イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -44ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は

わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

イザヤ11:9

 

旧約聖書の「主」(多くの英訳聖書ではLORD、一部の英訳聖書ではYahweh、あるいはJehovah)は、ヘブライ語原典では英字表記で"YHWH"と記されています。これは、神の名をみだりに口にしてはならないという十戒の戒めに従って、「発音してはならない神の固有名詞」として記されており、ユダヤ教徒達は古くから、英字表記で"Adonai"(あるじ/主という意味)とふりがなを振って読んでいました。この"Adonai"を受け継いで、現在の日本語訳聖書の「主」、英訳聖書の"LORD"という翻訳がもたらされています。

 

この神が、福音書の中で、御子であるイエスによって「天の父」あるいは単に「父」として紹介されました。

 

マタイ福音書では、天の父は隠れた所におられると、何箇所かで書いてあります。

天の父は見えないし、ほとんどの人にとってはわからない存在です。

 

その天の父を知る知識=YHWHであられる神を知る知識=イスラエルの神を知る知識が、いずれは、海を覆う水のようにこの地を覆うと、イザヤは預言しています。

 

その日、形骸的な"神"を信じてきた全てのキリスト教会が、恥を見ます。

 

 

 

写真は浅草、2018年7月13日

 

 

イエス・キリストが宣教した神の国の福音を、頭で理解するだけではなくて、真に成就させるためには、サタン/悪魔の意図を、聖書から、また諸々の事象から、正確に理解して、かつ、イエスの名によってそれに対処していく必要があります。

このことがなければ、キリストの弟子ではないし、神の国はやって来ません。



イエス・キリストの十字架の意味は、サタン/悪魔がこの世で打ち立てたものを完全に撃ち壊したということです。そうして、この十字架を見上げて、信じる人に、天の父から御子イエスの名によって遣わされる霊である聖霊を与えて、ご自身と同じことを行うことができる道を開かれた。

つまり、信じる人に聖霊を与えて、イエス・キリストの名によって、サタン/悪魔を滅ぼすことができるようにした。そのようにして、キリストの弟子は、世界各地でサタン/悪魔およびその配下にある悪霊を滅ぼしながら、そこにイスラエルの神の御業が現れる神の国を作り上げていく。

これを、サタン/悪魔が、総力を挙げて阻止しようとする。ありとあらゆるこの世の人間を使って。



プロテスタント教会群に、聖書を読ませはするけれども、中身を信じさせないというのも、サタン/悪魔が目に見えない形で働いているからです。

聖書を信じさせない。イエス・キリストの言葉を信じさせない。幼子のような信仰を持たせない。イエス・キリストの名によって祈ることをさせない。成就する祈りをわからなくさせる。信じることに伴うしるし(マルコ16章)を、信じさせないことで現れないようにする。

イエス・キリストが、私を信じる者は私と同じ業を行い、むしろ私よりももっと大きな業を行うと明言しているのに、それを信じさせない。

そのように信じさせないことで、自分達がイエス・キリストの名によって滅ぼされることを総力を挙げて阻止している。また、神の国が現れないように阻止している。

結果、ほとんどのキリスト教会群において、イエス・キリストの十字架と復活が解放したはずのクリスチャンを、奴隷のような状態にとどめ置いている。皆、諦めて生きている。教会生活はこんなものなのだろうと思い込ませて生きている。喜びがない。



サタン/悪魔は、人間を上回る狡猾さを持っていますから、また、最初の人間アダムに働いて全ての人間を支配下に置いた戦略家ですから、最も効率的に、その意図を達成するために、「キリスト教会」の根幹に働くことを思いつく。

そうして「キリスト教会」を作り上げている人達に働く。

信仰がないキリスト教会を作らせる。
イエス・キリストの父なる神がわからない教会を作らせる。
聖霊が下らないキリスト教会を作らせる。

そうしたキリスト教会がこの世にあふれれば、イエス・キリストのお言葉の成就は起こらないし、自分達がイエス・キリストの名によって滅ぼされることもない。

そのようにして2世紀〜3世紀にかけて、ペテロやパウロやヤコブが宣教したイエス・キリストの教会=初代教会が滅ぼされて、全く違う教義を持った三位一体の教会が現れ、キリスト教会群を支配していく。「三位一体を掲げなければ異端」という恐怖政治的な装置を作り上げて、以降、キリスト教ワールドを支配していく。

