Courtesy of Stanley Zimny
過去10数年、3つのプロテスタント教会/ペンテコステ教会に通っていた頃のことを思い起こすと、日曜説教で一度も、天の父についての説明を聞いたことがありません。
「天の父はこのような方だ」
「天の父が私にこのようなことをして下さった」
「天の父は、聖書のこことここに、このように書いてあるから、このようなお方として、私たちを整えて下さる」(ヨハネ15章に書いてあります)
このような説明を聞いたことないのです。
牧師や宣教師などの書いたものを読んでも、動画や音声のメッセージを見たり聞いたりしても、天の父を解き明かすと言うことをしている方を、見たことがありません。
これは、彼らが、本質的に、天の父を全く知らないと言うことを示していると、論理的に結論づけざるを得ません。
三位一体の教会で育ち、神学校を終了し、それぞれの教会に置かれ、信徒を牧会している牧師や教師や宣教師たちは、天の父を知らないのです。だから、教えることができないのです。まして、経験することがありません。
○隠れたところにおられる天の父が私たちを御子イエスに渡して下さる
なるほど、天の父は、隠れたところにおられます。イエス様も次のようにおっしゃっています。
あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
マタイ6:4
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
マタイ6:6
それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
マタイ6:18
しかし隠れたところにおられるからと言って、知らないでいて済ませられるものではありません。主イエス・キリストご自身が、永遠の命は、天の父と、御子イエスを知ることにあると明言しています。父と子の両方を知ることが、永遠の命なのです。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネ17:2-3
天の父の御子であられるイエスは、彼を信じる人は、天の父から与えられたと何度か繰り返し述べています。(ヨハネ17:6、17:7、17:9、17:24、18:9)
この、私たち信じる者を、何もないところから造って下さり、御子イエスの救いの中に渡して下さった神、天の父を、その創造の御業の主体を、何も知らないでいていいと言う訳はありません。
天の父を知るからこそ御子を信じることができる。御子を信じれば天の父の存在がより一層はっきりとわかる。そう言う関係にあります。天の父と御子イエスとがそれぞれに存在し、かつ、一つであると言うことは、御子イエスの最終説教であるヨハネ福音書14章〜17章で繰り返し語られるところです。天の父がいらっしゃるところに御子イエスもいらっしゃり、御子イエスが執り成しておられるところに天の父もいらっしゃいます。
これが、わからないのは、三位一体という、ペテロやパウロの死後200年ほどが過ぎて、全く別なバックグラウンドを持つ司教達・初期神学者達が頭でこしらえた教義が打ち出す「人間が作り上げた神」の下にいるからです。偶像の下にいるので、生ける神である天の父がわからず、経験することもできず、そのため、生ける神の御子とペテロが信仰告白した主イエス・キリストもまた、救いの御業をその人に為すことができないのです。キリスト教会内に罪責感に苦しむ人が多数いるのはそういう理由からです。
○神を知ることを混乱させる三位一体
天の父は、旧約聖書で繰り返し出てくる「生ける神」です。
申命記5:26、
ヨシュア記3:10、
第一サムエル17:26、17:36、
第二列王記19:4、19:16、
詩篇42:2、84:2、
イザヤ37:4、37:17、
エレミヤ10:10、
ダニエル6:26、
ホセア1:10
これを受けて、子供の頃からモーセ五書などを読み聞かされ、朗読してきたユダヤ人であるペテロは、目の前のイエスが「あなたは、生ける神の御子キリスト」であると信仰告白したのです(16:16)
天の父は、旧約聖書で繰り返し繰り返し「生ける神」と言われてきたイスラエルの神であり、その御子がキリスト=メシアであるイエスです。そういう関係です。これが、三位一体の下にあると、訳がわからなくなるのです。理解が混乱するのです。考え続けることができなくなります。
例えば、良心的に神学的アプローチで三位一体を解説し、解き明かそうとしているこの論考でも、最終的には、訳がわからないというニュアンスのことを述べています。(ごめんなさいね、一例として引用します)
ここから始まる一連の論考
クリスチャントゥデイ:三位一体の神様(1)初めに 山崎純二
そして最終回
クリスチャントゥデイ:三位一体の神様(最終回) 偉大な奥義 山崎純二
私はこの論考を実に興味を持って読み進めていました。お書きになっている方には、牧師の良心があることは、重々承知しています(一度、全能神について問い合わせを受けたことがありました。全能神撲滅運動をやっていたことがあったため)。そうして、最終回に、三位一体の謎が解き明かされると思って読み継いで行ったのですが、最後には、煙に巻かれたような印象を与える、つまりは、自分もよくはわからないということを伝える論考として締めくくっています(最終回の冒頭を参照)。
こういう、人に、神の理解の混乱を与えるというのが、後世に、人が捏ね上げた三位一体の悪しき特性です。私は、ここに、キリスト教史最大のサタンが潜んでいると見抜きます。主イエス・キリストの名と権威によって、霊の戦いを何百回となくやり込んできた者として、ここに黙示録で「竜」として出てくる巨大なサタンが寝そべっているのを見ます。
○偶像を破壊しなければ、天の父はわからない
こういう、神の理解に関する混乱があるため、天を見上げても、ステパノのように、天の父と、その右の御座におられる御子イエスが見えないのです。
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
使徒7:55-57
