さすけの日記 -8ページ目

6年目

大分トリニータを契約満了になった星くん
トライアウトにも出てなかったのでどこからかオファーあるんだろーなって思ってたら...

決まりました
アルビレックス新潟です
カテゴリーは『J2』

引退や移籍先が決まらない選手がいる中でオファーをもらってまたピッチで駆け回る姿が見れるなんてホントに嬉しいです
が...遠い
とりあえず福岡空港から直行便があるらしい
空港からの手段はレンタカーか電車かな

そしてとうとう私も大分から移籍しなければ

もうこんな景色も一緒に見れない...
寂し過ぎる...
大分に通った3年間は楽し過ぎてホントに移住したいと思ったし今でも思ってる
友達が出来るなんて思わなかった3年前...今ではホントの姉のように接してくれたり、ずーっと昔から知ってるように仲良くしてくれるお友達ばかり

大分での最後の試合の日
挨拶しようと顔を見ただけで泣いてくれる人も
お互い空を見て我慢した

あの日私は大分から離れられないとわかった
だって大好きな人と離れたくない
だからまた大分に帰るねって約束したんだ

こんなステキな人達に出会わせてくれた推しにはホントに感謝
だって推しの移籍がなかったら出会えなかった人達ばかりだもん

いつかホントに住んでるかも(笑)

そして今度は新潟...
さすがに大分のように仲良く…は
遠くてなかなか行けないだろうから...

私はどーであれ推しが早くチームにフィットしてくれるといいな
推しは自分の事をこんな風に言ってた
ちゃんと自分を分析してる
だからきっと大丈夫

次のユニはオレンジ
背番号は同じ『19』
オレンジはレノファで着てたから違和感ないな

コロナ禍でファンサとか練習見学とかないけどまたこんな風に握手して( o≧д≦)oガンバレー!!って
伝えたいなぁ
私の個サポ6年目が始まります
ゲーフラとダンマクをアルビ仕様にしなくちゃ

2021年

遅くなりましたが
新年明けましておめでとうございます
初詣に行きました
恒例の今八幡宮
私の七五三の時に参った神社
親子3人が誰もカメラを見ていないという写真
コレをみつけてからこの神社に惹かれてしまいました...なぜか落ち着くんですよね

その後は下関の福徳稲荷神社

山口県には長門市の元乃隅神社⛩がインスタ映えで有名になっていますがもうひとつ千本鳥居⛩で有名な神社です

金色の御籤は男みくじと女みくじ
今年初の御籤は
一緒に入ってた一言守
笑顔で過ごしたいと思ってる私には最高の守

千本鳥居をくぐり抜けると
日本海でした
行きは下り坂でしたが戻りは...上り坂
スニーカーで行っててよかった

帰りに道の駅に寄り
某TV番組で有名になったポテトチップス
とりあえず買ってみた
流行りにはのっとくタイプです

さてさて、サッカーはシーズンオフ
トリニータは2020シーズンを11位で終えました

今シーズン、星くんはあまり試合に出れず
悔しい1年だっただろうなと思ってる
暑い中も腐らず練習して真っ黒になってた
コンディションが良くても試合に出れない状況だったと選手のSNSで知った

コロナ禍で練習見学も出来ず...
ファンサもなく...
ホントに寂しい1年でした
言葉を交わすこともほとんど出来なかった(メンバー外の時入り待ちで手を振るくらい)

そしてオフと言えばストーブリーグの始まり
トリニータに移籍して3年目
今季は試合に絡めてないから移籍するだろーなと薄々は覚悟していた

そして…移籍
ではなくて契約満了を言い渡された
その後に残り試合3試合ありスタメンにもなった

どんな思いでピッチに立ったのかと思うと胸が苦しくなった

最後のホーム大分での試合の次の日
帰る前にドームに寄り

大分に移籍してから作ったダンマク

大分のサポさんが絵を描いてくれてタオルに印刷して作った推しタオルで集合写真
楽しかったなぁーーー

まだ次のピッチの発表はないけど大丈夫
またこうして後押ししたい

大分への思いは...また書きます

今年もよろしくお願いします




一周忌

12月30日
今日は母の一周忌

お墓には葉牡丹とユリ
仏壇にはいつものアリストロメリア
職場の同僚が覚えててくれてお花をくれた
ビックリして思わず涙が溢れた
親戚からの供花
そして先輩が1年ガンバった私にとご褒美のお花をくれました
あの日...
気管切開で声を失った母
容態も落ち着いてたので予約した歯医者に行ってると急いで戻って欲しいと緊急連絡
戻ってみると病室がバタバタしてて、看護師さんから経過を聞いて別室に行った

そこには5人くらいの医師がいて私に母の容態を話してくれた
入院した時は卵巣癌だろうという事だった
でもいろいろ検査して喉頭癌も疑われた
で今後の治療も考え気管切開になった
その時医師は左肺が機能してないので右肺だけで呼吸してる状態で、大動脈に腫瘍がありますと話した
そして今は肺から出血した状態ですと言われあと数日かもしれないと言った
私は何が何だかわからなくて頷くしかなかった

医師は延命治療の話をした
私はこれ以上苦しませたくなかったのでサインをした(これが間違いだったと後悔)

その後病室に戻ったら母は自分の重大さに気づいてなくて周りが慌ててるのをずーっと見てたらしい
その日から病室に泊まった
声が出ないからパクパクさせて会話する
わからない時は紙に書く
そんなやり取りをしながらもその日はスゴく笑って過ごせた
お見舞いに来た人も安心するくらいに
でも腕にはモルヒネを打ち始めてた

私は一緒に住んでなかったので毎週土曜日に買物に付き合ってた
母はその日を楽しみにして1週間分の話を私にしていた
でも私は母に文句を言ってばかりでそれでも母は何にも言わず聞いてた
だから入院してからは絶対文句言わないよーにしてたら母が私に『優しいね』『幸せ』と言った
だからいつも人に怒られるーって愚痴っとるから皆に優しいよーって言っといてよって言ったら...壁に貼っとこーって笑った

入院してから『痛い』とか『ツラい』とか一言も言わなくて『大丈夫』ばかりで主治医も不思議そうな顔してた
あの日、朝、喉のつまる音がして『どんな?』って聞いたら『ちょっとエラい』って言ったので看護師さんを呼んだ
気管の掃除にもたつく看護師に苛立ちを感じた
急に母が苦しそうな顔をした
酸素濃度も低く息ができてなかったから
私が看護師に『苦しそうなんですけど...』と言ったら『延命治療のサインされましたよね』と

えっ?サインはしたけど苦しませないって言ったからサインしたんですけど...
一瞬だった
あっけなかった
救いは苦しそうな顔を見たのは私だけだった事
皆には笑顔の母が記憶に残ってくれたから

あれからあっという間の1年
私は人に恵まれてひとりじゃなかったから
素敵な友人も増えました
頼っていいよと言ってくれます
だから安心していーからね
母が遺した着物の数々...
コロナがなくなったら着付け教室行こうかな
いつか母の着物を着てみたい

1年経ったけど私の知らない母の話を聞いてもがんばり屋さんだと教えてくれる
ホントによくガンバったね
痛かったよね、辛かったよね

貴方は私の自慢です
大好きだよ
ありがとう