その17から続く

今回は、東海道・山陽新幹線の「新駅」について取り上げます。ここで言う「新駅」とは、路線の開業後に開業した駅という意味です。

東海道新幹線で路線の開業後に開業した駅としては、昭和44(1969)年4月25日に開業した三島駅が有名ですが、その19年後、国鉄がJRに移行した翌年である昭和63(1988)年3月、東海道新幹線に3つの新駅が開業しています。
その3駅とは、新富士・掛川・三河安城。
いずれも地元自治体が建設費その他を負担した「請願駅」ですが、これらの中で、新富士駅は日蓮正宗の総本山・大石寺の新幹線最寄り駅として、ある宗教団体の団体利用が見込めるという目論見もありました。実際にその宗教団体は、新富士駅設置にあたりかなりまとまった額の寄付を国鉄~JRに行ったようですが、その後その宗教団体は日蓮正宗に破門され絶縁状態となり、その宗教団体がらみの団体客の新富士駅利用は全くなくなってしまったとのことです(この『ある宗教団体』に関しては、一切のコメントをご遠慮ください)。
掛川駅は、ちょうど静岡~浜松の中間地点に存在する駅で、当初ここに新幹線の駅が設けられなかったのは、東海道新幹線が東京と大阪、あるいはそれ以遠の都市と短時間で直結することを念頭に置いた路線だったので、中間の中小都市の需要に応える駅は邪魔だったということだったのでしょう。当初三河安城駅がなく、豊橋~名古屋間が無停車だったことも同じ理由と思われます。
これらの駅は、流石東海道メガロポリスに位置する駅であるといえ、駅勢圏にはそれなりの人口の集積があり、新幹線の利用もそれなりに見込める場所ではありました。しかし、これはやはり後発駅だからなのか、駅の開業後今に至るまで、「こだま」しか停車しないのですね。そのため、東京との距離が比較的近い新富士や掛川はまだしも、東京との距離が遠い三河安城などは、「のぞみ」で名古屋まで行って、一駅「こだま」で戻る方が所要時間が短くなるという、笑えない逆転現象が生じていて(実際にそのような切符が発売されている)、東京方面からの利用があまり振るわないのが残念です。
ちなみに、これら3駅の開業後も、三島~静岡、静岡~浜松、豊橋~名古屋間の「1駅間の特定特急料金」は変更がありません。これは勿論、それまでの利用者の「既得権」に配慮したもので、国鉄時代の昭和60年に新駅(水沢江刺・新花巻)が開業した東北新幹線にならい、同様の取り扱いがなされています。

今回は東海道・山陽新幹線以外の「請願駅」に関しては言及しませんが、山陽区間の「請願駅」には言及しておくことにします。
昭和63(1988)年3月のダイヤ改正時、東海道区間のみならず山陽区間にも新駅が誕生しました。その新駅とは、新尾道・東広島の2駅。もともとこのあたりでは、山陽新幹線の建設計画が明らかになったころから、尾道・糸崎・三原の中で新幹線の駅がどこに置かれるか、地元でも結構なバトルがあったようですが、周知のとおり広島県内の駅は福山・三原・広島の3駅と決められました。その後、この新尾道と東広島が追加される形で開業するわけですが、東広島はともかく、なぜ福山からも三原からもそれほど距離がなく、しかも在来線との接続もない新尾道などという場所に新駅ができたのか、よそ者の管理人からすると、甚だ疑問なんですよね。これは管理人の勝手な想像ですが、尾道の人たちとしては、新幹線の駅が三原に「盗られた」ような感覚が残っていて、それならばということで新尾道駅設置に動いたのではないか。そのように思われてなりません。
もっとも、地元の思惑ばかりではなく、新尾道駅に関して言えば、この駅の誕生は瀬戸内海の島嶼部の住民、あるいは四国の住民から待望論があったのも事実です。これは言うまでもなく「しまなみ海道」のルートが尾道-今治だったからですが、実際には「しまなみ海道」を渡るバス路線は、大半が福山駅発着となっていて、新尾道駅には入らなくなっています。
これはなぜかというと、新尾道・東広島の2駅に停車する列車は、一部の「ひかり」を除くと「こだま」だけだからなんですね。だから、そういう駅にバス路線を引くより、「ひかり」あるいは「のぞみ」が停車する駅に路線を引いた方が乗客の利便性が良く、集客も見込めるわけです。事実、現在は福山駅には1時間あたり1本は東京直通の「のぞみ」が停車しますし。
あとは根本的な問題として、新尾道駅が尾道の市街地から大きく離れていて、市街地には在来線の方が便利であること、そしてその在来線尾道駅へのアクセスも福山・三原両駅から在来線列車で容易なことも挙げられます。
その後、山陽区間では平成11(1999)年3月に在来線と併設で厚狭駅が開業していますが、こちらも既存の新幹線駅から距離が遠くないのと、停車する列車が「こだま」しかないことから、こちらの利用も振るわなくなっています。
これらの事実から、新尾道・東広島の2駅に関しては、「請願駅の失敗例」とする、いささか不名誉な見方や取り上げられ方をされることもあります。