そうして、イエス・キリストの神の国の福音は封印された。
イエス・キリストを本当に信じる人が行うはずの、イエス・キリストのお言葉のほとんどが、文字としてしか存在しないものとなった。成就することがない。信仰によって形になることがない。そうして、キリスト教会群には無数の諦めた人達がいる。

サタン/悪魔がキリスト教会群を支配した結果、そのような状況がもたらされている。
使徒の働きにあるような、生き生きとした初代教会の姿がどこにもない。
イエス・キリストの新しい戒めである「互いに愛し合う」が、どういうことなのか、わからなくなっている。

天の父も知らない。
聖霊も下らない。

これによって、サタン/悪魔は、世界中でやりたい放題。メディアを支配し、経済を支配し、政治や軍事を支配し…。インターネットもサタン/悪魔の意図で満ち満ちている…。



こうした中で、全知全能の創造主であられるイスラエルの神、イエス・キリストの父なる神は、御心として、聖書に書かれている神のご計画として、やはり、サタン/悪魔が最終的に滅ぼされるように、色々なものを準備なさっている。

イエス・キリストの敵は、最終的には、イエス・キリストの足台となる。
 →誰がこれを行うのか?地上にいる信徒ではありませんか。

終わりの日に現されるように用意されている救いがある。(第一ペテロ1:5)
 →誰がその救いを受け継ぐのか?終わりの日に生きている我々信徒ではありませんか?

ローマ11章にある「イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです」。異邦人の完成とは誰のことを指しているか?
 →我々信徒のことではないか?我々信徒がキリスト者として、パウロの宣教内容を全て咀嚼して、成熟したキリスト信徒となって、イエス・キリストと同じ業を行なって、そこに神の国を現していく。そういうことではないか?

それを総力を挙げて阻止しようとするサタン/悪魔の意図はあるとしても、それに圧倒的に打ち勝っていくのがキリスト信徒ではありませんか?

 

 

Courtesey of Terry Goodyer

 

 

 

深夜、詩篇16篇を読んでいて、そう言えば、箴言3:6にある「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」が、昔は、何度読んでも、考えても、意味がわからなかったな、ということを思い出した。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3:6

私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

詩篇16:7-8

あれは、召命を受ける前。2015年か2016年の頃だと思う。ある方と、主イエス・キリストにあって、聖書を読んで、神の道を歩んでいくということについて話していて、箴言3:6が出てきた。

ああ、そうか。「あなたの行く所どこにおいても、主を認め」ればいい訳か。「主」が、私の道をまっすぐにして下さるのか。わかったようで、わからないような。納得はするけれども、理解しているという実感が全く湧かない。

「自分が行くところ、どこにおいても、「主」を認める」とは、どういうことか?

当時は、わからなかった。わかりようがなかった。



当時は、この投稿で説明した、旧約聖書の「主」と、新約聖書の「主」が、なぜ同じ漢字「主」で記されていて、なぜ、ごちゃごちゃになっているのか、ということの歴史的背景もわからなかった。

それ以前に、「天の父」が、漠然としていた。当時、広い意味でプロテスタント教会として括ることのできる教会 -- 過去17年の間に自分が通った3つの教会のうちの3つめ -- にいたが、その10数年の間、どの教会でも、「天の父」がどのような方であるのか、説明を聞いたことがなかった。私は、仕事で行けない時以外は、ほとんど毎週、教会の日曜礼拝に参加していたから、かれこれ数百回は、教会の牧師の説教を聞いていたことになる。その間、「天の父」について、どの牧師からも教えられたことはなかったし、バイブルスタディ的な時間の時にも、そのことについて取り扱われることはなかった。

これは、皆、「天の父を知らない」ということを意味していると思う。



三位一体の”神"。父と子と聖霊とは三つにして一つの"神"であるという神学を根底に持っていると、天の父がわからなくなる。イスラエルの神がわからなくなる。



私は、2017年9月に、偶然であったカナダのJosef Jasinskiという牧師から、悪霊の追い出しのイロハを教わる格好になって、それ以来、悪霊の追い出しに取り組んできている。

