「イエス・キリスト」が偶像になっている - 三位一体の何が問題か?(5) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Stanley Zimny

 

 

イエス・キリストを信じる信仰を持つ複数のキリスト信徒(あえてクリスチャンとは呼びません。クリスチャンと区別するためにキリスト信徒と呼んでいます)が最低二人、できれば三人集まって、新約聖書に書かれている通りの事柄を実践していくと、1世紀にパウロやペテロが宣教していた初代教会が回復します。

これは難しいことでも何でもなく、聖書に書かれている通りにやれば、聖書に書かれている通りのことが起こる。それだけ、と言うと語弊がありますが、本当にそれだけなのです。書かれている通りに信じて、実践する。そうすると、書かれていることが、そのままに起こる。聖書に記されている神の言葉の原理原則は、それです。書かれていることを素朴に信じる。そうして実践する。そうすれば、書かれている通りになる。

残念ながら、今は、それが行われていません。その「聖書に書かれているままを行わない歴史」をたどれば、西暦325年のニカイア公会議にまで行ってしまいます。

○キリスト信徒が二人、三人集まる場には主イエス・キリストがおられる

上で、最低二人、できれば三人と書いたのは、以下のイエス・キリストのお言葉を踏まえています。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

マタイ18:18-20

私がなぜ繰り返し繰り返し、このことを書かなければいけないかと言うと、本当に残念でならないことですが、グノーシスを信じる人達と新プラトン主義を信じる人達によって教義が議論され、三位一体の神という人工的な神が成立してしまって、三位一体以外は全て異端だということになった西暦381年以来、あまりに長きにわたって(千六百年!)三位一体の、祈りに応えることのない偶像がキリスト教会群を支配してきたがために、キリスト教のもっとも良い部分、愛のある部分、癒しや赦しや自由がある部分が失われてしまっているからです。

○イエス・キリストは、信仰がある人には「生ける神の子」として働く

マタイ18:20のイエス様のお言葉「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」は、おそらくプロテスタント教会の人ならば何十回となく目にしていると思いますが、その実、経験している人はまずいません。「実感としてわかる!」という人は皆無に等しいです。いくらこの尊い聖句を目に前に見せても、ピンと来ないのです。経験していないからです。

イエス・キリストはペテロが信仰告白したように、「生ける神の御子」です。

シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイ16:16 新改訳第三版

試みに、他の訳を黒崎幸吉著 註解新約聖書から引用します。

口語訳    
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

塚本訳    
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」

前田訳    
シモン・ペテロが答えた、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と。

新共同    
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

 

以下は新改訳2017年版
シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」

イエス・キリストは、「生ける神」の「子」なのです。
天の父は「生ける神」なのです。
また、その「子」は、生きて働く天の父の子ですから、同じように生きて働く御業を2022年の現在でも、ごくごく当然のこととして、なさるのです。信じた人には、という条件が付きますが。

○三位一体の教会群の中では「イエス・キリスト」が偶像になっている

イエス・キリストは福音書の中で、何度も何度も、信仰のない弟子を責めておられました。イエス・キリストの福音は信仰がある人のためのものです。信仰があるから、イエス・キリストが約束された救いや自由が成就するのです。信仰があるから、病が癒されるのです。信仰があるから、罪が赦されるのです。

信仰があれば、イエス・キリストは、生ける神の子として、生きた御業をなさいます。
私たちの教会で共に食事をする兄弟や姉妹や妻や息子(私とは血がつながっていません)は、日常的に、主イエス・キリストの執り成しにによって、愛の神であられる天の父が働かれて、普通の人間には理解できないような、しかし、聖書に記されているままの、神の御業を経験しています。それは、驚くべきものです。信仰のない方には、到底、信じられないような展開が、あります。それが、生ける神の御業、天の父の御業として起こるのです。そうして、それを執り成して下さるのが、天の父の右の座にいらっしゃる御子イエスです。

三位一体の教会の中にいると、これが、わかりません。ピンとこないのです。

三位一体の人工的な神が、常に、その人の頭の中に、もやのようなものを発生させて、真の神を見えなくします。イエス・キリストが唯一のまことの神と呼んだ天の父が見えなくなり、また、御子であるイエスの「生ける神の子」である特質も見えなくなります。三位一体がものを言わない偶像だからです。偶像を信じているから、「イエス・キリスト」もまた偶像になっているのです。祈っても、天の父に執り成して下さらない。「イエス・キリストの名」によって祈っても、何も起こらない。癒しも得られない。罪が赦された実感も湧かない。

「主」を求めるけれども、それは近づかない。いつも苦しい現実がある。毎日押しつぶされそうだ。

すべて偶像である「イエス・キリスト」を見ているからです。

○生ける神の御子の働きは、毎日経験できる

本当の主イエス・キリストは、祈れば、執り成して下さって、唯一のまことの神であられる天の父が、必ず、動かれます。そこには、神の御業としか言えないような、実に不思議な展開が起こります。信仰を等しくする兄弟も、姉妹も、妻も、息子も、私も、色々に経験しています。

本当の主イエス・キリストは、生ける神の子として、生きた働きをなさいます。それは、一生のうちに何度かおこる、というものではなく、毎日毎日起こるのです。