私が朝昼晩の食事とお弁当を毎日作り続ける理由(2) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Ted Eytan

 

 

悪霊の問題がある人は、普通、食生活がおかしくなっています。

例えば、ジャンクフードを食べ続ける生活を20年間送ってきた。(ゆえに不眠があります。腸内細菌のフローラが破壊されているので)

例えば、三食三食をきちんと食べない。食べたり食べなかったりする。(うつが同時並行で存在しています)

例えば、様々な主義主張に基づく「偏食」がある。ある強烈なポリシーがあって、これは食べないあれは食べないという「食べない」ものだらけであり、実質的に会食ができない食生活に陥っている。「食べないもの」だらけなので、人と一緒に食事を楽しむということができない。



悪霊からの解放は「プロセス」であり、その人の過去20年間続いてきた悪癖からの脱却です。悪癖はその人の生活のありとあらゆるところに存在していて、それが食生活にも表れています。

例えば「孤独の霊」に取り憑かれている人は、ありとあらゆるスキを捉えて、ひたすら「孤食」の機会を追求します。過去の私がそうでした。

「自堕落の霊」に取り憑かれている人は、ゲームを1日10時間以上やり続け、スナック菓子を食べ続け、カップヌードルを食べ続け、まともな食事をせずに数日間、数ヶ月間暮らして、体がおかしくなっています。

「うつの霊」に取り憑かれると、ひたすらダウン、ダウンの日々で、食事に対する興味を失ってしまいます。体調維持のため、最低限の食事は摂るとしても、「食事に楽しみを求める」自然な希求は欠落していて、食べることに何の楽しみもありません。

 

摂食障害もそうです。摂食障害は、過去に接した事例から言えば、スピリチュアルをやり続けた人に見られる弊害です。おそらくは、その人には、「人(その人自身)を殺す霊」が取り憑いていて、長期間にわたる緩慢な死へと進ませています。

こうした悪霊に取り憑かれている人においては、食べ物が、天地創造の際の人間に与えられた大きな祝福の一つであることが、その人の日々の生活から削ぎ落とされています。

神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
創世記1:29

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
創世記2:9



食事は祝福なのです。一つ一つの食べ物は、祝福されているがゆえにおいしいのです。


祝福は食事に現れます。それも一度や二度ではありません。毎日毎日の三度三度の食事が、すべて、天の父と主イエス・キリストによって祝福されるのです。おいしいのです。私たちの教会では、それを毎日経験しています。一緒に食べるどの兄弟姉妹も(13歳の息子も←信仰告白をし水のバプテスマを授けられています)、一食一食、この上ないおいしさを味わって、楽しんでいます。主イエス・キリストの名によって、神である天の父に感謝しています。



従って、こうした悪霊の問題がある人には、まず、一日三回の食事を、きちんと摂ってもらうことから始めます。

一日三回の食事を、毎日決まった時間に摂ることに、どういう意味があるのか?
これは、言葉で説明するだけでは、理解できません。


毎日毎日、巡ってくる新しい日において -- その一日一日も御父と御子によって祝福されています -- 朝ごはんなら午前7時、昼ごはんなら正午、晩御飯なら午後7時。こうした決まった時間に食事を摂って、 毎日の生活のリズムを作っていくことが、人の人生においていかに大事か。それを、毎日経験してもらうことで、体で学んでもらうのです。規則正しい生活が、いかに、人生の喜びにつながっているのか。いかに神の祝福を受け取るために、不可欠な事柄なのか。

また、その三度の食事も、おいしいからこそ、喜びが湧いてくるのです。

料理の才能があるから三度三度の食事がうまい、というのとは違います。前投稿の写真を見てもらえばわかりますが、メニューとしては日本の食卓で提供されている、ごく普通のメニューばかりです。食材も凝ったものを使っている訳ではありません。

そうした普通の食事を、僭越ながら小職が毎食作らせていただいて、何をどう作ればいいか、どういう調味をすれば良いのか。味のベースは何から出来上がるのか。どうすれば美味しくなるのか。実は、その都度、リアルタイムで、ジャズの即興演奏のように、聖霊が気づかせてくれます。さっと頭に浮かぶのです。「これは、こうした方がいいよ」。「そろそろ火を止めた方がいいよ」。「(香辛料を振りかける際に)それは多すぎるよ」。そうした、聖霊から来るアドバイスが、毎食毎食の食事作りにおいて起こります。

夕食など、事前にメニューを決めている時もありますが、メニューを全く決めていないで、例えば、日曜礼拝が終わった後の昼食など、手元にある食材を見ていると、さっと、「あれを作るといいよ」という考えが浮かびます。それに従って作ると、ものすごくおいしいのです。

こうしたおいしい食事を毎日、三度三度、食べるという生活を続けていると、20年間、ゲーム(殺人しまくりのゲーム)とポルノ(度を越したジャンル)と自慰行為にまみれて育ってきた青年が、徐々に、変化していくのです。

神に感謝する人に、変えられていくのです。