自分のしたくない悪を行う - 悪霊の追い出しアップデート(8) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

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1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Elke Mader

 

 

その人の中に悪霊がいるという状況は、ローマ人への手紙7章で、パウロが深刻な問題として書いている「自分が望んでいない悪を行う」問題。まさにこれであると言えます。
自分がしたくないのに、その悪を行ってしまう。
自分が憎んでいるのに、その悪を行ってしまう。
自分が止めようと思っているのに、その悪を繰り返してしまう。
非常に極端に言えば、「自分の中にモンスターが住んでいて、制御不能な状態」。それが、悪霊がいる、という状態です。



ローマ7章15節から19節の記述を借りて、人の中に悪霊が住んでいる状況を説明してみます。

私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
ローマ7:15

悪霊が自分の中で動き回っている状況は、まさに「私は、自分のしてることがわからない」です。まさに「私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っている」。

ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
ローマ7:17

「私のうちに住みついている罪」がそれを犯させる。悪霊の文脈で言えば、「私のうちに住み着いている悪霊」がそれを犯させます。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
ローマ7:19

悪霊が、自分の意に反して動き回るがゆえに、「自分でしたいと思う善を行わずに」、「自分がしたくないと思っている『悪』を行う」。しかも、それを繰り返す。

悪霊がいるとは、そういう状況です。



こうした悪霊がいる状況に対処するために、どのような解法があるか。パウロは、同じローマ人への手紙において、先立つ6章の中で、「キリストの死にあずかるバプテスマ」があると、述べています。

「キリストの死にあずかるバプテスマ」とは、簡単に言うと、古い自分が、キリストと共に死ぬ。肉の自分が、キリストと共に死ぬ。そうして、キリストと共に、新しい人としてよみがえる。キリストと共に、聖霊の人としてよみがえる。これが、キリストの死にあずかるバプテスマです。

古い人が死んだので、もはや、悪霊に支配されることもない。
肉の人が死んだので、もはや、悪霊が働く余地はない。

それが、キリストの死にあずかるバプテスマです。

古い人が死んでいないから、悪霊が、自分の内で動き回る。
肉の人が死んでいないから、悪霊が、自分の望んでいない悪を行わせる。

キリストと共に死ねば、悪霊の動きは止まる。



では、現実問題として、いま、悪霊の問題に悩まされている人は、どうすれば、「キリスト共に死ぬ」ことができるのか?



それは、人間には、できないことです。
その人自身にも、できないことです。

ただひたすらに、神であられる天の父と、天の父の息子であられるイエス・キリスト。イエス・キリストの執り成しによって、天の父が、創造主としての絶大なる御業を行って下さることによって、その人は、キリストと共に死ねます。

それを、ひたすらに求める。

なぜなら、主イエス・キリストは、天の父が自分(主イエス・キリスト)の下に連れて来て下さるのでなければ、自分の下に来ることはできない、ということをおっしゃっています。

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
ヨハネ6:37

わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです。」

ヨハネ6:44-45

そのように、天の父が動いて下さることを、ひたすらに、主イエス・キリストの名によって求める。

その方が、エペソ1:4、および第一ペテロ1:2に書かれている、選ばれた人であるのならば、天の父は、動いて下さるでしょう。どのような悪霊からも自由になることができる、キリストの死にあずかるバプテスマを、受けることができるでしょう。