Courtesy of Stanley Zimny
三位一体の教会にいた時期、2000年から2017年後半までの時期を振り返って、また、その後もFacebookなどネット上で兄弟姉妹とコミュニケーションをしていた時期を振り返って、言えることは、「祈りがかなえられる」と本気で信じている人はほとんどいないという、悲しい現実があるということです。
むしろ、「祈りはかなえられない」と思っている。
○プロテスタントの牧師が「祈りはかなえられない」と主張する
プロテスタント教会の中には、牧師が、「これこれこうだから、祈りはかなえられない」「祈りがかなえられないことの中に、神の御心がある」と教えているところもあります。「祈りがかなえられないこと」を積極的に認め、それを聖書の御言葉で説明し、牧師も教会員も納得する…。そういう気風が、かなり、あります。
Facebookで2018年から2020年にかけて「祈りがかなえられるための勉強会」というクローズドなグループを管理させていただいていました。前身は「全能神の増殖を食い止めるための情報交換ボード」と言いました。その後「霊的な戦いのための情報交換ボード」に名称を変更し、それから「祈りがかなえられるための勉強会」という名称にして、名前に見合う情報交換を行なっていました。
参加者はプロテスタント教会に所属している、ないしは通っているクリスチャンの方が40名ほど。また特定の教会で牧会をなさっている牧師が10名ほどいらっしゃいました。
ここで、祈りがかなえられることに関して、経験や、聖句の裏付けがある事柄を主張すると、躍起になって、祈りはかなえられないということを、ある種の怒りのような執着を持って主張する、ある教会の外国人牧師がいました。三度、かなり長いテキストで、祈りはかなえられるものではない、ということを主張されていました。
ここにプロテスタント教会が、生ける神から遠いという真実が現れているように思います。
○祈りに関する最も重要な教え、ヨハネ14〜17章
祈りに関する聖句は複数ありますが、やはり、主イエス・キリストが、大祭司らによって逮捕される日の最後の晩餐の時に説教なさった、主イエスの遺言とも言える最終説教、ヨハネの福音書14章から17章における、御子イエスご自身による祈りに関する説明。これが最も重要だと考えています。ここに、祈りの本質が、御子ご自身の言葉によって、平明に語られています。
特に重要なのは、以下の2ヶ所です。
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
ヨハネ14:13-14
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヨハネ16:23-24
ここで、御子であるイエスは、ご自身の名によって求めなさいと教えています。
御子の名。イエス。英語ではJesus。ラテン語ではIesus。ヘブライ語の英字簡略表記ではYeshua、ヘブライ語の英字正規表記ではYehoshua。
この名によって求めるのです。本当に、主イエス・キリストを信じていれば、この名によって、悪霊を追い出すことができ、最強のサタンですら聖絶することができます。
この名によって、天の父に求めれば、何でも教えて下さいます。御心にかなっている事柄であれば、求めれば、与えて下さいます。祈りは、かなえられるのです。
○プロテスタント教会全体にある「不信仰」
この単純な真実。聖書の御言葉、しかも、主イエス・キリストの最終説教の中の中核である教え。それに、このように求めなさいと書いてある。その通りにするだけなのに、プロテスタント教会では、牧師は、祈りがかなえられないと教え、主張する。祈りがかなえられると主張するキリスト信徒がいると、躍起になって否定しようとする。
ここに、本質的な問題が覗いています。
不信仰という、プロテスタント教会固有の、かなり深い、神的な欠陥です。
○捻じ曲げられた教義・三位一体の下では、神はお答えにならない
結論から言えば、三位一体の神は、新約聖書に記載されている信仰の体系を築き上げたと言っても過言ではないパウロ。そのパウロが1世紀から2世紀になる前後に、殉教したと伝えられる死を迎え、それから200年。西暦300年代の前半から、ローマ帝国領内に1,800名いたとされる司教達。この200年の期間にキリスト教は、パウロが宣教していた内容から大きく逸脱し、アブラハムの子孫が根でなければならないところ、その根から切断され、当時の知的な共通言語であったギリシャ哲学によって塗り替えられ、ギリシャ哲学の支流である新プラトン主義。および、神学の源流である知恵、ソフィアを愛するソフィア信仰が明らかにあるグノーシス教徒。そうした新プラトン主義とグノーシスの徒らが1,800名もいる司教(相互に按手し合って叙階される)によって捻じ曲げられ、独自の論理を導入し、381年にニカイア・コンスタンティノポリス信条が成立した。
そのグノーシスと新プラトン主義によって捻じ曲げられた神の理解である三位一体。
結論から言えば、その三位一体は、人がこねあげた偶像であるがゆえに、いかに一生懸命信じても、いかにその中で、イエスの名によって祈っても、何も起こらないのです。
祈りがかなえられないどころか、神は、無反応なのです。