悪霊は、その人の信仰を見るので、その人の信仰が聖書に完全に基づいたものになっていないと、悪霊は、ビクともしない。

それを経験によって学んだ。

だから、イエス様の最終説教であるヨハネ14章〜17章の内容についても、本当に、字句通り理解しようとしたし、それを信仰として持つようにした。



従来の教会が踏み込まない旧約聖書と、新約聖書の間にある…ように思える…その実、人工的な"神"・三位一体があるがゆえに真実がわからなくなっている…断絶の問題についても、英文資料を調べて歩くことによって、事情が飲み込めてくる(以下の投稿を参照)。

日曜投稿:神の名。なぜ「イエスの名」によって祈るのか?
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12530734598.html

旧約聖書の「主」と新約聖書の「主」が混同されている歴史的な背景がわかると、霧が晴れたように、旧約聖書と新約聖書の断絶が、断絶ではなくなって、イスラエルの神がご自身の民であるイスラエルをこの世から救い出すストーリーが旧約聖書と新約聖書を貫いているのだということが、はっきりと見えてくる。

イスラエルの神が新約聖書の「天の父」なのだということが、明確にわかると、途端に、聖書全巻がはっきりと理解できてくる。
(そのための大前提として、三位一体の”神”の偶像を破壊する必要がある。士師記6章参照)



こうした、お手本のない道を、試行錯誤を繰り返しながら、歩いてきて、悪霊の追い出しをしながら、「イエスの名」を用いて信仰の言葉を自分の口から出すことの意味を経験的に理解しながら、また同じ名によって霊的な戦いをすることで何がどう変化するのかを経験的に理解しながら、歩いてきてみると、箴言3:6が鮮明に理解できる。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3:6

そうだ、そういうことなのだ。

この、「主」は、原典の表記では"YHWH"の神であられる方で、アブラハムに現れた神、モーセに現れた神、イスラエルの神。このイスラエルの神が、御子であるイエスによって「天の父」という、新しい様相を帯びる(新しい契約により。福音により)。その「天の父」に、異邦人である我々も、イエス・キリストを信じる信仰により、また、いただいている聖霊によって「子」としていただける。

自分が進む全ての道において、主イエス・キリストの名によって、天の父をまことの神として認める。どこに行くにも、本当の神であられる天の父が、御子イエスのゆえに、自分の父となって下さる。この方は、全知全能、天地万物を創造したまいし神であるから、ありとあらゆるものに、御子イエスの力強い言葉によって、働いておられる。全てに満ち満ちている。被造物の全てがこの方の創造によるものである。

人間一人一人もこの方によらずできた方はいない。イスラム教徒であれヒンズー教徒であれ、高野山の僧侶や比叡山の密教を修する僧侶であれ、全てがこのイスラエルの神によって創造されている。(しかし、それがわからない。気づかない。霊どもの働きによる)

そうした方。唯一の神。イエス・キリストが唯一のまことの神と呼んだ方。
この方を、自分が行く道の全てにおいて認めれば、全てにおいて、恵みや祝福があふれるのだ。それが、毎日の生活の中で、はっきりと理解できる。
神は生きておられる。まさにその通り。したがって、どこに行くにも、この方を認めるようにすれば、自分の道はまっすぐになる。

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もちろん私は、現在、Twitterで色々に書く人がいることを存じています。
たとえ、そういうことがあっても、その書いている方、お一方、当教会と、ある個人的な経緯があって、そのようなことを思うようになられた方。この方についても、創造主であられる天の父のご計画があり、想いがあられる。

そういう方によって色々に書かれていることをも含めて、全てが、聖書に書いてある通りに展開している。(2010年の私の言動は真実であり、それは消せないということも含めて)


 

多くの人が、旧約聖書の「主」と、新約聖書の「主」を混同しており、そのためにパウロが異邦人(=私たち)に対して宣教していた内容の中核にある「唯一の神」神がわからなくなっています。

 

これには、二千年以上にわたる聖書翻訳の歴史が関係しています。

この投稿では、そこのところを資料によって、解きほぐしています。

 

 

 

Courtesey of Terry Goodyer

 

 

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝と交わりは以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
7月 31日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/gxi-mzyc-cow

交わり
7月 31日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/qnx-fgpg-nav


天の父はイスラエルの神であられます。
このことから、聖書はどのように読み解かれるべきか?
徹底的に、根本から、考え直します。