その12(№4290.)から続く
 
今回は、前回に引き続き、JR九州のキハ40系を取り上げます。前回は一般車でしたが、今回は観光列車への改造車を取り上げます。
なお、項目は前回からの通し番号としております。
 
3 観光列車への改造車
JR九州には多数の観光列車が存在しますが、キハ40系の改造車が多くなっています。
これら列車には、全てデザイナー水戸岡鋭二氏が関わっていて、木材をふんだんに用いた内装、車両の外装に散りばめられた種々のロゴなどは、氏のデザインの特徴を雄弁に物語っています。このような特徴を持つ「水戸岡デザイン」の観光列車について、鉄道趣味界では「みんな同じじゃねえか」という揶揄もありますが、これら観光列車がアピールする対象は一般観光客であり間違っても愛好家ではないので、そのような揶揄は、管理人としては当を得たものとは思えません。
ただし、これらの車両は、1つの例を除いて形式・車号の変更は行われていません。
 
(1) 特急「はやとの風」用改造車
これら観光列車のトップを切って、平成16(2004)年に登場した改造車で、キハ140-2066とキハ147-1045の各1両、合計2両を改造したものです。
車内は難燃性の木材を床などにふんだんに用い、座席を回転リクライニングシートに交換、そして外装はSLと貨車以外の鉄道車両では例のなかった黒一色を地色として、その上にロゴをちりばめた、かなり特徴的なものとなっています。この車両、その特徴的な内外装もさることながら、鉄道趣味界では「一般用車両が特急用に改造された!」ということで、当時はかなり話題になりました。
もっとも、特急とはいえ「はやとの風」はあくまで観光列車であり、「ひたち」や「サンダーバード」などのような都市間列車ではなく、たまたま列車種別が「特急」であるだけですから、「はやとの風」用の改造車を「特急用への格上げ改造」と称するのは、管理人には甚だ疑問ではあります。
後にキハ147がもう1両、同仕様に追加で改造され(キハ147-8092)、このときから「はやとの風」は原則キハ147の2連を組むように変更されました。キハ140-2066は増結用予備車となった後、平成24(2012)年には後述する「指宿のたまて箱」仕様に再改造され、同車は現在、いずれにも増結・運用可能な共通予備車となっています。
(2) 「いさぶろう」・「しんぺい」用改造車
こちらは前項と同じ平成16年、キハ140-2125を改造したもので、人吉-吉松間の観光列車用とされました。その後、同年10月にはキハ47-9082を追加で改造、さらに平成21(2009)年にはさらにキハ147-8159が追加で改造され、2~3連を組むことが可能となっています。
内装は前項同様、木材をふんだんに用いたものではありますが、「はやとの風」が回転リクライニングシートなのに対し、こちらはボックス席(ただし一般車とは異なり座席間隔は広く、4人用の他2人用もある)であることと、外装も深みのある臙脂色(古代漆色)とされているのが異なります。
運転開始当初の「いさぶろう」「しんぺい」は普通列車だったのですが、何と平成29(2017)年3月のダイヤ改正で、熊本へ運転区間が延長され、しかも熊本-人吉間が特急として運転されることになってしまいました。つまり、これら車両は期せずして、「特急用」への出世を果たしたことになります。当初特急用ではなかった車両が特急として運用されるようになった車両としては、名鉄のキハ8000系「北アルプス」があまりにも有名ですが、こちらは準急→急行→特急と段階を踏んできています。これに対し、「いさぶろう」「しんぺい」は普通列車から特急への一足飛びであり、その点はキハ8000系と異なっています。
しかし、このような車両を特急として運用するのは、流石に「遜色特急」の謗りは免れないのではないかと思いますが…。なぜかというと、「はやとの風」は純然たる観光列車なのに対し、熊本-人吉間では都市間列車としての需要もあるから。それはいいのでしょうか。
(以前の「遜色急行列伝」の回では、話がややこしくなるので取り上げませんでした)
(3) 特急「指宿のたまて箱」用改造車
これは、平成23(2011)年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴って設定された、同名の観光列車用で、キハ47の2両(-8060、-9079)が改造されました。
以前の「はやとの風」の黒一色にも驚かされましたが、「指宿のたまて箱」もそれに負けず劣らず、鉄道趣味界を騒然とさせました。
それは外板塗色と、客用扉に仕掛けられたあるギミック(仕掛け)。
