Courtesy of Terry Goodyer
本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。
礼拝
4月 30日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/tny-dmxy-gkw
本日の礼拝テーマは、
新約聖書に書いている「恵み」を受け取るために
です。
新約聖書では「恵み」に関する重要な聖句がいくつかあります。
すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
ルカ1:30
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
ルカ4:22
ヨハネ1:14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
使徒6:8
さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
ローマ3:24
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ローマ5:21
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
ローマ11:6
もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
私たち日本人は、聖書で書かれている「恵み」を歴史的、文化的に、経験したことがないので(それは長らく異教の霊的な支配下にあったために)、聖書で書かれている「恵み」に関して、非常にぼんやりとしたイメージしか持ちません。
「恵み」とは、具体的に、どういうことなのか?
聖書をよりどころとして、見ていきます。