人となられた御子イエスの意味
主イエスと食事をする教会 2021年11月7日礼拝/ハイデルベルク信仰問答第六主日
冒頭で、どのような目的があってこの家庭礼拝のメッセージをシェアしているのかを説明しています。
本日はハイデルベルク信仰問答(新教出版社版)第六主日の問178が証拠聖句としている第一テモテ2章5節を取り上げます。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
主イエス・キリストには神としての側面と、人としての側面があります。なぜ、神のひとり子であられるキリストが、肉としてこの地の上に降りてこられて、十字架とよみがえりを経験し、私たちに「神の子ども」としての特権を授けて下さったのか。それについて説明します。
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家の教会など教団・会派の指導がない教会における礼拝メッセージやバイブルスタディでは、取り上げる聖書箇所の選び方が、行き当たりばったりになりがちです。聖書には実に多くの事柄が記されており、道しるべなしに読み進めていると、極めて重要な概念を理解しないまま、キリスト信徒として年月だけが積み重ねられることになりかねません。
そういう中で「規範となるテキスト」として、ルターの宗教改革から約50年後に編纂された「ハイデルベルク信仰問答」を用いることには、大きな意味があると考えています。プロテスタンティズムが確立してまもない頃の、新鮮な聖書理解が反映されたテキストであり、大きな驚きを覚えながら読み進めることができます。
その後の450年間に無数の会派に分裂していくプロテスタント教会の大元にある、太い源流のようなプロテスタント信仰が、一種のタイムカプセルのように保存されたテキストであることにも大きな意味があります。現代の多くのプロテスタント教会では教えられなくなった、極めて重要なキリスト者のあり方が取り上げられています。
ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革後にドイツの各教会が聖書を手がかりとして信仰の規範を確立しようとしていた時代、「決定版となるテキスト」を確立すべく、当時のプファルツ選帝侯フリードリヒ3世が有力な聖書学者や聖職者を集めて編纂しました。キリスト教信徒として知っておかなければならない、最も重要な概念をカバーできるように、129の質問と回答によって構成されています。また、第1主日から第52主日までの区切りでまとめられており、1年間分の構成となっています。