Courtesy of Pedro Szekely
安倍晋三元首相の死に、深い哀悼の意を表します。
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三位一体の外に、自ら、旗を掲げて出る、ということをすると、だんだんと本当の神がわかってきます。(隠れて、コソコソ、三位一体を捨てるのではなく、自ら、正々堂々と、旗を掲げて、外に出なければなりません。イスラエルの神は、それを正しく評価されます。出エジプト34:13、申命記7:5、士師記6:25、第二コリント6:17を参照)
本当の神がわかると、福音書で、主イエス・キリストが説かれたお言葉の一つひとつが、染み渡るように、真理として、自分の中に受容できるようになります。そうして、信じることができます。そうして、主イエス・キリストをお手本として、行うことができるようになります。
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本当の神とは、天の父です。
これは、三位一体の下にいると、絶対に理解できないことですし、そもそも、天の父が理解されないのは、御心です。
聖書の複数箇所にそのことが書かれています。
天の父は隠れた所におられます(マタイ6:4、6:6、6:18)。
天の父を知ることがない人々がいます(ヨハネ15:21、16:3)。
また、天の父によらなければ、本当のイエス・キリストの下に行くことはできません(ヨハネ6:44-45、6:65、8:42、14:6)。
この天の父のことを、御子であるイエスは、「唯一のまことの神」と呼んでいます(ヨハネ17:3)。また、パウロは「唯一の神」と書いています(ローマ16:27、コリント第一8:4、8:6、テモテ第一1:17)。これはアブラハムの伝統を受け継ぐユダヤ人/イスラエル人の捉え方です。神は唯一です。そのように考えるのがユダヤ人/イスラエル人です。
それを後の時代に、ユダヤ人/イスラエル人の伝統がない、異教の背景がある人達がキリスト教界で大多数を占めるようになって、この「唯一のまことの神」がわからなくなって、教義をまとめる必要ができたことから、議論の末、三位一体というものができた。これによって、「唯一のまことの神」は、なおわからないものとなった。そういう歴史的背景があります。
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従って、本当の「福音」を理解するには、三位一体が成立する前の、1世紀当時の御子イエスが神の国を宣教していた当時の神に関する理解。また、1世紀当時のパウロが異邦人に福音を宣べ伝えていた当時の神に関する理解。それを、聖書から、丁寧に発掘して、現代に回復する必要があります。
幸い、現代の神学のトップランナーであるN.T.ライトがその作業を学術的に行っており、研究成果を一般の読者にわかるように記している本が何冊か出ています。それを読めば、パウロが異邦人に宣教していた信仰の中身がよくわかります。
パウロが「唯一の神」と書くとき、ユダヤ人/イスラエル人として理解していた、アブラハムに現れた神のことを想定していました。3〜4世紀に成立する「父と子と聖霊とが三つにして一つの神」などとという、ヘンテコな人為的な"神"のことを考えていたのではありません。
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アブラハムに現れた神。モーセに現れてユダヤ人/イスラエル人をエジプトから脱出させた神。創世記でアダムを創造された神。
この唯一のまことの神が、イスラエルの神であるところ、異邦人に対する使徒として召命を受けたパウロの宣教内容をよくよく理解して、主イエス・キリストを受け入れると、異邦人であるわれわれにとって、天の父が「アバ、父」になる。これが本当の福音です。
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この神は、天地創造をなさった神であり、全知全能の神ですから、この神様が自分の父親であるということは、人間の理解をはるかに超えます。
イエス・キリストは神のひとり子でした。
私たち異邦人も、イエス・キリストに限りなく近い「神の子ども」(ヨハネ1:12、ローマ8章、9章、ガラテヤ3:26)です。
従って、信仰により、イエス・キリストの名によって、神の子どもとして、イエス・キリストと同じことができるのです。この本当の「福音」が包含している世界は、ものすごいです。
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つまり、聖書で書かれていることが、信仰により、イエス・キリストの名によって、その人において、また、その人の周囲において、成就していきます。
これが「神の国」です。
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現代人には、信仰がなく、信仰がないために、神の言葉が成就するということが、理解できません。信じられません。
しかし、エペソ1:4と第一ペテロ1:2に書かれている神の選び、神の召しによって、自分が生まれるはるか前から天の父によって選ばれている人たちは、イエス・キリストの福音を聞く「耳」が与えられていますから、この福音に耳を傾け、信じることができます。
信じる人は、イエス・キリストと同じことを行います。マルコ16章末尾に書かれている「信じる人に伴うしるし」も、そういうことです。
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御子であるイエスを通じて、また、大祭司であられるイエスを通じて、また、メシア/王の王であられるイエスを通じて、唯一のまことの神であられる天の父のお近くに行くことができる。そうして、交わることができる(第一ヨハネ1章)。
子どもとして、天地創造をなさった全知全能の神であられる天の父と、親しくやりとりできる。そのおそばには常に、御子であられるイエス・キリストがおられる。
そういう関係。
エペソでは私たちが、天の高い所に座らせられたという記述があります。
あれは、そういうことです。天の父も、御子イエスも、私たちのごく近い所におられる。天が地に降りてくる。神の国が地の上に現れる。
そうすると、イエス・キリストがおっしゃったことが、全て現実になるのです。
これが本当の「福音」です。