Courtesy of Ferd Brundick
○神の国を建て上げるために霊の戦いがある
エペソ6章でパウロがキリスト信徒に推奨している霊の戦いは、そもそもが、神の国を建て上げるためのものです。
主イエス・キリストが宣べ伝えた神の国の福音。
マタイ6:33
マタイ12:28
マタイ21:43
マルコ1:14-15
マルコ4:11
マルコ4:26-32
ルカ4:43-44
ルカ8:1
ルカ9:2
ルカ9:60-62
ルカ10:9
ルカ11:20
ルカ12:31
ルカ13:20-21
ルカ13:28-30
ルカ16:16
ルカ17:20-21
ルカ18:29-30
ルカ21章
ヨハネ3:3-5
使徒1:3
パウロが使徒の働きで論じていた神の国。
使徒19:8
使徒28:23
使徒28:31
パウロが書簡で伝えた神の国。
ローマ14:17
第一コリント4:20
第一コリント6:9-10
第一コリント15:50
第二テサロニケ1:5
この神の国を建て上げる際に、味方になる勢力=万軍の主の万軍=膨大な数の御使いたちと、敵になる勢力=神に反するもの=サタン=黙示録の竜と共に天から地に落とされた元御使い(元々の御使いの集団の1/3と考えられる)。
御使いの数は万の幾万倍とあるので、億単位で存在する。黙示録の竜と共に天から落とされた元御使いはその1/3なので少なくとも数千万体が存在する。
パウロがエペソ6章で述べていた霊の戦いは、この、敵の勢力に対して、主イエス・キリストの名によって、また、主イエス・キリストから与えられた権威によって(ルカ10:19)行うものであり、かつ、ダビデがゴリアテ(ゴリヤテ)に向かって行った時のように、万軍の主の万軍=御使い全軍を味方に付けて行うものです。
こういう基本的な図式をよく頭に入れないと行けません。
神の国を建て上げる勢力と、それを邪魔しようとする勢力。
双方の戦いが、パウロがエペソ6章で述べていた霊の戦いの基本的な図式です。
これ以外の霊の戦いは、ありません!
○自分のために霊の戦いをすることはできない
よく勘違いされているのは、「自分の教会を拡大するため」とか、「自分のミニストリーが敵によって邪魔されないため」とかいう目的で、霊の戦いを実践する人々がいますが、また、そのようにして、書籍が書かれたり、セミナーが行われたり、YouTubeの動画が作成されたりしていますが、そのような「自分の○○○○○」のために、あるいは「自分が所属する○○○○○○」のために行う霊の戦いがあるとすれば、それは、英語で言うWitchcraft(一般的には日本語で魔術と訳されるが、それだけでは正確に意味が取れない。ある対象をある種の祈りによってコントロールしようとする、すべての宗教的な術全般を指す)です。魔術、妖術、呪術のたぐいです。
パウロが、キリスト信徒全員に対して、行うように推奨している霊の戦いは、「自分の○○○○○」のために、あるいは「自分が所属する○○○○○○」のために行うものではなく、「神の国のために」行うものなのです。
では、その神の国とは何なのか?
三位一体を掲げるすべての教会では、神認識が混乱していますし、「『主』と言う名前で祈る時に、それが天の父を指しているのか、御子イエスを指しているのか、それとも、どちらでもない、ひどく曖昧な人工的な神を指しているのか、訳が分からなくなっていますから、「神の国」についても、非常にぼんやりとした認識しか持ちません。上で掲げたかなり数の多い聖句を読み込んでも、神の国のぼんやりとした理解しか得られません。
三位一体の外に出てみないと、主イエス・キリストが宣べ伝えた神の国の福音や、パウロが論じていた神の国は、実は、よくわからないというところがあります。
それは、別問題として、わきに置きます。
以降は、神の国について、よく理解されている方に記します。
○主イエス・キリストを証しするから霊の戦いができる
主イエス・キリストの名によって、いただいている権威によって(ルカ10:19)行う霊の戦いは、隠れてするものではありません。正々堂々と、イスラエルの神の旗を、言い換えれば、万軍の主の旗を掲げて、ゴリアテ(ゴリヤテ)に向かって行ったダビデのように、名乗りを上げて行うべきものです。
隠れて行っている人は、敵の霊であるサタン(その地域で崇拝されている諸々の神)を滅ぼすことはできません。
主イエス・キリストの側につく、ということは、名乗りを上げるということです。言い換えれば、証しをするということです。
そこで、私は彼を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼は私に言った。「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。
黙示録19:10
証しがいかに大事か?
人前で、自分はイエス・キリストを信じている人だと、正々堂々と、実名で言うことがいかに大事か?
