今回は、東海道新幹線のバイパスにして、新幹線の進化形ともいえる「中央リニア」(※)の話題を取り上げます。

「リニアモーターカー」は「磁気浮上式鉄道」と訳されますが、これを鉄道のさらなる高速化の切り札と鉄道技術者が考えたのは、レール・鉄車輪を使用する従来型の鉄道では、最高速度に限界があると言われていたからでした。昭和30(1955)年3月29日、フランスで331km/hの鉄道の世界最速記録が作られたのですが、これは最速記録のために軌道や架線を補強し、車両にも高速化のためのチューンナップを施したもので、実用性よりも速度の限界に挑戦する意味合いが濃かったものです。このときの軌道に与えるダメージが甚大であったことや、走行安定性の問題、さらには当時の摩擦係数の計算などもあり、従来型の鉄道の速度の限界は、高く見積もっても400km/hであり、それを超える高速化のためには、従来型鉄道システムからの脱却しかないと考えられていました。
磁気浮上式鉄道は、軌道に磁石を置き、車両側の電磁石の発する磁力により、双方の磁力の持つ反発力・吸引力を利用して車両を動かすもので、走行中は軌道と車両が接触しない利点があります(レールと鉄車輪を案内軌条に使用した形態を除く)。そのため、磁力を大きくすれば高速運転が可能になり、安全性も損なわれず、騒音も少ないなど、利点が多くありました。
ちなみに、軌道側に磁石を置き、車両側の電磁石の発する磁力により車両が走行する方式は、レールと鉄車輪を案内軌条に使用した形態でも実用化されています。この方式は車輪径を小さくできることからトンネル断面を小さくでき、建設費の節減に役立つため、都市部の地下鉄で採用されています(リニア地下鉄)。この方式は、「超伝導リニア」のような高速運転を必要としないことから超伝導の技術も要らないため、これと区別する意味で「常電導リニア」とも呼ばれます。また、磁気浮上式の常電導リニアは、愛知県の「リニモ」など世界各地に存在します。

当時の鉄道技術者が、従来型鉄道では高速化には限界があると認識していたためか、リニアモーターカーのシステムの研究そのものは、東海道新幹線開業前の昭和38(1963)年から、既に国鉄の内部で始められていました。昭和52(1977)年、国鉄は九州の宮崎県に実験線を作り、そこで長期間にわたる試験が行われました。そこを疾走する試験車両は、現在の営業を前提とした「L0系」とは似ても似つかない風貌でしたが、そのような風貌が逆に「未来の鉄道」を表すアイコンとして、当時の国民に親しまれていました。管理人が子供のころ、子供向け図鑑の「未来の鉄道」には、必ずリニアモーターカーが描かれていたものです。
ただ、我が国において磁気浮上式鉄道、所謂「超伝導リニア」の計画が具体化してくるのは、「超伝導」が安定して実現できるかどうかが肝でした。磁性体を絶対零度まで冷却すると、電気抵抗がほぼゼロになり、かつ発熱の問題もない(つまり発熱による電力のロスの問題もない)、それでいて強力な磁力が得られる、というのが「超伝導」の理屈です。しかし、その状態を得るためには、液化ヘリウムなどを用いて磁性体を超低温にしなければならないことや、超低温が失われると超伝導状態でなくなり、磁力が急激に失われる「クエンチ現象」が生じることなど、技術的な問題点もありました。
最近になって、これらの問題点はほぼ克服され、超伝導リニアは技術的には可能ということになっています。
なお、国鉄の分割民営化に伴い、リニアモーターカーの研究は、財団法人鉄道総合技術研究所が引き継いでいます。

次に、「超伝導リニア」の実用路線は「中央新幹線」ということになっていますが(以下「中央リニア」といいます)、なぜこの路線になったのか。
実は、高度経済成長のころから、東海道新幹線の輸送力の逼迫が懸念されたことと、東海道の代替路線確保の必要から、所謂「整備新幹線」とは別に建設しようという計画がありました。勿論このときの中央新幹線は現行のレール・鉄車輪方式の従来型新幹線で計画されていましたが、JR発足後の平成初期、中央新幹線をリニア方式で建設しようということになり、将来の営業路線の一部となる実験線が山梨県に作られました。このとき初めて「中央リニア」の計画が本決まりになったと言えますが、この時期に決まったのはやはり、安定した超伝導状態を作れるかについて技術的な目途が立ったことが大きいのでしょう。

この「中央リニア」はJR東海が自社の事業として自社の予算で建設することを明言しており、これまで「公共事業」としての意味合いが濃かった新幹線の建設とは一線を画するものとして注目されています。ただ、そのようなJR東海の態度に対し、懐疑的に見る人たちもいますが。
今年中に着工、名古屋までは平成39(2027)年までに、大阪までは平成57(2045)年までに開業させるとしていますが、現時点では東京側のターミナルと名古屋のターミナルの位置、車両基地の場所が決定したくらいで、経由する山梨・長野・岐阜の各県のどの辺に駅が作られるのかは決定していません。名古屋以西は、経由地すら未定となっています。
一応、神奈川県の駅は橋本駅付近にほぼ固まっており、山梨県の駅は甲府市の南部、岐阜県の駅は多治見市あたりに作られることも決まっていますが、これらの駅が具体的にどの辺なのかまでは今のところ未定です。長野県に至っては、諏訪湖を経由するのか、南アルプスの山々をトンネルで貫く直線ルートを取るのかすらも決定していません。どの県も「リニアの駅」が欲しいのは分かりますが、あまり政治が鉄道を弄ぶのは疑問です。JR東海が東京-名古屋間を自社資金のみで建設しようと決定した理由のひとつに、経由する自治体の政治的な声を封じたいという考えがあったであろうことは、容易に想像できます。
名古屋以西に至っては、今なお京都と奈良が駅誘致合戦を展開している体たらくですから、よそ者からしたら呆れざるを得ません。京都からしたら、東海道新幹線の駅を現京都駅に誘致することに成功したばかりか、超特急の全列車停車を実現させた「成功体験」があって、それ故の「夢よもう一度」なのかもしれません。奈良は奈良で、京都と比べると観光地としてはどうしてもマイナーなイメージが持たれがちな土地ということで、リニア開業で一発逆転を狙っているかもしれません。管理人は恐らく、名古屋以西は当初の東海道新幹線のルートだった、鈴鹿山脈を長大トンネルで抜けるルートが採用され、奈良線・京阪の六地蔵駅付近に「新京都駅」が作られるのではないかと妄想していますが…。リニアなら、従来型新幹線よりも急勾配には強いですし。

リニアのことをお話していたら、思いもよらぬ分量になってしまいました。
そこで、次回はリニア開業後の東海道新幹線がどうなるのか、考えてみたいと思います。

その31(№2924.)に続く

※ 当記事は11/05付の投稿とします。
また、当記事と次の記事では「リニア中央新幹線」を単に「中央リニア」で統一します。