息子のために泣きました。-- 2010年のネット大炎上のこと -- | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

私はいま、このようにして、教会をやっていますが、ひとりの息子がいます。現在、14歳です。

2010年の秋以来、会っていません。最後に2〜3時間一緒にいて、東京タワーに行った時に、小学校に入る直前の歳でした。

 

私は、2010年の夏から秋にかけて、このインターネットで、大炎上を起こし、多くの方々にご迷惑をおかけしました。

そして、当時、運営していたインターネットのビジネス、人の時間の売り買いを可能にする「ピーポーズ」というサービスも、その時に炎上の中に入り込み、破綻しました。会社としての株式会社ピーポーズも破綻しました。この会社には、何名かの個人投資家からの投資もいただいていました。また、うち2名の方には、比較的大きな金額を投資してもらっていました。それ以外の方々からも、いまの自分からすれば、かなり大きな金額を入れていただいていました。さらに、ある著名な会社からも、ありがたい投資をいただいていました。時間を売り買いすることで、飛躍的に成長して、株式公開にこぎつけ、投資していただいたお金は数倍にしてお返しするシナリオでした。私は経営者でした。

 

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私の息子は、父親の私が言うのもあれですが、大変にピュアな男の子で、見るからに、神様から愛される子という外見とお顔を持っていました。天性の清らかさがありました。私は彼が幼稚園に行く頃から、フルタイムの外資系大手IT企業に詰めて行うコンサルティング・リサーチャーの仕事と、それと並行して、仲間であり共同創業者であるI君と立ち上げた株式会社ピーポーズの仕事と、ダブルで仕事を持っていましたから、息子とはあまり遊ぶ時間が持てませんでした。それでも、土曜日や日曜日には、夕方一緒に銭湯に行ったり、近くの公園でボールを蹴ったりして、一緒の時間を過ごすようにはしていました。けれども、それもごく限られた時間でした。

 

幼稚園の運動会に行けない父親なんてと、母親から怒られたこともありました。

 

私は、仕事をダブルで一生懸命やることが、母と子のためになると、本気で考えていました。

大手IT企業のコンサルティング・リサーチャーの仕事はいずれなくなります。(同社と私が経営していた個人会社が人材派遣の契約を結び、個人会社の社長である私自らが派遣される形の契約をしていました。)なので、60を過ぎても続けられる仕事が必要だろうと考え(息子が大学を卒業するのは私が60歳を超えた後です)、ピーポーズのネットベンチャーの仕事を始めたのですが、それがために息子との接点はあまり持てなくなり、ほぼ仕事しかしていない数年間が過ぎていました。母親もよく付いてきてくれていました。彼女には深く感謝しています。

 

母と私とは、ある単立の教会で知り合いました。米国の、聖書のみことばを第一とする会派を創設した方が運営している牧師養成学校で奥様と一緒に牧師の資格をお取りになり、すでに米国で成功した職業人となっていた生活基盤などをすべて捨てて、体ひとつで日本に帰ってきた方々が牧会されている教会でした。聖書のみことばを第一にするという意味で、道場のような雰囲気がありました。一方で今から振り返ると、聖霊を取り入れる姿勢に明らかな欠落がありました。

 

アンフェアな言い方かも知れませんが、もし、その教会が、今私たちが言っている、本当のみことば100%主義であり、異言もあれば預言もある、というような、聖書のみことばすべてに対してフェアにアプローチし、あるみことばにフタをしたりせず、かつ、教会員に対してもどしどし外に出て弟子を作れ!弟子を作らない教会員はキリストの弟子とは呼べない!とハッパをかけて、イエス様の命令をすべて残りなく行う教会であったなら、霊的な盲目もなく、聖霊に満たされて健全であり、聖霊にいつも助けられておかしな道に走ることもなく、ネットで大炎上に至るような種々の悪い行いをすることもなかったと思います。私の今の現在がそうだから断言できます。

 