(ということは、変名やハンドル名や仮の名前や実名を隠した形では、霊の戦いはできないということです)
主イエス・キリストについての証しをすることで、殺される人がいるというのが、新約聖書の教えてくれるところです。ステパノがキリスト教会史上、初めての殉教者となりました。彼は、主イエス・キリストがして下さったこと、主イエス・キリストの執り成しによって、まことの神であられる天の父が働いて下さったことで、数々の御業が起こったこと、それを証しして、それに嫉妬した人たちによって、石を投げられて死んだのです。
端的には、「私は、イエス・キリストを通じて、まことの神であるイスラエルの神をよく知っている。イスラエルの神が私の父になった。イエス・キリストによってこれが起こった。あなたがたが信じているイスラエルの神は、イエス・キリストによって、私の神になっている。あなたがたが信じている神は、神ではない」と証しして、ユダヤ人から猛烈な嫉妬を受けて、石打ちの刑に遭ったのです。
この証し。
神はどなたか?
御子イエスは、神とどのような関係にあるのか?
(ここで三位一体がちらつくと、もう、訳がわからなくなります。父についての基本、子についての基本は、ヨハネ14章〜17章に克明に書かれていますので、よくご確認下さい。三位一体を取っ払って、無心になって読まないと、理解できません)
ここのところを踏まえた上で、ステパノと同じ信仰を持った上で、パウロと同じ信仰を持った上で、ヤコブやヨハネやペテロと同じ信仰を持った上で、主イエス・キリストを証しするのです。
証しのためには、実名で、旗を掲げることが不可欠です。
○信仰を一つにする兄弟姉妹複数とエクレーシアを作って霊の戦いに臨む
イエス・キリストについて証しすることが、キリスト信徒の基本中の基本であることは、証しのために殺された人がいるということが黙示録に書かれていますから、そこをよく読まれることが必要です。
そうして、そのような証しをする者として、敵の霊と戦うのです。
その戦いをする際に、「神の国を建て上げる主体」として、戦います。
これがあるから、万軍の主の万軍である御使い全軍が味方になってくれます。
神の国を建て上げるためには、何が必要か?
ここでは、議論を端折ります。
キリスト信徒が一人でミニストリーをすることはできません。
最低でも、同じ信仰持つ兄弟姉妹同士が二人必要です。
二人で集まって、エクレーシア(日本語で教会、英語でChurchと訳されるが、元々はキリスト信徒の「集まり」「集会」)を形成します。
三人でも、四人でもいいでしょう。
五人でも、六人でもいいでしょう。
信仰を共にする兄弟姉妹と、エクレーシアを形成します。
そのエクレーシアに「○○教会」と名前を付けるのでもいいでしょう。
「○○○○ミニストリー(ズ)」と名前を付けるのもいいでしょう。
いずれにしても、信仰を一つにする兄弟姉妹が二名以上集まって、主イエス・キリストの新しい戒めである「互いに愛し合いなさい」を守りながら、初代教会と同じ信仰、初代教会と同じ活動をして、パウロの宣教内容をよく守り、ヤコブ、ペテロ、ヨハネの書簡の内容もよく吟味して、主イエス・キリストが宣教した神の国を宣べ伝えて行きます。
そのような、主イエス・キリストの名によるエクレーシアとして、霊の戦いに参戦します。
証しをする人ととして、また、主イエス・キリストの名によって神の国を建て上げるエクレーシアとして、霊の戦いを行うのです。
これがあれば、百戦百勝。必ず勝ちます。
○御使い一体で七万人が死ぬ
霊の戦いでは、御使いが味方についてくれることで、勝利が確実なものとなります。
自分が一人で戦うのではないです。
あくまでも、主イエス・キリストの名によって、広い意味の祈りの言葉を自分の口から出して、行います。自分の口から出た、主イエス・キリストの名による、敵の霊に対する何らかの言葉を、天で、天の父の右の御座におられる主イエス・キリストが聞き、天の父に執り成して、天の父が全知全能の神として動かれることで、敵の霊が殲滅させられます。
敵の霊は、大きな支配勢力を持つものから、そうでないものから、千差万別です。たとえ大きな支配勢力を持つものであっても、万軍の主の万軍、すなわち、御使い全軍が動いてくれることで、勝利が決定的なものになります。
御使いは、一体で、七万人の人間を殺すことができるほどの力を持っています。
(第二サムエル24章)
従って、万軍の主の万軍=御使い全軍が動く時、人知をはるかに超えた霊的な戦いとなり、敵のありとあらゆる霊どもが完全に滅ぼされます。