私たちの教会は、2017年9月に、天の父から「お前のブログを教会にする」と言われて始まりました。当時、代表の今泉は、「幕屋の祈り」と呼ばれる祈りの技法により、ヘブル8章〜10章で教えている「天の至聖所」に入って、天の父と交わるということに頻繁に取り組んでいました。
この「幕屋の祈り」は、この投稿でかなり詳しく書いているものです。
天の父と交わるための幕屋の祈り(2019/9/14)
この頃、天の至聖所で、大祭司であられる御子イエスの執り成しにより、まことの神であられる天の父と交わるということをさせていただいていて、いくつかの預言をいただきました。その1つが「お前のブログを教会にする」でした。
今泉は2000年の年末から、ペンテコステ系の「Word of Faith」運動の主導者であった米国のケネス・ヘーゲンが主宰する牧師養成学校で学んだ牧師夫妻が牧会をなさっているキリスト教会に通うようになりましたが、10年程度通った後、自身の多大なる不行き届きからその教会を出されてしまいました。2010年の夏のことでした。その頃にあったTwitterでの大炎上の顛末は、以下の投稿に書いています。
息子のために泣きました。-- 2010年のネット大炎上のこと --(2018/2/10)
その後、オーソドックスな福音派のキリスト教会に通うようになり、そこで水のバプテスマを授けていただき(上記ペンテコステ系の教会では、牧師の聖書解釈に基づいて、水のバプテスマは授けておらず、ローマ10章9-10節に基づいて信仰告白をするだけで、「生まれ変わりをした」という教義でした。生まれ変わり=クリスチャンになったという解釈です)、いわゆるクリスチャンとして歩むようになりましたが、その実質は、最初の教会に通った10年と同じく、ちゃらんぽらんな、なんちゃってクリスチャンでした。
その教会に通ったのは5年間でした。その間に、今泉は、ここに書いた経験の大元となった大きな罪を犯しました。
不倫からあがなわれるために、イエスの救い(2017/11/13)
その大きな罪から来た咎(とが)だと確信していますが、治療方法が確立していない難病に等しいジストニアという神経系の病気にかかり、首が曲がって、まっすぐに歩けなくなってしまいました。反省やら、悪霊の追い出しに関する情報やらを書くために、クリスチャンブログを書き始めました。その残骸のような幾つかの投稿は以下で読めます。
発展途上クリスチャン2
このクリスチャンブログを書き始めたのがジストニアがひどくなった2012年の頃(上記の残骸とは異なる、今は完全に削除してしまったサイトで、かなりな投稿の本数を書き溜めていました。簡単に言えば、聖書勉強と悪霊の追い出しに関する情報提供のブログです)。
クリスチャンブログを書き継いでいるうちに、ある方のアレンジで、シャノン・デイビスShannon Davisというミニスターが行なっていたOmegaman Radioというインターネット上の悪霊追い出しのミニストリーを受けるという経験をし(この時に、悪霊の追い出しでよく知られているジョン・ラミレスJohn Ramirezがゲストとしてジョインし、Shannonと2人から追い出しを受ける格好になりました)、そうした経験についてもクリスチャンブログで報告していました。
当時は悪霊の追い出しに関する日本語の情報はほとんどなく、雑誌編集の経験があった私は、情報価値がかなりあるだろうと考えて、悪霊の追い出しに関して読んだこと、知ったこと、経験したことは積極的にブログに書くようにしていました。結果として、当時は、悪霊の追い出しに関する情報が一番集まっているホームページという形になっていました。
そういう中で、上記の幕屋の祈りに2014年11月から取り組み、天の父と直接交わらせていただく中で、「お前のブログを教会にする」ということを2017年9月に言われ、「発展途上クリスチャン」というブログを、「ジーザスどこでも教会」という名前に改めて、教会としてスタートしました。
当時の天の至聖所での天の父との交わりについて記していたメモを読むと、2016年7月に以下のような記述があり、ブログを書くことについても、天の父から促されていたことがわかります。
2016/7/4 火曜日朝
・聖所にて。ブログを書くように促された。最近、G師の教会で言っている、ミニストリー。自分がやれること。教会の外で。「クリスチャンでない人がクリスチャンになるためのブログ」(仮称)。
「ジーザスどこでも教会」という、現在の私たちの教会の前身は、「教会に行けない人のための教会」というものでした。テキストだけで書くブログであり、現在のように日曜礼拝メッセージを音声で配信したりすることは一切ありませんでした。
しかしそのテキストを通じて、主イエス・キリストにあって本当に救われ、天の父と交わるすばらしい経験ができるクリスチャンをたくさん生み出そうという意欲にあふれていました。
「ジーザスどこでも教会」という名前は、ヨハネ4章にある、「天の父は、霊とまことによって礼拝する真の礼拝者を求めておられる」というイエス様のお言葉。そして「エルサレムでもどこでもないところで礼拝するようになる」という預言。それをベースにしています。
つまり、いずれ、本当のクリスチャンは、物理的に存在する個々の教会堂ではなく、いつでもどこでも真の礼拝をするようになる。そういう確信を込めて、名前を付けました。
今、その、ヨハネ4章に記されている、いつでもどこでも真の礼拝ができるようになるというイエス様の預言は、私たちの現在の教会である「主イエスと食事をする教会」において、成就しています。