世の中には、長年性奴隷だったり、スピリチュアリズムのもろもろに20年、30年関わってきて、悪霊によってがんじがらめになっていたり、パーソナリティ障害や重い鬱や統合失調症や、双極性障害などの精神障害を患っていたりする方々で、聖書を読んで、奇跡としての癒しがあるということを理解し、近くにある、あるいは、遠くにあるキリスト教会を調べて、日曜礼拝に参加したものの、期待した奇跡による癒しが得られないことがわかり、愕然としている方々がたくさんいらっしゃると思います。
現在、預言者としての私が、本当の神である天の父(天地創造をなさった神です)から、言われていることは、そうしたキリスト教会のほとんどは淘汰されます。Twitterでは、リアルタイムで預言したり、預言の補足を出してきましたが、簡単に言うと、次のような展開です。
・パウロやペテロが活動していた、奇跡のある教会、奇跡的な癒しがある教会、生ける神の御業が現れ、しるしや不思議が現れる教会。これを初代教会と総称する。この初代教会はキリスト教史英文資料を細かく調べ、日本語のキリスト教史文献などにも当たると、2世紀でもまだ存在していたが、3世紀から4世紀にかけて消滅した。第一ヨハネでヨハネが預言していたように、反キリストが現れて、兄弟姉妹同士の愛し合う関係によって成り立っていた、主イエス・キリストが建て上げた教会を打ちこわし、別な宗教人種の別な信仰を持った人たちによる、「(キリスト)教会」と称する宗教組織が立ち上がった。
・この「(キリスト)教会」は325年ニカイア公会議によって土台ができ、381年コンスタンティノポリス公会議によって、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択されて、原型が定まった。ニカイア・コンスタンティノポリス信条では、いわゆる「三位一体」を規定している。
・こうした公会議に集まっていたのは、ギリシャ哲学の素養があり(すでにパウロが宣教していた人種ではない)、当時ギリシャ哲学が広まっていた地域で広く浸透していたグノーシス(グノーシス教)に触れており、一部はグノーシスの祈りを祈っており(それはソフィアと呼ばれる知恵の神によって祈る)、また、今でいうスピリチュアリズムに該当する新プラトン主義の考えを取り入れて、胎動していた神学を論じていた司教(Bishop)と呼ばれる教会の指導者達。中にはのちに教父と呼ばれる初期神学の潮流を作った人々も含まれていた。こうした司教達、教父達は、異邦人のための福音を任されたパウロから見れば完全に異端。異教徒。別な宗教を信じている人たち。この人たちが、キリスト教会を支配するために、集まって公会議を開催し、自分達こそが正統だと言うことを内外に印象付けるために、教義や信条を定めた。その根幹に三位一体がある。
・この三位一体が定まったことで、当時、残っていたかも知れない、パウロの宣教によるパウロ書簡の教えの信仰を持つ初代教会の最後の集団は、異端ということになった。なぜなら、パウロの宣教の内容(パウロ書簡全書)に照らせば、また、彼らの信仰に照らせば、また、彼らがいただいていた本当の聖霊が教えるところによれば、三位一体は嘘であり、到底受け入れられるものではなかったから。三位一体を退ければ、即、異端。三位一体という教義には、そのような、悪魔的なメカニズムが内包されていた。否定すれば即、異端。従って、パウロの信仰を守っていた人達を例外とすれば、それ以外のキリスト教会人は全てこの三位一体を掲げることになった。異端とされたくないから。キリスト教会という宗教集団から外されたくないから。
・そのようにしてカトリシズム(自分達の教会こそがカトリックである、言い換えれば、唯一の普遍的な教会である。唯一の正しい教会であるという考え方)が成立し、カトリック教会が誕生した。三位一体を考案した司教達による悪魔が建てた教会。このカトリック教会では、使徒の働きのペテロに見られる、信仰の言葉による奇跡や癒し、上記のしるしや不思議(使徒の働きのステパノ)は一切なかった。そこには聖霊が宿らなかった。なぜなら、三位一体には嘘があるから。聖霊は、イエス様がおっしゃるように真理の御霊。嘘があるところには入れない。
・時代は下って、マルチン・ルターの頃。彼は、カトリックの嘘を嘘だと主張して、聖書を基盤とした信仰を確立し、宗教改革を開始した。プロテスタント教会群の礎石を作った。しかし、プロテスタント教会においても、325年ニカイア公会議の頃まで戻って、三位一体を否定する議論はなされなかった。三位一体を当然の教義として採用した。ここでも、聖霊は宿ることができなかった。三位一体は嘘であり、真理の御霊は宿ることができない。
・私が、預言者として、天の父に確かめたところでは、神は、天の父と御子イエス・キリストのお二方のみ。聖霊は、神の霊であり、神ではない。これは、本当の聖霊をいただいている人たちなら、何の説明もなしに理解できる当然中の当然。全く当たり前のこと。これが、ニカイア公会議やコンスタンティノポリス公会議に集っていた司教達にはわからなかった。聖霊が宿っていないから。聖霊が宿っていないから聖書に書いていある聖霊のことが理解できず、三位一体の教義を議論する過程で、聖霊も神ということにしてしまった。ここに嘘がある。
・人間としての小生は、マルチン・ルターにはサタンが宿っていたのだという証拠を、最近発見した。彼は1543年にこの論文を書いている。(ルターが宗教改革を始めてから約25年後)
・この論文でルターは、クリスチャンやキリスト教会に対して、ユダヤ人を殲滅せよという思想を植え付けようとしている。ユダヤ人に対して、このようにせよという七か条が記されており、その中には、ユダヤ人を農奴にせよという命令もある。
・ユダヤ人/イスラエル人は、私たちの神様である天地創造の神、アブラハムに現れた神、モーセに現れてイスラエル人を出エジプトさせた神、新約聖書で主イエス・キリストが天の父だと紹介した神が、エジプトの奴隷状態から、奇跡に次ぐ奇跡を現して、脱出させた民である。この天地創造の神、私たちの天の父がエジプトの奴隷状態から脱出させた民を、プロテスタント教会の始祖であるマルチン・ルターは奴隷(農奴)にせよと命令している。ここにサタンがいる。後から天の父に教えてもらった所では、ドイツの戦争の神、争いの神であるヴォータンが彼にサタンとして入っている。
・創世記12章では、アブラハムを祝福するものを神は祝福し、アブラハムを呪う者を神は呪うという、非常に厳粛な、私たちの神様の宣言が記されている。ルターは、宗教改革成功に酔っていたためか、ここを見落として、アブラハムの血を受け継ぐ、神がお選びになった民族であるユダヤ人/イスラエル人を呪うということをしてしまった。これがために、プロテスタント全教会には呪いが及んでいる。すなわち、牧師は孤独である。牧師と牧師夫人の関係は常に冷め切っている。プロテスタント教会員の中にはほとんど幸せな人がいない。プロテスタント教会員の家族関係はほとんどが壊れている。教会員の子息には精神障害者が多い。日曜礼拝では皆がにこやかにしているが、礼拝が終わってバラバラになると皆冷たい。礼拝に集っていても孤独な人が多い。不幸な人だらけである。癒しがない。罪が赦された実感がわかない。救われていない。これは、神から来る呪いと言って良い。
・こうした経緯があって現在のプロテスタント教会に行っても、奇跡的な癒しは全く起こらず、誰も幸せにならないという現実があります。真実があります。
では、どのような教会ならば、奇跡としての癒しがあるのか。それについては、次の投稿で記します。