これらの「請願駅」に関しては、東海道新幹線においても、少なくともあとふたつ、増えるのではないかといわれています。
そのひとつは新横浜-小田原間、もうひとつが米原-京都間。いずれも構想自体は国鉄時代からあり、後者に関しては県知事選挙の争点になったことすらあります。
今のところ、JR東海は両者とも消極的なようです。前者に関しては当のJR東海が「現実的ではない」と言っているようですし、後者に関しては、前々回の県知事選挙で駅設置反対派の嘉田由紀子氏が当選し、その後県でも新駅関連の予算が凍結されたため、JR東海もやる気をなくしたようです。後者の滋賀の新駅は関ヶ原の雪害対策として必要と主張されていましたが、その対策なら米原駅で足りますし、草津駅に行けば新快速が頻繁に出ていて利便性は高いですから、ここに駅を作ったところで利用は…となるのは、ある意味「見えている」ともいえます。
また、前者に関しては藤沢・茅ヶ崎などの都市の大同合併・政令指定都市昇格を目指す流れとも密接に関連していますが、この構想は各市の市長選挙では争点になりませんでした。
そう考えてくると、これら新駅の実現可能性は、現時点ではかなり低いと言わざるを得ません。

先の新尾道・東広島の2駅の例を引くまでもなく、駅を作ったからと言って、ではそれで多くの人に利用してもらえるかといえば、それは必ずしもそうではありません。まして、新幹線は離れた都市の間を高速で結ぶことが使命なのですから、駅が増えすぎてしまっては、せっかくの新幹線の高速性能が十分に発揮できないという問題も生じてしまいます。現に、九州新幹線では、米原-新大阪間とそれほど変わらない距離のはずの博多-熊本間に実に5つもの駅が存在することで、せっかくの高速性能の足を引っ張っているとしか思えない状況が出来しています。管理人は、この区間の新幹線の駅は新鳥栖又は久留米と新大牟田の2駅だけでよかったような気がしていますが。在来線時代の鹿児島直通の「つばめ」は、この区間では鳥栖・久留米・大牟田しか停車しなかったのに(一部例外あり)、新幹線になって逆に停車駅が増えたという、皮肉な現象ともなっています。
あるいは、前記の新横浜-小田原間の新駅も、リニアが開業して東海道新幹線の列車密度が落ちれば、現実味を増すのかもしれませんが…。

いずれにしても、このような「請願駅」は、政治が鉄道に密接にかかわるもの。時として、政治が鉄道を弄び、おもちゃにしてしまうことすらもあります。これはまさに、往年の「我田引鉄」の愚再び、ということです。新路線建設や新駅開業が、これ以上このような地域エゴに振り回されることのないようにしてほしいものです。

その19(№2853.)に続く