祝福の本質(2) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Pedro Szekely

 

 

三位一体の教会の下にいた時には経験できなかったことですが(三位一体は381年コンスタンティノープル公会議に集まったbishop達人間によってこしらえられた人工的な神、その実物言わぬ偶像であるがゆえに。祈っても聞かれない、生きた神として業をすることもない)。

三位一体から離れ、新約聖書の中の記述を素朴に受け止めて、素朴に信じて、書いてあることを守り行うと、本当の聖霊が信徒に下り、初代教会が回復するのを経験するようになります。

そうして、キリスト信徒がまず二人、そうして三人。それから四人、五人と集まって、初代教会の形をそのまま守り行って、教会活動を行なっていると、生ける神と書かれている、本当の神、唯一の神。三位一体の下にいては絶対にわからないし理解できない、唯一のまことの神であられる天の父。この天の父が、御子イエスを信じる信仰のゆえに、生きて働くことを、度々、経験するようになります。



そうして経験する、天の父の御業。主イエス・キリストを信じる信仰により、ご自身の息子、娘となった者に対して働く天の父の御業。

これが、詩篇23に書かれている「いつくしみと恵みとが」「私を追って来る」タイプの祝福であることに、気づくようになります。

 

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

詩篇23:6

そう。神からのいつくしみと恵みとが、自分を追いかけて来るのです。
神の祝福が、自分を追いかけて来るのです。

上から与えられると言うよりも、後ろから追いかけて来る感じ。
それを経験するようになります。