外板塗色は、鉄道車両としては例の少ない、左右非対称とされました。それだけなら伊豆急「リゾート21」などにも先例があるので珍しくはないのですが、「指宿のたまて箱」は何と、海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒という、強烈なコントラストのある2色を組み合わせたものとなったからです。
そして最大の特徴は、客用扉のギミック。これは、扉が開いた際に玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口より噴射されるというもので、沿線の浦島太郎伝説にちなんだものとされています。
(4) 特急「かわせみ やませみ」用改造車
これは肥薩線の観光列車「かわせみ やませみ」用に、キハ47の2両を改造したものです。 熊本駅側の1号車キハ47-8067は青を基調とした「かわせみ」車両、人吉駅側の2号車キハ47-9051は緑を基調とした「やませみ」車両となっています。
この車両も、木材をふんだんに用いた内装となっているのは他と共通していますが、こちらは885系と同じリクライニングシートが設けられており、ビュッフェ(サービスコーナー)も設けられているので、「いさぶろう」「しんぺい」用キハ40に比べれば、こちらの方が特急としての体裁が整っているように思われます。ただし、都市間輸送よりも観光輸送の方を明らかに重視していますが。
(5) キロシ47形「或る列車」用改造車
これは、四国の回でも言及したとおり、JR四国で廃車となったキハ47形2両(キハ47-176と-1505)を譲り受けて改造を施したものです。これまでの改造車は、形式・車号の変更がなかったのですが、この例だけは唯一、形式・車号の変更を伴うものとなっています。
これは前項までの観光列車とは全く毛色を異にするもので、前項までの観光列車が、その気になれば「みどりの窓口」などで特急券などを購入して誰でも乗車できる列車であるのに対し、こちらは同社の「ななつ星」などと同じ、クルーズトレインの一種となっています。したがって指定席が一般発売されることはなく、この車両・列車に乗るためには、旅行商品を購入する必要があります。
デザインモチーフは、「或る列車」。これは、かつて九州の鉄道路線網を作り上げた九州鉄道(のちに国有化)が、米国ブリル社に発注した豪華客車。しかし日本到着時には既に九州鉄道が国有化され、宙に浮いてしまったという、悲運の客車でもあります。
ただしクルーズトレインとはいっても、同社の「ななつ星」などとは異なり、車内でスイーツや食事を提供する日帰りツアー(したがって、この列車に乗るには旅行商品としてのツアーへの申し込みが必要)ですが、車両は内外装とも「ななつ星」に勝るとも劣らない豪華さとなっています。外装は金色と黒に唐草模様があしらわれたもので、内装も水戸岡氏の趣味(?)どおりに木材をふんだんに用いていながら、それでいて贅を尽くしたものとされており、2両の改造費には驚くなかれ6億円が費やされたとのことです。
そしてこの2両、国鉄時代にも例のなかった「キロシ」なる形式を冠せられているのも特徴的です。グリーン車(←1等車←2等車)と食堂車の合造車自体は、戦前期に何例か存在しますが、それらは全て客車であり、国鉄時代最末期に登場した電車の「和風車だんらん」ことサロ481-500も、本格的な供食設備がありながら形式が「サロシ」にならなかったので、客車以外でのグリーン車と食堂車との合造形式は、このときが初登場となっています。前項までの他の観光列車が普通車扱いで、形式・車号とも変更されていないのに対し、こちらは形式を変更しグリーン車扱いとされ、ここでも特別扱いとなっています。
なお、この2両の車号は
 
キハ47-176 → キロシ47-9176
キハ47-1505 → キロシ47-3505
 
となっています。これは、前者が機関換装などによりキハ47-9000と同等の性能になったこと、後者は機関換装と2軸駆動化によりキハ47-3000と同等の性能になったことが理由です。
この列車に乗車する旅行商品は、日帰りでありながらそれなりに値が張るものとなっているのにもかかわらず、連日売り切れが続いており、「ななつ星」に勝るとも劣らない盛況となっているとのことです。
 
以上、JR北海道からJR九州まで、JR6社のキハ40系を見てまいりました。
既にキハ40系については、888両が全車健在という状況は過去のものとなり、新世代の車両に後を託して退役するものも現れるようになりました。それらの中でも、海外や他事業者で再起するものと、再起が叶わず廃車になるものと、明暗が分かれる結果になっています。
そこで次回以降は、予告編とは内容を違えて、次回を「淘汰の開始と他社への譲渡車両」とし、次々回を最終回として「最後のキハ40系はどこ?」というテーマで、最後のキハ40系はどうなるのかを占ってみたいと思います。
 
その14(№4307.)に続く