実に悲しむべき真実が、そこにあります。三位一体の下では、皆が、迷信のようなものを、聖句を手掛かりに、必死に信じようとしているのです。そうして、必死に祈っているけれども、生ける神からの応答はないのです。
確かに、主イエス・キリストがおっしゃるように、天の父は隠れたところにおられます。
従って、三位一体の偶像を捨て去って…というより、叩き割って、燃える火の中で完全に焼却して、その上で出直さないと、隠れたところにおられる天の父と、そうして御子イエスと、第一ヨハネ冒頭に書かれている「御父と御子との交わり」に入っていくことはできません。
これは、士師記6章にあるように、偶像を破壊せよ、という天の父の御心を語っています。
三位一体は偶像であり、何の意味もないばかりか、キリスト教会全体を迷信で覆って、ほぼ全てのクリスチャンや牧師や司祭を、罪責感の下に閉じ込めておくエジプトのような働きをしています。罪が赦された実感を持つことがありません。繰り返し繰り返し、罪責感がその人をさいなみます。私が三位一体の教会にいた十数年を振り返るとそうでしたし、周囲のクリスチャンもそうでした。Twitterにいる多くのクリスチャンも、繰り返し繰り返し、苦しさを訴えていました。三位一体の偶像の下では苦しみが去ることがありません。御子であるイエスの福音が、悲しいかな、お題目に留まっています。イエス様も天の父の右の御座にいらっしゃって、悲しんでおられます。
○その人は第二のさばきに耐えられない
生ける神である天の父がよくわからないということは、その人の永遠の命が危ういということでもあります。
主イエス・キリストは、特に、天の父との関係をご自身が何度も論じておられるヨハネの福音書において、「永遠の命」について、繰り返し教えておられます。
なるほど、主イエス・キリストを信じることが永遠の命だと、福音書記者が書いていることは確かです。しかし、その文章の主語は「神」です。(ここの主語である「神」が三位一体の神ならば、三位一体の神が、三位一体の一つの位格であるイエスを世に与えたという文章構造になって、おかしいですね?ここの主語である「神」は紛れもなく、誰が読んでも天の父のことであり、その天の父が御子イエスを世にお与えになったのです。天の父と御子イエスとは、父と子の関係であり、親子という意味で分離しています。またここに神の霊である聖霊が「一つになっている」という状況は全くないです)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16
一方で、天の父と、主イエス・キリストの双方を知ることが、永遠の命だと御子ご自身がおっしゃっています。
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネ17:1-3
三位一体のキリスト教会にいると、ここのヨハネ17:3が、何度読んでも理解できないです。なぜ、永遠の命が、「彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ること」なのだろう?ここで、「唯一のまことの神であるあなた」とイエス様がおっしゃっている方は、三位一体の神のことなのだろうか?三位一体の神が「唯一のまことの神であるあなた」であるのならば、なぜ、御子イエスは、「三位一体の神を知ることが永遠の命だ」とおっしゃらずに、「唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ること」と教えているのだろうか?
ますます混乱します。この混乱こそが、極めてサタニックな働きを為す、西暦300年代のグノーシス主義者/新プラトン主義者が三位一体の教義の中に潜ませたサタン/悪魔です。(この投稿の末尾に掲げている資料を参照)
このサタン/悪魔が、真の主イエス・キリストの救いから、三位一体の下にある全ての教会群の全ての司祭、牧師、教会員を、遠ざけるのです。救いから切り離します。
(また、アブラハムの祝福からも切り離されています)
なぜか?
隠れたところにおられる神である天の父が、わからないので、天の父が御心により地上に送られた御子イエスの本当の意味がわからず、天の父の愛を経験することがないまま、一生が終わってしまうからです。第一ヨハネ4章に書かれている「神は愛です」。これは4:9をよく読むと天の父のことですね?その天の父が愛だと書いています。この「天の父が愛の神であられる」ことがわからないまま、一生が終わってしまいます。
救いは確かに主イエス・キリストを信じることにあります。
しかし、その主イエス・キリストを備えられたのは、御子が唯一のまことの神(ヨハネ17:3)とおっしゃる天の父なのです。そこに第一ヨハネで書かれている神の愛があるのです。この神とは、天の父のことです。目を覚まして下さい!
三位一体の教会群に所属していると、三位一体を退けると「異端」のレッテルを貼られてしまうため、三位一体を否定することができません。牧師も司祭も、三位一体を否定することには、最高度の注意を払っています。異端と言われたくないからです。
それが故に、三位一体がエジプトの奴隷状況を作り出し、全ての教職者(牧師、司祭、神学校教師)を異端の恐怖で怯えさせ、絶対に三位一体を否定することがないように教育され、よって、それらの教会群の中で洗礼を受けた全ての信徒は、ヨハネの福音書で明確に説明されている天の父、御子イエスが、きちんと理解できないままに、一生が終わるのです。
天の父が、唯一のまことの神であるとイエス様がおっしゃっているにも関わらず、わからないままに、一生が終わるのです。
そうして黙示録20章に記されている裁きにおいて、主イエス・キリストの前に立つことになります。
その時に、こう尋ねられたら、その人はなんと答えるのでしょうか?
「あなたは、(ヨハネ15章に書かれているように)農夫である天の父に整えられて、どんな実を結びましたか?」
「天の父が農夫だと感じたことは一度もなかったですし、実を結んだ実感がありません」、と答えるのでしょうか?
それであれば、「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:15)ということに、ならないでしょうか?