前回、新幹線のサービスとして、切符(発券)と情報サービスの話題を取り上げました。今回は「食」その他物販の話題を取り上げます。

鉄道に限らず、旅に大きな比重を占めるアイテムが「食」。
東海道新幹線開業直前、在来線の特急列車には必ず食堂車が連結されていました。しかも当時の食堂車は、地上の高級レストランと同じか、それを凌ぐレベルの高いステータス。「サン・ロク・トオ」と呼ばれる昭和36(1961)年10月のダイヤ改正で、キハ80系気動車の投入と共に特急網が全国に拡大されましたが、それでも現在からみれば、まだまだささやかな規模。そのため、特急列車も文字通りの「特別な列車」。そのステータスも高いものがありました。
新幹線開業に伴い、特急列車としての新幹線列車を運転するということになれば、当然ステータスとして食堂車の設備も必須となります。実は新幹線建設時、日本を代表する列車ということで、食堂車に限らず当時の「つばめ」を凌ぐ豪華仕様にしようという考えもあったそうですが、実際にはビジネス需要を見込み、当初の在来線特急「こだま」のようなビジネスライクな仕様を目指しました。それが0系の客室設備に反映されているのですが、供食設備も本格的な食堂車ではなく、簡易仕様のビュフェが用意されることになりました。本格的な食堂車にならなかったのは、運転時間が長くても「こだま」の5時間にとどまっていたことから、簡易な供食形態にした方が乗客のニーズに合っているという目論見もありました。
開業当初は「ひかり」「こだま」とも編成が共通で、ビュフェ車も1編成に2か所あったのですが、「こだま」には短距離客が多く、ビュフェ車の利用も「ひかり」に比べて振わなくなります。そこで、昭和44(1969)年から「こだま」編成のビュフェ車を2か所から1か所に減らし、売店でカバーする方式がとられ、実際にその設備を備えた車両が製造されたこともあります(25形400番代など)。
その後、博多開業を控えて食堂車が登場、「ひかり」編成に組み込まれ、博多開業を前にした昭和49(1974)年9月から営業を開始します。食堂車営業開始後くらいから、ビュフェ車の営業が簡易化され、紙皿・紙コップで飲食物が提供されるようになっています。

国鉄民営化直前には100系の2階建て食堂車が登場し、その眺望の良さと相まって、2階建て食堂車は絶大な人気を博しました。ただし、この食堂車を組み込んだ編成は国鉄時代に落成した7編成(X編成)とJR西日本が投入した9編成(V編成)のみとなり、その後0系が数を減らしていくにつれ、希少価値が出てきてしまいました。
100系が投入されるころには、既に在来線特急でも食堂車が壊滅状態に陥っていました。食堂車のシェアを蚕食したのは車内販売だったのですが、新幹線でも例外ではなく、車内販売の売り上げは大きなものがありました。新幹線は在来線とは異なり、それによって食堂車の利用が減少するということはなかったのですが、それは新幹線の1列車あたりの定員が多かったからでもあります。
そこでJR東海は、100系編成の食堂車をグリーン車(2階席)と「カフェテリア」(1階)と称する巨大な物販スペースを作った車両に換えた編成(G編成)を順次投入していきました。車内販売でも「カフェテリア」と同じものを販売したばかりか、東京駅など主要駅でも「カフェテリア」と類似したデザインの売店を作って同じものを販売したりなど、いわば「トータル・コーディネート」ともいうべき物販戦略を展開しました。この戦略はかなり話題になり、「カフェテリア」も相当の売り上げを記録したそうです。
なお、昭和の末期から平成10年頃まで、グリーン車の乗客に対し、座席に食事を提供するシートサービスを実施していたことがあります。これは航空機のサービスを意識したのと、食堂車の混雑緩和の目的があったとされています。しかし、利用が振るわなかったのか、いつの間にかなくなっています。

その後に登場した300系では、高速化のため単位重量当たりの出力を向上させる必要があったことから、重量の嵩む水タンクや調理機器等を搭載する必要がある食堂車やビュフェ車を連結することができず、「カフェテリア」よりも縮小された7・11号車の端部の「サービスコーナー」が用意されました。ここでは物販も行っていましたが、100系の「カフェテリア」よりは車内販売の基地としての役割が大きくなっています。
しかし、やはり、乗客に買いに来てもらうために車内を歩かせるというのは「カフェテリア」も「サービスコーナー」も、食堂車と同じです。2000年ころからは、コンビニエンスストアの爆発的な普及により、車内での物販(車内販売も含む)の売り上げが減少していったため、JR東海はよりシートサービスとしての車内販売を強化する方向に舵を切り、平成15(2003)年9月限りで「カフェテリア」の営業を廃止し、その後300系の「サービスコーナー」の営業も廃止しています。
なお、300系の後に現れた700系は、「サービスコーナー」を置かず、車内販売の基地と自動販売機を搭載し、その後のN700系は自動販売機すらなくなっています。

供食以外の物販に関しては、車内販売と駅売店が多くを負っていましたが、現在のような駅売店の形態が一般化したのは、実は東海道新幹線開業後だったのです。それまでは、売り子さんが各々売りたい商品を担いで回っていました(駅弁の売り子さんなどはその典型ですね)。かつては窓の開く客車の列車が一般的であり、主要駅では荷物の積み下ろしなどもあって、5分以上の長時間停車が当たり前でしたから、それでも商売は成り立ったわけです。
それが、電車特急「こだま」登場によって、窓が開かない・停車時間が短い列車が増えてくると、従来型の「売り子スタイル」では対応が困難になります。そこで、現在のような店舗型の売店が普及し始めたのだとか。ちなみに、東海道新幹線開業直後は、駅のホームには売店はなく、すっきりしていました。
売店も車内販売も、東海道新幹線の草創期から乗客に対する物販サービスを支えてきたのですが、車内販売は最近売り上げが低迷しており、そのため一昨年から「こだま」での車内販売が廃止され、現在でも車内販売を行っているのは東海道では「のぞみ」「ひかり」だけとなっています。
それでは売店は売り上げが伸びたのかといえば、勿論そうではありません。原因は前にも触れましたが、コンビニエンスストアの爆発的な普及。それと、デフレの影響で国民の財布の紐が硬くなり、売店や車内販売の利用そのものが減ったから。新幹線駅に限らず、売店はコンビニエンスストアに近い業態に改めるものが増え、JR西日本や京急、近鉄などは実際にコンビニエンスストアチェーンに駅構内の営業を認め、駅売店をそれに肩代わりさせています。東海道新幹線沿線は、膨大な乗客数があるせいか、新幹線の駅では従来型の売店がある駅も多いですが。

車両の性能もサービスも、もはや「行き着くところまで行き着いた」感のある東海道新幹線。
しかしそれも、中央リニアの着工により、さらなる変革が予想されます。
そこで、次回は、中央リニアのお話といたします。

-その30に続く-