その教会では教会員に預言をさせませんでした。水のバプテスマをやっていませんでした(水のバプテスマは当時のユダヤ教徒に適用されるもので、新約の時代のノンクリスチャン→クリスチャンの移行時にはふさわしくないという解釈。従って「洗礼」という言葉も使わず、ノンクリスチャン→クリスチャンへの移行を「生まれ変わり」と呼んでいた。牧師夫妻の師匠であるケネス・ヘーゲンがそうであったのかどうか未確認)。教会員に外で弟子を作れなどとは絶対に言いませんでした。教会の内にこもって守りに入っているところがある教会でした。イエスの命令を守っているとは言えません。また、パウロ書簡を部分否定しています。よって、聖霊の働きは一切なく、霊的に乾いている教会でした(当時は何も知らなかったので、そういうことが一切わからなかった)。それがため、みことば主義が強調され、律法主義が横行する教会となっていました。そういうところに通っていると、教会同士が裁き合うようになります。牧師先生も教会員を裁いてかかります。律法主義的な観点から見ておめがねにかなった教会員は覚えめでたくなります。そうでない教会員は冷遇され、無視され、出されてしまうこともありました。とんでもないことです。私たちの場合は、夫婦の間でも、裁き合うところがありました。これもまた霊的に不健全です。教会が霊的に不健全なので、夫婦にもその不健全さが伝染するのです。いきおい夫婦喧嘩は日常的にあり、夫は妻をかわいらがず、妻は夫を敬わない。パウロ書簡にある夫婦関係のお手本の真逆がありました。

 

私はいまはっきりと言います。その教会がダメでした。それがために私たち夫婦は霊的にまったく聖書的ではない夫婦でした。私たちの中には聖霊がいませんでした。異言の祈りは形ばかりでおそらく悪霊から来たサウンドで祈っていました。あれは異言の祈りとは呼べません。

 

水のバプテスマを否定するのは、カルトです。その教会はカルトでした

 

その教会がカルトだとわかったら、「あなたたちはカルトです。真のイエス様の道に立ち戻りなさい!」と言ってあげるのが本当の愛です。イエス様はなんとおっしゃっていますか?イエス様が、道であり、真理であり、いのちであるとおっしゃっています。カルトならば、イエス様からはずれています。イエス様からずれているならば、イエス様が再臨される時に即座に地獄行きが決まるのです。その人たちが地獄に行くのを放っておくのが愛でしょうか?その真実を言わないでおいて、何を言うのでしょうか?

 

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ネットの大炎上の経緯を書いて、当時を再現することが目的ではありません。今から振り返って、あの出来事は何だったのか?霊的に把握すること。そうして、悔い改めて、先に進むこと。それが今行うべきことかなと思います。

 

当時の私たち、経営者二人は追い詰められていました。資本金500万円で会社を始め、インドのオフショアで開発すれば開発費用が日本の半分程度になることはわかったものの、システム心臓部のインドでの開発と、ウェブサイトのユーザーインターフェースを日本のウェブデザイナーにお願いしている部分との整合がうまくいかず、500万円だけでプロトタイプを作ることができないとわかり、増資によって資本金を1,300万円ぐらいまで増やして、どうにかサービス・ローンチにこぎつけていました。しかし、開業するそばからウェブサイトの手直しやシステムのバグ修理、細かな機能追加が続き、集めた資本金がどんどんなくなっていきました。

 

今だからよくわかりますが、インターネットのサービスは、開業にこぎつけたからその日で開発が終わるということはなく、日々開発をし続ける必要があるものなのです。システム開発要員は一時的に必要だということはなく、開業したらずっと必要な人材なのです。そこの読みができていませんでした。

 

インドの開発会社に支払う開発費用が毎月数百万単位で出て行き、資本金はみるみる少なくなりました。

 

一方で、売り上げはほとんどゼロ円。有料で時間を買うお客さんが出てくる風は、1人の例外を除いて、まったくありませんでした。今でこそ、プロフェッショナルの時間を30分単位で売ることが商売として成立していますが、7年も前の話であり、早すぎたのです。

 

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2007年半ばに会社設立、2009年後半にサービスローンチ。2009年から2010年にかけて資本金枯渇。万策つきて、頼ったのが、当時ものすごい勢いで浸透していたTwitterでした。Twitterなら費用ゼロ円で企業の色々なものを宣伝することができます。これだ!と思い、社長である今泉は、2010年の3月頃から猛烈な勢いでTwitterを使い始めました。

 

そうしてすぐにわかったのは、Twitterが「個人を売る」のに最適なメディアだということでした。実は私たちの時間を売るサービスは、そのプロフェッショナルの個人を売ることにも直結していましたから、Twitterで個人が売れることは大いに好都合だと思い、社長自ら実践で成功例を作る意気込みで、使い始めました。←すでに危険な臭いがありありと感じられますよね。もうこの時点で、どこかおかしかったわけです。おかしいのは、本質的に、霊がおかしな方向へ行っていたということです。一番強かったのは、プライドの霊だと思います。プライドの霊は、一時期は天国で一二を争うほど美しい天使であったルシファーが天国から地上に落とされる原因ともなった「高慢」そのものですから、高じれば高じるほど後に控えている悲劇が大きくなります。

 

