東日本も、平成27(2015)年にキハ40系19両の譲渡と、車両保守に関する技術支援を行う旨発表しており、同年8月には第一陣が現地に到着、翌月には運用入りしています。

これにより、現地では、日本ではあり得なかったJR東日本東北地域色とJR東海カラーのキハ40系の混結が見られるようになり、これも日本の愛好家の注目を浴びることとなりました。

 

4 保存車両

前述の「ぽっぽ屋号」の前頭部の他、宮城県女川町の温浴施設の敷地内にキハ40-519が静態保存され、休憩所として使用されましたが、平成23(2011)年発生した東日本大震災による津波により、大破してしまいました。

最近では、烏山線で運用終了・退役したキハ40-1000の3両が「那珂川清流保存会」に引き取られ、保存されることになっています。

 

…とこのように、余剰や老朽化、それに伴って退役する例も多く見られるようになったキハ40系。この流れは速まることはあっても、遅くなることはなかろうと思われます。

次回は最終回として、キハ40系の未来、最後はどうなるのかを、占ってみたいと思います。

 

その15(№4312.)に続く