Courtesy of Terry Goodyer
本日の礼拝は以下で行います。いつものようにGoogle Meetで行います。
礼拝メッセージのテーマは
イザヤ11章の「主を知る知識」が地に満ちる
です。
礼拝
6月 26日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
https://meet.google.com/jvr-atbw-mpi
交わり
6月 26日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
https://meet.google.com/kqp-gigt-qmc
旧約聖書で「主」と訳されている箇所のほとんどは、ヘブライ語原典では"YHWH"とテトラグラマトンが記されている箇所です。文語訳聖書では「エホバ」と訳されていました。前後関係を調べてみると、戦後、エホバの証人が勢いを増していて(彼らはある時期まで文語訳聖書を使っていました)、口語訳を訳す人達が「エホバ」のままでは具合が悪かろう、ということで、"YHWH"の箇所を「主」と訳すようになりました。なお、英語訳聖書でも"YHWH"の箇所は、"LORD"(主)となっていますから、事情は違うにせよ、"YHWH"の箇所が「主」と訳されていることに変わりはありません。
しかし、これが「主イエス・キリスト」(Lord Jesus Christ)の「主」と同じ言葉であることから、旧約の「主」と新約の「主」の混同が起こっています。
イザヤ11章にある「主を知る知識」とは、"YHWH"を知る知識のことであり、言い換えれば、新約聖書で御子イエスによって「天の父」と紹介された神を知る知識のことです。
現在、ほぼすべての教会において、天の父は、知られていません。教えられていません。誰も、天の父の愛を経験していません。
そうした、現在、天の父が知られていないということ。
それが、イザヤ11章の預言ではひっくり返って、むしろ「天の父を知る知識が、この大地に満ちる」。それをイザヤは預言しています。その関連事項について、説明します。