当時は最初の教会であったその教会に通い始めて10年目。とはいえ、水のバプテスマが未経験でした。異言と教わっていたものによる祈りはできるようにはなっていたものの、今から振り返れば、あれは異言ではなかったです。聖霊に助けられている感覚は一度も味わったことがなかったです。また、「救われた」という実感は持ったことがありませんでした。おそらく、律法主義ゆえの自由のない、何かに縛り付けられたままの霊的状態だったでしょう。一言で言えば、この世の人と変わりがなかったです。

 

私は元々編集者であり、ライターおよびITジャーナリストとしてものを書いていましたから、Twitterの定型の中に意味を圧縮して入れて、インパクトのあるメッセージにして世界に探す作業は、かなり得意な方です。本気で更新するようになると、フォロワーがどんどん増えて行きました。また、特定の人たちと頻繁にメッセージを交わすようになり、小さなコミュニティでしたが、その中心人物の一人になって得意満面でした。

 

この時、すでにプライドの霊が動き始めていました。また「SNS中毒の霊」と言ってよい悪霊が明らかに存在していますが、それも私の内に入り込んでいました。さらには、不品行の霊、姦淫の霊、淫乱の霊、酒乱の霊などが入って、あるいは元から入っていて、動き始めていました。

 

会社の宣伝のために、Twitterイベントを2010年3月末から1〜2ヶ月に1回行うようになりました。プレゼンテーションあり、音楽あり、大皿料理あり、安ワインありの参加料1人3,000円程度のイベントを、つまるところは、ピーポーズというサービスを運営する会社の代表取締役である今泉大輔を売るために行っていました。イベントで私自身を売り込んでいたのです。とんでもないです。

 

私のような素人が、Twitterというメディアで、リアルなイベントで、少しでも売れそうな雰囲気になると、必ず、コントロールが効かなくなります。芸能界の芸能のプロであれば、「人が売れること」に関するノウハウが蓄積されていて、やっていいことと、やっていけないこと。プライドが高くなりすぎないようにコントロールすべき部分。芸能人におけるマネージャーのような客観的な存在。歯止めになる存在。そうしたものが揃っていて、芸能人が多少売れたからと言って暴走するようなことはありません。しかし、素人がTwitterであれその他のネットメディアで売れ始めると、大変なことになる可能性が多少あります。

 

現在では、Youtubeを上手に使って、自分を良く売っているユーチューバーをよく見かけます。ああいう形でうまく使っていればよいです。しかし当時はまたSNS草創期でしたから、人がネットで売れることに慣れていない。私もそうでした。

 

一方で、Twitterで何か書けば反応がある。異性からも反応が来る。リアルな食事などの機会がある。自分はネットのサービスの経営者でもある。多少はお金も使える...となれば、あとは、危険なところへまっしぐらです。

 

なんちゃってクリスチャンに過ぎませんでしたから、肉が出て、その方向へ足を滑らせて行くのに時間はかかりませんでした。3月末に初回のTwitterイベントを始めて、猛烈な勢いで「人の気」の中に入っていき、猛烈な「人の気」に包まれて、ほぼ24時間Twitterで発言し続け、6月にはかなりの頂点にいました。また、すでに大きな罪を犯していました。

 

2日に1回は外で誰かと外食をし、その様をTwitterで実況中継していました。相手が女性だと、その実況中継には熱が入りました。たくさんの反応がリアルタイムでありました。Twitterに書けばリアルタイムで反応がある。リアルタイムで反応があるから書く。脳がこのことを覚えてしまい、中毒状態になっていました。ものすごく不健全な状態にありました。

 

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家庭には寝に帰るだけ。睡眠時間は1日3〜4時間。

 

妻が睡眠時間が少ないのを心配してくれて、会社の近くに引っ越した方が少しでも寝られるだろうからと、また、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることもなくなるだろうからと、六本木一丁目の背の高いURの物件を探してきてくれて、7月からはそちらに引っ越しました。あそこの部屋は気持ちがよかったです。20階近い部屋から神谷町界隈を一望にし、目の前には東京タワーがそびえています。都心中の都心です。私のハイテンションはいやがうえにも高まりました。

 

インターネットのサービスを運営している会社の社長である。著名な企業に出資をしてもらってもいる。リアルなイベントを主催することもある。ちょくちょく外食して高いご飯ではないけれども小じゃれたものを食べている。生半可な知識でワインを語る。女性と食事をすることも頻繁にある。それをTwitterで実況中継する。気の利いたことを言うこともある。リアルタイムで反応を返してくれる。何か華やかな感じすらある。

 

↑こういう状況があれば、ネット大炎上の直前なわけです。

 

