第一サムエル17章のダビデがペリシテ人ゴリヤテ(ゴリアテ)と戦って石一つで勝つくだりをよく読むと、ダビデは、戦う前から、ゴリヤテに勝利することが、目に見えるようにわかっていたということが理解できます。
これは、彼が、最初から預言者であったことを物語っています。
(後年の詩篇を読むなら、彼が預言者であることがわかりますし、福音書で詩篇が引用される場面でも、預言者の言葉として引用されています)
このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」
第一サムエル17:36
この時のダビデを動かしていたのは、イスラエルの神をなぶるペリシテ人ゴリヤテ(ペリシテ人中のペリシテ人。イスラエルの神に敵対する者の代表)に対する猛烈な憤りです。
ダビデは言います。
「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」
「あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」
「私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」
「この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」
このように、イスラエルの神を貶める者に対して、神を愛する愛のゆえに猛烈な憤りを抱いて、敵に、真っ向から向かっていく。この姿勢こそが、エペソ6章で記されている霊の戦いの本質です。そうして、このような激しい、イスラエルの神に対する愛が、預言者の本質です。エリヤにも見られるものです。
Courtesy of Pedro Szekely