礼拝案内4月30日:新約聖書に書いている「恵み」を受け取るために | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
4月 30日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/tny-dmxy-gkw


本日の礼拝テーマは、

新約聖書に書いている「恵み」を受け取るために

です。

新約聖書では「恵み」に関する重要な聖句がいくつかあります。

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
ルカ1:30

みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
ルカ4:22

ヨハネ1:14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

使徒6:8
さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。

ローマ3:24
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

ローマ5:21
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

ローマ11:6
もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

私たち日本人は、聖書で書かれている「恵み」を歴史的、文化的に、経験したことがないので(それは長らく異教の霊的な支配下にあったために)、聖書で書かれている「恵み」に関して、非常にぼんやりとしたイメージしか持ちません。

「恵み」とは、具体的に、どういうことなのか?
聖書をよりどころとして、見ていきます。