ある女性問題をきっかけに炎上が始まりました。ある人があることをネットで暴露し、それがリツイートでどんどん拡散し、色々な人から攻撃が始まりました。

 

私はネットの炎上など経験したことがありませんでしたから、売られた喧嘩を買うと、その喧嘩の一部始終がネットにログになって残るということを知りませんでした。当初は大人しくしていましたが、出資して下さっていた会社の社長あてに、直接メンションが飛んでいるのを見て、義侠心(←これも悪霊です。偽の正義感の霊といったところ。背後にはサタンがいます)が沸き立ち、私も猛烈に反撃を始めました。

 

汚い言葉を吐き始めたのです。

 

汚い言葉は、パウロが厳に慎みなさいと言っていますが、悪霊そのものだと言ってよいでしょう。悪口の霊が存在しています。汚い言葉を吐き続ける人には、悪口の霊がいます。

 

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あとは酒です。私はこの頃、ワインを飲むことを覚えました。高級レストランで出すようなDOCとった高いワインではなく、酒屋で買えば1本1,000円〜3,000円程度のワインです。少し調べて勉強して、飲んで味を確かめて知識を定着させる。先生のような方からうんちくを教わる。ワイン会に出て味と知識を学ぶ。多少やれば語れるようになります。これがまた、私の場合は、ということですが、よくなかった。覚えたこと、飲んでいるワイン、味やうんちくを、またTwitterで拡散する。これがネット炎上のマグマを滞留させました。

 

ワインは1本は開けていました。勢いがつくと2本。2本飲むとべろんべろんです。それでもってTwitterで何か書く。時々は暴言を吐く。上の悪口の霊がいますから。悪口がTwitterでどんどん流れていく。もう目も当てられません。完全にサタンにドライブされている格好です。

 

火がつき始めた炎上は、私が、一生懸命反撃すればするほど拡大して行って、1週間程度で、20人ぐらいの敵と1人で戦っている格好になりました。そのうちに、警察に通報したとデマを飛ばす人も出てきたり、あることないこと書き立てる人が出てきたり。関係のない方々にまでメンションが飛び。まだフルタイム勤務していた会社の人事部にひどい情報を通知する人が出てきたり。

 

すべて自分が蒔いた種。すべて私が気を許した小さな罪。それが大きく、大きくなって、私と私が経営していた会社と私の家族と私の出資者やお世話になった方々とを巻き込んで、大きな渦巻きが起こったようでした。私は毎日睡眠時間2時間程度で。毎日戦場にいる感覚で。警察にも相談に行き。

 

妻と子供は7月初旬に六本木一丁目の部屋を引き払って、彼女の実家に帰りました。

私は、息子とは、彼女たちが引っ越す少し前の日に、3時間程度、東京タワーへ遊びに行ったっきり、もう会えなくなりました。その後の家庭裁判所の調停が入った離婚で、面会権をもらえなかったからです。

 

私は、最後に会った、6歳の、純真そうな息子の表情を忘れません。あの年は暑い夏でした。7月初旬でもすでにものすごく暑かった。彼はブルーのTシャツを来て、ブルーの肩掛けカバンをかけていた。別れ際に涙ぐみました。母からこれで最後だよと聞かされていたのでしょう。私は、それが彼と顔を合わせる最後だとは知ろうはずもなかった。

 

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精神的にも尋常ではありませんでした。長期間にわたって睡眠2時間程度が続いていたために(延々起きてTwitterをやり続けていた)、脳が、常に覚醒状態となり、普通の仕事が手につかない状態になっていました。勤務先は、上に書いた告げ口が元となって、人事部から警告され、契約が切られて、収入源がなくなりました。

 

インターネットサービスの「親」にあたる存在だった、大口投資家の投資担当部門の方は、ずっとTwitterでのやりとりをウォッチし続けてくれていて、今泉がネットサービスの知名度を上げて、株式公開路線に乗せるためにやっているのだということは、よくわかっていましたから、最後の最後まで応援してくれていました。ありがたかったです。私をかばってくれていました。しかし、この投資家の企業の中では、ちょっとした社会問題になりかけていた私の存在を、経営会議の中で問題視する発言が出て、かばってくれていた担当者の方々も私をなんともできなくなりました。出資引き上げとなり、その手続きが取られました。

 

通っていた教会からは、当然ですが、出されてしまいました。パウロ書簡に「分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。」とありますが、この扱いですね。出されて当然です。

 

