Courtesy of Pedro Szekely
祝福の典型的な形は、申命記28章に記されています。
現代人的な知性でこれを読めば、「信じられない」となるでしょう。
しかし、素朴な信仰により、神の国に入ることができる幼子のような信仰により、これを信じれば、主イエス・キリストを信じる信仰とも相まって、これが成就するのです。
もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。
主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。
申命記28:1-14
この祝福が、「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら」という前提付きであることが、神の民にとっては、重要です。
「主の御声」の「主」は、このブログで何度も述べているように、旧約聖書ヘブライ語原典では"YHWH"(英語アルファベット表記)。4文字で書き表され、人間が発音するこのとできないテトラグラマトンです。「あなたは主(YHWH)の名をみだりに口にしてはならない」という十戒がありますから、古来、ユダヤ人達はこの部分に「アドナイ」という振り仮名を振って読んでいました。「アドナイ」の意味は「主人」「主(あるじ)」。そこから英語訳聖書で"LORD"と訳され、日本語聖書で「主」と訳される慣行が生まれています。しかし元々は"YHWH"。この方が天地創造の神であり、アブラハムやモーセに現れた神です。そうして福音書では、この方が「天の父」であると、御子イエスによって紹介されています。この関連は、三位一体の教会の中にいるとよく理解できない事柄です(神理解が混乱して、先に進めなくなります)。これらの事柄については以下の投稿で詳しく述べています。
日曜投稿:神の名。なぜ「イエスの名」によって祈るのか?
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12530734598.html
日曜投稿:「万軍の主」は「天の父」であり主イエスの名によって動かれる
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12622984615.html
日曜投稿:なぜ「イエスの名」によって祈るのか?(続)
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12627630486.html
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「主の御声」および「私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令」は、御子であるナザレのイエスがメシア(王の王)となられてからは、ヨハネ14章〜17章で集中的に教えられている内容、及び、福音書全編で教えられている内容、及び、使徒であるパウロ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの書簡で展開されている内容に置き換えられます。主イエス・キリスト以降の時代に生きる異邦人たちは、ユダヤ人/イスラエル人も含めて、主イエス・キリストに中心がある新しい福音に生きています。従って、旧約聖書の中の律法に縛られることはありません。主イエス・キリストの戒めを守るなら、旧約聖書のすべての律法を守っているのと同じことになります。むしろ、それ以上です。
(旧約聖書の律法が廃れることはありません。主イエス・キリストのおっしゃる通りです)
その主イエス・キリストが教えている「新しい戒め」は「互いに愛し合いなさい」です。これに付随して「互いに足を洗い合いなさい」と命じておられます。
これが申命記28章の「主の御声」および「私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令」の中の最重要戒であると考えて良いでしょう。その他、人を赦しなさい、人を裁いては行けません、神の国とその義を第一に求めなさい、心を尽くし思いを尽くし精神を尽くしてあなたの神である"YHWH"を愛しなさい、などがあります。しかし、福音書の全文脈を考えるならば、ヨハネ13章で教えられている「互いに愛し合いなさい」が最重要戒であることは明らかです。これが主イエス・キリストの受難が始まった日に、ある意味で遺言のように言い渡されていることに注意しなければなりません。
また、「互いに愛し合いなさい」を弟子たちが実践することにより、それはすなわちキリスト信徒たちが実践することにより、それによってイエス・キリストの弟子であることが、周囲の人々にわかると教えています。
つまり、キリスト信徒が、この世の人と、はっきり分けられるのは、「互いに愛し合いなさい」を実践しているか否か、この一点にかかっていると言っても過言ではないのです。
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いずれにしても、この戒めは重要です。なぜなら、上記の、その他の主イエス・キリストの戒めを守っても、経験できなかった申命記28章の祝福のすべてが、イエス・キリストの最重要戒である「互いに愛し合いなさい」を、素朴に守れば、申命記28章のすべての祝福が成就するのを、目の前で見ることになるからです。
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聖書に記されている祝福とは、神の民が受けることができる祝福です。
その本質は、旧約聖書の神である主、新約聖書の天の父が、御子であるイエスを信じることの信仰のゆえに、ご自身の民として選び分けられた人たちに対する、天の父からの贈り物です。ご自身の民を愛されるがゆえに、これを、全知全能の、人には測り難い、特別な恩寵によって、信じられないような贈り物を、次から次へと、送って下さるのです。信じる人、主イエス・キリストの最重要戒を守る人には、それをなさいます。なぜなら、ご自身の民は、御言葉を守る民であるからです。