収入源は...インターネットのサービスはまだ売り上げが上がっていませんでしたから、これは当てにできません。私たちの家族はその会社のフルタイム勤務で食べていました。コンサルティング・リサーチャーを法人として派遣する契約でしたので、毎月100万円弱の売上がありました(給与ではありません。会社としての"売上"です)。このうち家計の余裕に当たる部分はすべてネット会社の方につぎ込んでいました。貯金はほとんどないに等しかった。

 

8月には一家離散状態となり、職を失い、一文無しになり、まだネットでは炎上が続いており、今後の収入の当てもなく、私は、それこそ地獄へまっさかさまに落ちたかのような経験を味わいました。すべて、自分の悪口や、自分の不品行、自分の悔い改めに至らない罪の連鎖から出た結末です。

 

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しばらくの間、六本木一丁目の眺めの良い、東京タワーが真正面に見える部屋に住み続けて、そこで再起を期すことも考えましたが、すぐには新しい収入源を立ち上げることもできず、ジリ貧となって、千葉県市川市のもともと私の母が住んでいた部屋、私が家賃を払い続けていた部屋に、都落ちのようにして引っ越しました。4畳半に。

 

当然ながら荷物が入る余裕はありませんから、家具のうち売れるものは売り、残りはすべて捨て、書籍も市川に持ってきましたが部屋に入らず、捨てざるを得なくなり、もう、這々の態(ほうほうのてい)でした。2010年10月末のことでした。

 

それから7年と少し。現実との格闘。クライアント探し。新しい専門領域の確立。そうした前向きのことがある一方で、またしても、大きな罪。ジストニア発症。イエス様から遠い状態。聖霊の助けがない状態。すがるようにして書き始めた初代のクリスチャンブログ・発展途上クリスチャン。Oさんの紹介でC教会へ。至聖所に入る祈りを教わって、霊的な至聖所で天の父と直接会う経験。それをきっかけに、クリスチャンライフが180度ひっくり返って、現在あるような教会立ち上げに至る流れが生まれています。

 

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今日の早朝、息子に対する悔い改めが、この間、まったくなかったことに、聖霊様から気付かされました。

 

天の父は、あることを、ずっと保持している状況できています。その保持を離して下さらない様子があります。その保持を離していただかないと、私は先へ進めないかも知れない。どうして、その保持を離して下さらないのか?

 

早朝にこの投稿を読み返していて、天の父が、私たち地の上の息子に対して持つ親の愛を強く理解しました。それと同時にまなぞろ泣けてきて、しばらくの間、涙が止まりませんでした。すすり泣きような涙が。それでわかったのは、私がいかに薄情な父親であったかです。この間、7年の間、息子のことを心配することこそあるものの、優先するのは、私の立ち直り、私の事業基盤の再生、私の生活の立て直し、私の私生活の新展開、主から言われて建て上げる教会、新しい事業の準備。そこには息子が一切いません。

 

彼はこの間、小学校1年となり、父親は入学式におらず、小学校6年になり、卒業式に父親はおらず、中学校に入学しても父親はおらず。私も現金面ではぎりぎりの状況が続いてきましたから、取り決められた養育費が途切れる月も多々あり。面会権は与えられていないものの、何か、父親としての愛の示しようはあるはずで。たとえ、贈り物が母親から受け取り拒絶にあっても、憎まれ続けていても、父として何かやりようはあったはずで。

 

それが何もできていなかったことが、今日の早朝に初めて思い起こされて、天の父の私に対する愛を思えば、私が息子に示すものは愛でもなんでもなく、何もない状況が7年続いてきたこと。そのことを思わされました。

 

彼は14歳。中学校2年。幼稚園の時にすでにクラスで一番身長が高かったですから、170cmぐらいにはなっているでしょう。一番、子どもらしい時期に、父親がおらず、父親のネット大炎上のざんがいはまだネットに残っており。

 

いまこのようにして、主からの恵みにより、ジーザスどこでも教会をあずかって、まだネットの上だけですが、イエス・キリスト様を霊的な礎とする、天の父からも、イエス様からも、正しく認証された教会を建て上げることができた。感謝します!ハレルヤ!これは、母と一緒に教会に通う彼も、いつか見ることになるでしょう。

 

 

お父さんは、教会をやっているんだよ。

 

あのお父さんが、教会をやっているんだよ。

お母さん、知ってる?

 

お父さん、なんか、すごいビジネスもやってるみたいだよ。

儲かってるのかな?ウチに、お金送ってくれないのかな?

新しいナイキのシューズ買いたいな。お父さん、お金送ってくれないかな?

 

 

 

何も書けなくなりました。

 

誰か息子に伝えてください。

お父さんは、神様のおかげで、立ち直っているよと。

まもなく、神様が、祝福して下さった、たくさんのお金も、行くからと。